芥川龍之介『死後』

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僕の死を喜ぶSとのやりとりの夢を見る短編小説。

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問題文

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(・・・・・・ぼくはとこへはいっても、なにかほんをよまないと、ねつかれないしゅうかんをもって)

……僕は床へはいっても、何か本を読まないと、寝つかれない習慣を持って

(いる。のみならずいくらほんをよんでも、ねつかれないことさえまれではない。)

いる。のみならずいくら本を読んでも、寝つかれないことさえ稀ではない。

(こういうぼくのまくらもとにはいつもどくしょようのでんとうだのあだりんじょうのびんだのがならんで)

こう言う僕の枕もとにはいつも読書用の電燈だのアダリン錠の罎だのが並んで

(いる。そのばんもぼくはふだんのようにほんをにさんさつかやのなかへもちこみ、まくらもとの)

いる。その晩も僕はふだんのように本を二三冊蚊帳の中へ持ちこみ、枕もとの

(でんとうをあかるくした。「なんじ?」これはとうにひとねいりした、となりのとこにいるつまのこえ)

電燈を明るくした。「何時?」これはとうに一寝入りした、隣の床にいる妻の声

(だった。つまはあかごにうでまくらをさせ、まよこにこちらをながめていた。「さんじだ。」)

だった。妻は赤児に腕枕をさせ、ま横にこちらを眺めていた。「三時だ。」

(「もうさんじ。あたし、まだいちじごろかとおもっていた。」ぼくはいいかげんなへんじをした)

「もう三時。あたし、まだ一時頃かと思っていた。」僕は好い加減な返事をした

(きり、なんともそのことばにとりあわなかった。「うるさい。うるさい、だまって)

きり、何ともその言葉に取り合わなかった。「うるさい。うるさい、黙って

(ねろ。」つまはぼくのくちまねをしながら、こごえにくすくすわらっていた。が、しばらく)

寝ろ。」妻は僕の口真似をしながら、小声にくすくす笑っていた。が、しばらく

(たったとおもうと、あかごのあたまにはなをおしつけ、いつかもうしずかにねいっていた。)

たったと思うと、赤子の頭に鼻を押しつけ、いつかもう静かに寝入っていた。

(ぼくはそちらをむいたまま、せっきょういんねんじょすいしょうというほんをよんでいた。これはわかん)

僕はそちらを向いたまま、説教因縁除睡鈔と言う本を読んでいた。これは和漢

(てんじくのはなしをきょうほうごろのぼうさんのあつめたはちかんもののずいひつである。しかしおもしろいはなしは)

天竺の話を享保頃の坊さんの集めた八巻ものの随筆である。しかし面白い話は

(もちろん、めずらしいはなしもめったにない。ぼくはくんしん、ふぼ、ふうふとごりんぶのはなしをよんで)

勿論、珍らしい話も滅多にない。僕は君臣、父母、夫婦と五倫部の話を読んで

(いるうちにそろそろねむけをかんじだした。それからまくらもとのでんとうをけし、じきに)

いるうちにそろそろ睡気を感じ出した。それから枕もとの電燈を消し、じきに

(ねむりにおちてしまった。--ゆめのなかのぼくはあつくるしいまちをsといっしょにあるいて)

眠りに落ちてしまった。--夢の中の僕は暑苦しい町をSと一しょに歩いて

(いた。じゃりをしいたほどうのはばはやっといっけんかくしゃくしかなかった。それへまたどの)

いた。砂利を敷いた歩道の幅はやっと一間か九尺しかなかった。それへまたどの

(いえもおなじようにかあきいいろのひよけをはりだしていた。「きみがしぬとはおもわな)

家も同じようにカアキイ色の日除けを張り出していた。「君が死ぬとは思わな

(かった。」sはおうぎをつかいながら、こうぼくにはなしかけた。いちおうはきのどくにおもって)

かった。」Sは扇を使いながら、こう僕に話しかけた。一応は気の毒に思って

(いても、そのきもちをろこつにあらわすことはきらっているらしいはなしぶりだった。)

いても、その気もちを露骨に表わすことは嫌っているらしい話しぶりだった。

(「きみはながいきをしそうだったがね。」「そうかしら?」「ぼくらはみんなそう)

「君は長生きをしそうだったがね。」「そうかしら?」「僕等はみんなそう

など

(いっていたよ。ええと、ぼくよりもいつつしただね、」とsはゆびをおってみて、)

