芥川龍之介『悠々荘』

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投稿者投稿者由佳梨いいね1お気に入り登録1
プレイ回数1609難易度(5.0) 3720打 長文
愛着を持っていた無人の別荘、悠々荘に友人たちと入る短編小説。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 すもさん 5340 B++ 5.6 95.0% 677.9 3821 201 50 2024/11/12
2 夏の思ひに 4542 C++ 4.7 95.4% 771.9 3682 176 50 2024/11/01
3 ねね 4471 C+ 4.5 98.4% 820.7 3728 58 50 2024/10/23

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問題文

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(10がつのあるごご、ぼくら3にんははなしあいながら、まつのなかのこみちをあるいていた。)

十月のある午後、僕等三人は話し合いながら、松の中の小みちを歩いていた。

(こみちにはどこにもひとかげはなかった。ただときどきまつのこずえにひよどりのこえのするだけ)

小みちにはどこにも人かげはなかった。ただ時々松の梢に鵯の声のするだけ

(だった。「ごおぐのしがいののせたたまつきだいだね、あのうえではいまでもたまをついて)

だった。「ゴオグの死骸の載せた玉突台だね、あの上では今でも玉を突いて

(いるがね。・・・・・・」せいようからかえってきたsさんはそんなことをはなしてきかせたり)

いるがね。……」西洋から帰って来たSさんはそんなことを話して聞かせたり

(した。そのうちにぼくらはうすごけのついたみかげいしのもんのまえへとおりかかった。いしに)

した。そのうちに僕等は薄苔のついた御影石の門の前へ通りかかった。石に

(はめこんだひょうさつには「ゆうゆうそう」とかいてあった。が、もんのおくにあるいえは、--)

嵌めこんだ標札には「悠々荘」と書いてあった。が、門の奥にある家は、――

(かやぶきやねのせいようかんはひっそりとがらすまどをとざしていた。ぼくはひごろこのいえにあいちゃくを)

茅葺き屋根の西洋館はひっそりと硝子窓を鎖していた。僕は日頃この家に愛着を

(もたずにはいられなかった。それは1つにはいえじしんのいかにもしょうしゃとしている)

持たずにはいられなかった。それは一つには家自身のいかにも瀟洒としている

(ためだった。しかしまたそのほかにもこうはいをきわめたあたりのけしきに--のびほうだい)

ためだった。しかしまたそのほかにも荒廃を極めたあたりの景色に――伸び放題

(のびたにわしばやみずのひあがったふるいけにふぜいのおおいためもないわけではなかった。「1つ)

伸びた庭芝や水の干上った古池に風情の多いためもない訣ではなかった。「一つ

(なかへはいってみるかな。」ぼくはさきにたってもんのなかへはいった。しきいしをはさんだまつの)

中へはいって見るかな。」僕は先に立って門の中へはいった。敷石を挟んだ松の

(したにはひめじだけなどもかすかにあからんでいた。「このべっそうをもっているひともしんさい)

下には姫路茸などもかすかに赤らんでいた。「この別荘を持っている人も震災

(いらいこなくなったんだね。・・・・・・」するとtくんはかんがえぶかそうにげんかんまえのはぎにめを)

以来来なくなったんだね。……」するとT君は考え深そうに玄関前の萩に目を

(やったのち、こうぼくのことばにはんたいした。「いや、きょねんまではきていたんだね。)

やった後、こう僕の言葉に反対した。「いや、去年までは来ていたんだね。

(きょねんちゃんとかりこまなけりゃ、このはぎはこうはさくもんじゃない。」「しかし)

去年ちゃんと刈りこまなけりゃ、この萩はこうは咲くもんじゃない。」「しかし

(このしばのうえをみたまえ。こんなにかべつちもおちているだろう。これはきみ、しんさいのときに)

この芝の上を見給え。こんなに壁土も落ちているだろう。これは君、震災の時に

(おちたままになっているのにちがいないよ。」ぼくはじっさいしんさいのためにとりかえしの)

