芥川龍之介『英雄の器』
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | すもさん | 5435 | B++ | 5.6 | 95.9% | 611.5 | 3471 | 147 | 48 | 2024/10/28 |
2 | 饅頭餅美 | 4510 | C++ | 4.8 | 93.9% | 702.1 | 3385 | 218 | 48 | 2024/10/29 |
関連タイピング
-
プレイ回数12万歌詞200打
-
プレイ回数4.4万歌詞1030打
-
プレイ回数77万長文300秒
-
プレイ回数97万長文かな1008打
-
プレイ回数5223長文かな179打
-
プレイ回数1万長文1486打
-
プレイ回数1424長文60秒
-
プレイ回数81短文60秒
問題文
(「なにしろこううというおとこは、えいゆうのうつわじゃないですな。」かんのたいしょうりょばつうは、)
「何しろ項羽と云う男は、英雄の器じゃないですな。」漢の大将呂馬通は、
(ただでさえながいかおを、いっそうながくしながら、まばらなひげをなでて、こういった。かれの)
ただでさえ長い顔を、一層長くしながら、疎な髭を撫でて、こう云った。彼の
(かおのまわりには、じゅうにんあまりのかおが、みなまんなかにおいたともしびのひかりをうけて、あかく)
顔のまわりには、十人あまりの顔が、皆まん中に置いた燈火の光をうけて、赤く
(ばくえいのよるのなかにうきあがっている。そのかおがまた、どれもいつになくびしょうを)
幕営の夜の中にうき上っている。その顔がまた、どれもいつになく微笑を
(うかべているのは、せいそのはおうのくびをあげたきょうのかちいくさのよろこびが、まだきえずに)
浮べているのは、西楚の覇王の首をあげた今日の勝戦の喜びが、まだ消えずに
(いるからであろう。--「そうかね。」はなのたかい、がんこうのするどいかおがひとつ、これは)
いるからであろう。--「そうかね。」鼻の高い、眼光の鋭い顔が一つ、これは
(ややひにくなびしょうをしんとうにただよわせながら、じっとりょばつうのまゆのあいだをみながら、)
やや皮肉な微笑を唇頭に漂わせながら、じっと呂馬通の眉の間を見ながら、
(こういった。りょばつうはなぜか、いささかろうばいしたらしい。「それはつよいことは)
こう云った。呂馬通は何故か、いささか狼狽したらしい。「それは強いことは
(つよいです。なにしろとざんのうおうびょうにあるいしのかなえさえまげるというのですからな。)
強いです。何しろ塗山の禹王廟にある石の鼎さえ枉げると云うのですからな。
(げんにきょうのいくさでもです。わたしはいちじいのちはないものだとおもいました。りさが)
現に今日の戦でもです。私は一時命はないものだと思いました。李佐が
(ころされる、おうこうがころされる。そのいきおいといったら、ありません。それはじっさい、)
殺される、王恒が殺される。その勢いと云ったら、ありません。それは実際、
(つよいことはつよいですな。」「ははあ。」あいてのかおはいぜんとしてびしょうしながら、)
強いことは強いですな。」「ははあ。」相手の顔は依然として微笑しながら、
(おうようにうなずいた。ばくえいのそとはしんとしている。とおくでにさんど、かくのおとがした)
鷹揚に頷いた。幕営の外はしんとしている。遠くで二三度、角の音がした
(ほかは、うまのいななくこえさえきこえない。そのなかで、どことなく、かれたこのはの)
ほかは、馬の嘶く声さえ聞えない。その中で、どことなく、枯れた木の葉の
(においがする。「しかしです。」りょばつうはいちどうのかおをみまわして、さも「しかし」)
匂がする。「しかしです。」呂馬通は一同の顔を見廻して、さも「しかし」
(らしく、まばたきをひとつした。「しかし、えいゆうのうつわじゃありません。その)
らしく、眼ばたきを一つした。「しかし、英雄の器じゃありません。その
(しょうこは、やはりきょうのいくさですな。うこうにおいつめられたときのそのぐんは、たった)
証拠は、やはり今日の戦ですな。烏江に追いつめられた時の楚の軍は、たった
(にじゅうはちきです。うんかのようなみかたのたいぐんにたいして、たたかったところが、しかたは)
二十八騎です。雲霞のような味方の大軍に対して、戦った所が、仕方は
(ありません。それに、うこうのていちょうは、わざわざむかえてでて、こうとうへふねでわたそうと)
ありません。それに、烏江の亭長は、わざわざ迎えて出て、江東へ舟で渡そうと
(いったそうですな。もしこううにえいゆうのうつわがあれば、あかをふくんでも、うこうを)
云ったそうですな。もし項羽に英雄の器があれば、垢を含んでも、烏江を
(わたるです。そうしてけんどちょうらいするです。めんもくなぞをかまっているばあいじゃ)
渡るです。そうして捲土重来するです。面目なぞをかまっている場合じゃ