言っていたよ。ええと、僕よりも五つ下だね、」とSは指を折って見て、

(「さんじゅうしか?さんじゅうしぐらいでしんだんじゃ、」--それきりきゅうにだまって)

「三十四か? 三十四ぐらいで死んだんじゃ、」--それきり急に黙って

(しまった。ぼくはかくべつしんだことをざんねんにおもってはいなかった。しかしなにかsの)

しまった。僕は格別死んだことを残念に思ってはいなかった。しかし何かSの

(てまえへもはずかしいようにはかんじていた。「しごともやりかけていたんだろう?」)

手前へも羞かしいようには感じていた。「仕事もやりかけていたんだろう?」

(sはもういちどえんりょがちにいった。「うん、ながいものをすこしかきかけていた。」)

Sはもう一度遠慮勝ちに言った。「うん、長いものを少し書きかけていた。」

(「さいくんは?」「たっしゃだ。こどももこのごろはびょうきをしない。」「そりゃまあなにより)

「細君は?」「達者だ。子供もこの頃は病気をしない。」「そりゃまあ何より

(だね。ぼくなんぞいつしぬかわからないが、・・・・・・」ぼくはちょっとsのかおをながめた。)

だね。僕なんぞいつ死ぬかわからないが、……」僕はちょっとSの顔を眺めた。

(sはやはりsじしんはしなずにぼくのしんだことをよろこんでいる、--それをはっきり)

SはやはりS自身は死なずに僕の死んだことを喜んでいる、--それをはっきり

(かんじたのだった。するとsもそのしゅんかんにぼくのきもちをかんじたとみえ、いやなかおを)

感じたのだった。するとSもその瞬間に僕の気もちを感じたと見え、厭な顔を

(してだまってしまった。しばらくくちをきかずにあるいたあと、sはおうぎにひをよけた)

して黙ってしまった。しばらく口を利かずに歩いた後、Sは扇に日を除けた

(まま、おおきいかんづめやのまえにたちどまった。「じゃぼくはしっけいする。」かんづめやの)

まま、大きい缶づめ屋の前に立ち止った。「じゃ僕は失敬する。」缶づめ屋の

(みせにはうすぐらいなかにしらぎくがいくばちもおいてあった。ぼくはそのみせをちらりとみたとき、)

店には薄暗い中に白菊が幾鉢も置いてあった。僕はその店をちらりと見た時、

(なぜか「ああ、sのいえはあおきどうのしてんだった」とおもった。「きみはいまおとうさんと)

なぜか「ああ、Sの家は青木堂の支店だった」と思った。「君は今お父さんと

(いっしょにいるの?」「ああ、このあいだから。」「じゃまた。」ぼくはsにわかれて)

一しょにいるの?」「ああ、この間から。」「じゃまた。」僕はSに別れて

(から、すぐにそのつぎのよこちょうをまがった。よこちょうのかどのかざりまどにはおるがんがいちだい)

から、すぐにその次の横町を曲った。横町の角の飾り窓にはオルガンが一台

(すえてあった。おるがんはないぶのみえるようにそくめんのいただけはずしてあり、その)

据えてあった。オルガンは内部の見えるように側面の板だけはずしてあり、その

(またないぶにはあおたけのつつがなんぼんもたてにならんでいた。ぼくはこれをみたときにも、)

また内部には青竹の筒が何本も竪に並んでいた。僕はこれを見た時にも、

(「なるほど、たけづつでもよいはずだ」とおもった。それから--いつかぼくのいえのもんの)

「なるほど、竹筒でも好いはずだ」と思った。それから--いつか僕の家の門の

(まえにたたずんでいた。ふるいくぐりもんやくろべいはすこしもふだんにかわらなかった。いや、)

前に佇んでいた。古いくぐり門や黒塀は少しもふだんに変らなかった。いや、

(もんのうえのはざくらのえださえきのうみたときのとおりだった。が、あたらしいひょうさつには)

門の上の葉桜の枝さえきのう見た時の通りだった。が、新らしい標札には

(「くしべぐう」とかいてあった。ぼくはこのひょうさつをながめたとき、ほんとうにぼくのしんだ)

「櫛部寓」と書いてあった。僕はこの標札を眺めた時、ほんとうに僕の死んだ

(ことをかんじた。けれどももんをはいることはもちろん、げんかんからおくへはいることもぜんぜん)

