こころ⑤

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夏目漱石のこころです!

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問題文

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(わたしはぼちのてまえにあるなえはたのひだりからはいって、)

私は墓地の手前にある苗畑の左からはいって、

(りょうほうにかえでをうえつけたひろいみちをおくのほうへすすんでいった。)

両方に楓を植えつけた広い道を奥の方へ進んで行った。

(するとそのはたれにみえるちゃみせのなかからせんせいらしいひとがふいとでてきた。)

するとその端れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。

(わたしはそのひとのめがねのふちがひにひかるまでちかくよっていった。)

私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄っていった。

(そうしてだしぬけに「せんせい」とおおきなこえをかけた。)

そうしてだしぬけに「先生」と大きな声をかけた。

(せんせいはとつぜんたちとどまってわたしのかおをみた。)

先生は突然立ち留まって私の顔を見た。

(「どうして・・・・・・、どうして・・・・・・」)

「どうして・・・・・・、どうして・・・・・・」

(せんせいはおなじことばをにへんくりかえした。)

先生は同じ言葉を二へんくり返した。

(そのことばはしんかんとしたひるのうちにいようなちょうしをもってくりかえされた。)

その言葉は森閑とした昼のうちに異様な調子をもって繰り返された。

(わたしはなんともこたえられなくなった。)

私はなんとも応えられなくなった。

(「わたしのあとをつけてきたのですか。どうして・・・・・・」)

「私のあとをつけて来たのですか。どうして・・・・・・」

(せんせいのたいどはむしろおちついていた。)

先生の態度はむしろおちついていた。

(こえはむしろしずんでいた。)

声はむしろ沈んでいた。

(けれどもそのひょうじょうのうちには、はっきりいえないようないっしゅのくもりがあった。)

けれどもその表情のうちには、はっきり言えないような一種の曇りがあった。

(わたしはわたしがどうしてここへきたかをせんせいにはなした。)

私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。

(「だれのはかへまいりにいったか、つまがそのひとのなをいいましたか」)

「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名を言いましたか」

(「いいえ、そんなことはなにもおっしゃいません」)

「いいえ、そんなことは何もおっしゃいません」

(「そうですか。ーーーそう、それはいうはずがありませんね、)

「そうですか。ーーーそう、それは言うはずがありませんね、

(はじめてあったあなたに。いうひつようがないんだから」)

初めて会ったあなたに。言う必要がないんだから」

(せんせいはようやくとくしんしたらしいようすであった。)

先生はようやく得心したらしい様子であった。

など

(しかしわたしにはそのいみがまるでわからなかった。)

しかし私にはその意味がまるでわからなかった。

(せんせいとわたしはとおりへでようとしてはかのあいだをぬけた。)

先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。

(いざべらなになにのはかだの、しんぼくろぎんのはかだのというがわに)

伊徹伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという側に

(いっさいしゅじょうしつうぶっしょうとかいたとうばなどがたててあった。)

一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。

(ぜんけんこうしなになにというのもあった。)

全権公使何々というのもあった。

(わたしはやすとくれつとほりつけたちいさいはかのまえで)

私は安得烈と彫りつけた小さい墓の前で

(「これはなんとよむんでしょう」とせんせいにきいた。)

「これはなんと読むんでしょう」と先生に聞いた。

(「あんどれとでもよませるつもりでしょうね」といってせんせいはくしょうした。)

「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」と言って先生は苦笑した。

(せんせいはこれらのぼひょうがあらわすひとさまざまのようしきにたいして、)

先生はこれらの墓標が表わす人さまざまの様式に対して、

(わたしほどにこっけいもあいろにーもみとめてないらしかった。)

私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。

(わたしがまるいはかいしだのほそながいごえいのいしぶみだのをさして、)

私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのをさして、

(しきりにかれこれいいたがるのを、はじめのうちは)

しきりにかれこれ言いたがるのを、初めのうちは

(だまってきいていたが、しまいに)

黙って聞いていたが、しまいに

(「あなたはしというじじつをまだまじめにかんがえたことがありませんね」)

「あなたは死という事実をまだまじめに考えた事がありませんね」

(といった。わたしはだまった。)

と言った。私は黙った。

(せんせいもそれぎりなんともいわなくなった。)

先生もそれぎりなんとも言わなくなった。

(ぼちのくぎりめに、おおきないちょうがいっぽんそらをかくすようにたっていた。)

墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。

(そのしたへきたとき、せんせいはたかいこずえをみあげて、)

その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、

(「もうすこしすると、きれいですよ。このきがすっかりこうようして、)

「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、

(ここいらのじめんはきんいろのおちばでうまるようになります」といった。)

ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」と言った。

(せんせいはつきにいちどずつはかならずこのきのしたをとおるのであった。)

先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。

(むこうのほうででこぼこのじめんをならしてしんぼちをつくっているおとこが、)

向こうの方で凸凹の地面をならして新墓地を作っている男が、

(くわのてをやすめてわたしたちをみていた。)

桑の手を休めて私たちを見ていた。

(わたしたちはそこからひだりへきれてすぐかいどうへでた。)

私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。

(これからどこへいくというもくてきのないわたしは、)

これからどこへ行くという目的のない私は、

(ただせんせいのあるくほうへあるいていった。)

ただ先生の歩く方へ歩いて行った。

(せんせいはいつもよりくちかずをきかなかった。)

先生はいつもより口数をきかなかった。

(それでもわたしはさほどのきゅうくつをかんじなかったので、)

それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、

(ぶらぶらいっしょにあるいていった。)

ぶらぶら一緒に歩いて行った。

(「すぐおたくへおかえりですか」)

「すぐお宅へお帰りですか」

(「ええべつによるところもありませんから」)

「ええべつに寄る所もありませんから」

(ふたりはまただまってみなみのほうへさかをおりた。)

二人はまた黙って南の方へ坂を降りた。

(「せんせいのおたくのぼちはあすこにあるんですか」)

「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」

(とまたわたしがくちをききだした。)

とまた私が口をきき出した。

(「いいえ」)

「いいえ」

(「どなたのおはかがあるんですか。ーごしんるいのおはかですか」)

「どなたのお墓があるんですか。ー御親類のお墓ですか」

(「いいえ」)

「いいえ」

(せんせいはこれいじょうになにもこたえなかった。)

先生はこれ以上に何も答えなかった。

(わたしもそのはなしはそれぎりにしてきりあげた。)

私もその話はそれぎりにして切り上げた。

(するといっちょうほどあるいたあとでせんせいがふいにそこへもどってきた。)

すると一町ほど歩いた後で先生が不意にそこへ戻って来た。

(「あそこにはわたしのともだちのはかがあるんです」)

「あそこには私の友達の墓があるんです」

(「おともだちのおはかへまいつきおまいりをなさるんですか」)

「お友達のお墓へ毎月お参りをなさるんですか」

(「そうです」)

「そうです」

(せんせいはそのひこれいじょうをかたらなかった。)

先生はその日これ以上を語らなかった。

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