幸福なボタン
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問題文
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(えぬしは、じんせいにつかれていた。)
エヌ氏は、人生に疲れていた。
(くるひもくるひもしごとにおわれ、)
来る日も来る日も仕事に追われ、
(だれからもかんしゃされず、しょうらいのきぼうもみえない。)
誰からも感謝されず、将来の希望も見えない。
(そんなあるひ、あやしげなろてんできみょうなそうちをてにいれた。)
そんなある日、怪しげな露店で奇妙な装置を手に入れた。
(それは、てのひらさいずのちいさなはこで、)
それは、手のひらサイズの小さな箱で、
(ちゅうおうにあかいぼたんがひとつだけついていた。)
中央に赤いボタンが一つだけ付いていた。
(てんしゅはいった。「これをおせば、たちまちこうふくなきぶんになれますよ」と。)
店主は言った。「これを押せば、たちまち幸福な気分になれますよ」と。
(はんしんはんぎでぼたんをおしてみると、)
半信半疑でボタンを押してみると、
(しんじられないようなたこうかんがぜんしんをつつみこんだ。)
信じられないような多幸感が全身を包み込んだ。
(えぬしはまいばん、このぼたんをおすのがたのしみになった。)
エヌ氏は毎晩、このボタンを押すのが楽しみになった。
(いやなじょうしのかおも、やまづみのせいきゅうしょも、)
嫌な上司の顔も、山積みの請求書も、
(ぼたんひとつでどうでもよくなった。)
ボタン一つでどうでもよくなった。
(しかし、ひとつだけふくさようがあった。)
しかし、一つだけ副作用があった。
(ぼたんをおすたびに、すこしずつきおくがあいまいになっていくのだ。)
ボタンを押すたびに、少しずつ記憶が曖昧になっていくのだ。
(きのうのゆうしょくはなにだったか、ゆうじんのなまえはなにだったか。)
昨日の夕食は何だったか、友人の名前は何だったか。
(それでもえぬしはぼたんをおすのをやめられなかった。)
それでもエヌ氏はボタンを押すのをやめられなかった。
(ついにかれは、じぶんのなまえさえわすれてしまった。)
ついに彼は、自分の名前さえ忘れてしまった。
(びょういんのべっどで、かれはいちにちじゅうにこにことわらっていた。)
病院のベッドで、彼は一日中ニコニコと笑っていた。
(なにもおぼえていないから、なんのなやみもない。)
何も覚えていないから、何の悩みもない。
(かれは、せかいでもっともこうふくなにんげんになったのだった。)
彼は、世界で最も幸福な人間になったのだった。