ことを感じた。けれども門をはいることは勿論、玄関から奥へはいることも全然

(ふとくぎとはかんじなかった。つまはちゃのまのえんがわにすわり、たけのかわのよろいをこしらえていた。)

不徳義とは感じなかった。妻は茶の間の縁側に坐り、竹の皮の鎧を拵えていた。

(つまのいまわりはそのためにひぞったたけのかわだらけだった。しかしひざのうえにのせた)

妻のいまわりはそのために乾皮った竹の皮だらけだった。しかし膝の上にのせた

(よろいはまだくさずりがいちまいとどうとしかできあがっていなかった。「こどもは?」とぼくは)

鎧はまだ草摺りが一枚と胴としか出来上っていなかった。「子供は?」と僕は

(すわるなりたずねた。「きのうおばさんやおばあさんとみんなくげぬまへやりました。」)

坐るなり尋ねた。「きのう伯母さんやおばあさんとみんな鵠沼へやりました。」

(「おじいさんは?」「おじいさんはぎんこうへいらしったんでしょう。」「じゃだれも)

「おじいさんは?」「おじいさんは銀行へいらしったんでしょう。」「じゃ誰も

(いないのかい?」「ええ、あたしとしずかやだけ。」つまはしたをむいたまま、たけのかわに)

いないのかい?」「ええ、あたしと静やだけ。」妻は下を向いたまま、竹の皮に

(はりをとおしていた。しかしぼくはそのこえにたちまちつまのうそをかんじ、すこしこえを)

針を透していた。しかし僕はその声にたちまち妻のうそを感じ、少し声を

(あらげていった。「だってくしべぐうってひょうさつがでているじゃないか?」つまはおどろいた)

荒らげて言った。「だって櫛部寓って標札が出ているじゃないか?」妻は驚いた

(ようにぼくのかおをみあげた。そのめはいつもしかられるときにする、とほうにくれた)

ように僕の顔を見上げた。その目はいつも叱られる時にする、途方に暮れた

(ひょうじょうをしていた。「でているだろう?」「ええ。」「じゃそのひとはいるんだ)

表情をしていた。「出ているだろう?」「ええ。」「じゃその人はいるんだ

(ね?」「ええ。」つまはすっかりしょげてしまい、たけのかわのよろいばかりいじっていた。)

ね?」「ええ。」妻はすっかり悄気てしまい、竹の皮の鎧ばかりいじっていた。

(「そりゃいてもかまわないさ。おれはもうしんでいるんだし、--」ぼくはなかばぼく)

「そりゃいてもかまわないさ。俺はもう死んでいるんだし、--」僕は半ば僕

(じしんをせっとくするようにいいつづけた。「おまえだってまだわかいんだしするから、)

自身を説得するように言いつづけた。「お前だってまだ若いんだしするから、

(そんなことはとやかくいいはしない。ただそのひとさえちゃんとしていれば、)

そんなことはとやかく言いはしない。ただその人さえちゃんとしていれば、

(・・・・・・」つまはもういちどぼくのかおをみあげた。ぼくはそのかおをながめたとき、とりかえしの)

……」妻はもう一度僕の顔を見上げた。僕はその顔を眺めた時、とり返しの

(つかぬことのできたのをかんじた。どうじにまたぼくじしんのかおいろもみるみるちのけを)

つかぬことの出来たのを感じた。同時にまた僕自身の顔色も見る見る血の気を

(うしなったのをかんじた。「ちゃんとしたひとじゃないんだね?」「あたしはわるいひととは)

失ったのを感じた。「ちゃんとした人じゃないんだね?」「あたしは悪い人とは

(おもいませんけれど、・・・・・・」しかしつまじしんもくしべぼうにそんけいをもっていないことは)

思いませんけれど、……」しかし妻自身も櫛部某に尊敬を持っていないことは

(はっきりぼくにわかっていた。ではなぜそういうものとけっこんしたか?それはまだ)

はっきり僕にわかっていた。ではなぜそう言うものと結婚したか? それはまだ

(ゆるせるとしても、つまはくしべぼうのいやしいところにかえってきやすさをみいだしている、)

許せるとしても、妻は櫛部某の卑しいところに反って気安さを見出している、

(--ぼくはそこにはらのそこからふかいにおもわずにはいられぬものをかんじた。「こどもに)