(ありません。」「すると、えいゆうのうつわというのは、かんじょうにあかるいということかね。」)
ありません。」「すると、英雄の器と云うのは、勘定に明いと云う事かね。」
(このことばにつれて、いちどうのくちからは、しずかなわらいごえがあがった。が、りょばつうは、ぞんがい)
この語につれて、一同の口からは、静な笑い声が上った。が、呂馬通は、存外
(ひるまない。かれはひげからてをはなすと、ややそりみになって、はなのたかい、がんこうの)
ひるまない。彼は髯から手を放すと、やや反り身になって、鼻の高い、眼光の
(するどいかおをときどきちらりとながめながら、いきおいよくてまねをして、しゃべりだした。)
鋭い顔を時々ちらりと眺めながら、勢いよく手真似をして、しゃべり出した。
(「いやそういうつもりじゃないです。--こううはですな。こううは、きょういくさの)
「いやそう云うつもりじゃないです。--項羽はですな。項羽は、今日戦の
(はじまるまえに、にじゅうはちにんのぶかのまえで「こううをほろぼすものはてんだ。じんりきのふそくでは)
始まる前に、二十八人の部下の前で『項羽を亡すものは天だ。人力の不足では
(ない。そのしょうこには、これだけのぐんぜいで、かならずかんのぐんをさんどやぶってみせる」と)
ない。その証拠には、これだけの軍勢で、必ず漢の軍を三度破って見せる』と
(いったそうです。そうして、じっさいさんどどころか、くたびもたたかってかって)
云ったそうです。そうして、実際三度どころか、九度も戦って勝って
(いるのです。わたしにいわせると、それがひきょうだとおもうのですな、じぶんのしっぱいを)
いるのです。私に云わせると、それが卑怯だと思うのですな、自分の失敗を
(てんにかずける--てんこそいいめいわくです。それもうこうをわたって、こうとうのけんじを)
天にかずける--天こそいい迷惑です。それも烏江を渡って、江東の健児を
(きゅうごうして、ふたたびちゅうげんのしかをあらそったあとでなら、しかたがないですよ。が、)
糾合して、再び中原の鹿を争った後でなら、仕方がないですよ。が、
(そうじゃない。りっぱにいきられるところを、しんでいるです。わたしがこううをえいゆうのうつわで)
そうじゃない。立派に生きられる所を、死んでいるです。私が項羽を英雄の器で
(ないとするのは、かんじょうにくらかったからばかりではないです。いっさいをてんめいで)
ないとするのは、勘定に暗かったからばかりではないです。一切を天命で
(ごまかそうとする--それがいかんですな。えいゆうというものは、そんなものじゃ)
ごまかそうとする--それがいかんですな。英雄と云うものは、そんなものじゃ
(ないとおもうです。しょうじょうしょうのようながくしゃは、どういわれるかしらんですが。」)
ないと思うです。簫丞相のような学者は、どう云われるか知らんですが。」
(りょばつうは、とくいそうにさゆうをかえりみながら、しばらくくちをとざした。かれのろんぎが、)
呂馬通は、得意そうに左右を顧みながら、しばらく口をとざした。彼の論議が、
(もっともだとおもわれたのであろう。いちどうはたがいにかるいうなずきをかわしながら、)
もっともだと思われたのであろう。一同は互に軽い頷きを交しながら、
(まんぞくそうにだまっている。すると、そのなかで、はなのたかいかおだけが、おもいがけなく、)
満足そうに黙っている。すると、その中で、鼻の高い顔だけが、思いがけなく、
(いっしゅのかんどうを、めのなかにあらわした。くろいひとみが、ねつをもったように、かがやいて)
一種の感動を、眼の中に現した。黒い瞳が、熱を持ったように、かがやいて
(きたのである。「そうかね。こううはそんなことをいったかね。」「いった)
来たのである。「そうかね。項羽はそんな事を云ったかね。」「云った
(そうです。」りょばつうは、ながいかおをじょうげに、おおきくうごかした。)
そうです。」呂馬通は、長い顔を上下に、大きく動かした。
(「よわいじゃないですか。いや、すくなくともおとこらしくないじゃないですか。えいゆうと)
「弱いじゃないですか。いや、少くとも男らしくないじゃないですか。英雄と
(いうものは、てんとたたかうものだろうとおもうですが。」「そうさ。」「てんめいを)
云うものは、天と戦うものだろうと思うですが。」「そうさ。」「天命を
(しってもなお、たたかうものだろうとおもうですが。」「そうさ。」「するとこううは)
知っても尚、戦うものだろうと思うですが。」「そうさ。」「すると項羽は
(--」りゅうほうはするどいがんこうをあげて、じっとあきをまたたいているともしびのひかりをみた。)
--」劉邦は鋭い眼光をあげて、じっと秋をまたたいている燈火の光を見た。
(そうして、なかばひとりごとのように、おもむろにこうこたえた。「だから、えいゆうの)
そうして、半ば独り言のように、徐にこう答えた。「だから、英雄の
(うつわだったのさ。」)
器だったのさ。」