--僕はそこに肚の底から不快に思わずにはいられぬものを感じた。「子供に

(ちちといわせられるひとか?」「そんなことをいったって、・・・・・・」「だめだ、いくら)

父と言わせられる人か?」「そんなことを言ったって、……」「駄目だ、いくら

(べんかいしても。」つまはぼくのどなるよりもまえにもうたもとにかおをかくし、ぶるぶるかたを)

弁解しても。」妻は僕の怒鳴るよりも前にもう袂に顔を隠し、ぶるぶる肩を

(ふるわせていた。「なんというばかだ!それじゃしんだってしにきれるものか。」)

震わせていた。「何と言う莫迦だ! それじゃ死んだって死に切れるものか。」

(ぼくはじっとしてはいられないきになり、あともみずにしょさいへはいっていった。)

僕はじっとしてはいられない気になり、あとも見ずに書斎へはいって行った。

(するとしょさいのかもいのうえにとびぐちがいっちょうかかっていた。とびぐちはえをくろとしゅとのうるしに)

すると書斎の鴨居の上に鳶口が一梃かかっていた。鳶口は柄を黒と朱との漆に

(まきたててあるものだった。だれかこれをもっていたことがある、--ぼくはそんな)

巻き立ててあるものだった。誰かこれを持っていたことがある、--僕はそんな

(ことをおもいだしながら、いつかしょさいでもなんでもない、からたちがきにそったみちをあるいて)

ことを思い出しながら、いつか書斎でも何でもない、枳殻垣に沿った道を歩いて

(いた。みちはもうくれかかっていた。のみならずみちにしいたせきたんがらもきりさめかつゆかに)

いた。道はもう暮れかかっていた。のみならず道に敷いた石炭殻も霧雨か露かに

(ぬれとおっていた。ぼくはまだよふんをかんじたまま、できるだけあしばやにあるいていった。)

濡れ透っていた。僕はまだ余憤を感じたまま、出来るだけ足早に歩いて行った。

(が、いくらあるいていっても、からたちがきはやはりぼくのゆくてにながながとつづいている)

が、いくら歩いて行っても、枳殻垣はやはり僕の行手に長ながとつづいている

(ばかりだった。ぼくはおのずからめをさました。つまやあかごはあいかわらずしずかにねいって)

ばかりだった。僕はおのずから目を覚ました。妻や赤子は不相変静かに寝入って

(いるらしかった。けれどもよるはもうしろみかけたとみえ、みょうにしんみりしたせみの)

いるらしかった。けれども夜はもう白みかけたと見え、妙にしんみりした蝉の

(こえがどこかとおいきにすみわたっていた。ぼくはそのこえをききながら、あした(じつは)

声がどこか遠い木に澄み渡っていた。僕はその声を聞きながら、あした(実は

(きょう)あたまのつかれるのをおそれ、もういちどはやくねむろうとした。が、よういに)

きょう)頭の疲れるのを惧れ、もう一度早く眠ろうとした。が、容易に

(ねむられないばかりか、はっきりいまのゆめをおもいだした。ゆめのなかのつまはきのどくにも)

眠られないばかりか、はっきり今の夢を思い出した。夢の中の妻は気の毒にも

(うまらないやくまわりをつとめている。sはじっさいでもああかもしれない。ぼくも、--)

うまらない役まわりを勤めている。Sは実際でもああかも知れない。僕も、--

(ぼくはつまにたいしてはおそろしいりこしゅぎしゃになっている。ことにぼくじしんをゆめのなかのぼくと)

僕は妻に対しては恐しい利己主義者になっている。殊に僕自身を夢の中の僕と

(どういつじんかくとかんがえれば、いっそうおそろしいりこしゅぎしゃになっている。しかもぼくじしんはゆめの)

同一人格と考えれば、一層恐しい利己主義者になっている。しかも僕自身は夢の

(なかのぼくとかならずしもおなじでないことはない。ぼくはひとつにはすいみんをえるために、また)

中の僕と必しも同じでないことはない。僕は一つには睡眠を得るために、また

(ひとつにはびょうてきにりょうしんのこうしんするのをさけるためにれい.ごぐらむのあだりんじょうをのみ、)

一つには病的に良心の昂進するのを避けるために〇・五瓦のアダリン錠を嚥み、

(こんこんとしたねむりにしずんでしまった。・・・・・・)

昏々とした眠りに沈んでしまった。……

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