落ちたままになっているのに違いないよ。」僕は実際震災のために取り返しの

(つかないこうげきをうけたねんしょうのじつぎょうかをそうぞうしていた。それはまたきづたの)

つかない攻撃を受けた年少の実業家を想像していた。それはまた木蔦の

(からみついたこってえじふうのせいようかんと--ことにがらすまどのまえにうえたしゅろやばしょうの)

からみついたコッテエジ風の西洋館と――殊に硝子窓の前に植えた棕櫚や芭蕉の

(いくかぶかとちょうわしているのにちがいなかった。しかしtくんはこしをかがめ、しばのうえの)

幾株かと調和しているのに違いなかった。しかしT君は腰をかがめ、芝の上の

など

(つちをひろいながら、もう1どぼくのことばにはんたいした。「これはかべつちのおちたのじゃ)

土を拾いながら、もう一度僕の言葉に反対した。「これは壁土の落ちたのじゃ

(ない。えんげいようのふしょくどだよ。しかもじょうとうなふしょくどだよ。」ぼくらはいつかまどかけを)

ない。園芸用の腐蝕土だよ。しかも上等な腐蝕土だよ。」僕等はいつか窓かけを

(おろしたがらすまどのまえにたたずんでいた。まどかけは、もちろんろうびきだった。「うちのなかは)

下した硝子窓の前に佇んでいた。窓かけは、もちろん蝋引だった。「家の中は

(みえないかね。」ぼくらはそんなことをはなしながら、いくつかのがらすまどをのぞいて)

見えないかね。」僕等はそんなことを話しながら、幾つかの硝子窓を覗いて

(あるいた。まどかけはどれもげんじゅうに「ゆうゆうそう」のないぶをかくしていた。が、ちょうど)

歩いた。窓かけはどれも厳重に「悠々荘」の内部を隠していた。が、ちょうど

(みなみにむいたがらすまどのかまちのうえにはくすりびんが2ほんならんでいた。「ははあ、よおどざいを)

南に向いた硝子窓の框の上には薬壜が二本並んでいた。「ははあ、沃度剤を

(つかっていたな。--」sさんはぼくらをふりかえっていった。「このべっそうのしゅじんは)

使っていたな。――」Sさんは僕等をふり返って言った。「この別荘の主人は

(はいびょうかんじゃだよ。」ぼくらはすすきのほをだしたなかを「ゆうゆうそう」のうしろへまわってみた。)

肺病患者だよ。」僕等は芒の穂を出した中を「悠々荘」の後ろへ廻って見た。

(そこにはもうあかさびのふいたとたんぶきのなやが1むねあった。なやのなかにはすとおヴが)

そこにはもう赤錆のふいた亜鉛葺の納屋が一棟あった。納屋の中にはストオヴが

(1つ、せいようふうのつくえが1つ、それからあたまやうでのないせっこうのにょにんぞうが1つあった。)

一つ、西洋風の机が一つ、それから頭や腕のない石膏の女人像が一つあった。

(ことにそのにょにんぞうは1めんにほこりにおおわれたまま、すとおヴのまえによこになっていた。)

殊にその女人像は一面に埃におおわれたまま、ストオヴの前に横になっていた。

(「するとそのはいびょうかんじゃはなぐさみにちょうこくでもやっていたのかね。」「これもやっぱり)

「するとその肺病患者は慰みに彫刻でもやっていたのかね。」「これもやっぱり

(えんげいようのものだよ。あたまへらんなどをうえるものでね。・・・・・・あのつくえやすとおヴも)

園芸用のものだよ。頭へ蘭などを植えるものでね。……あの机やストオヴも

(そうだよ。このなやはまどもがらすになっているから、おんしつのかわりにつかって)

そうだよ。この納屋は窓も硝子になっているから、温室の代りに使って

(いたんだろう。」tくんのことばはもっともだった。げんにそのちいさいつくえのうえには)

いたんだろう。」T君の言葉はもっともだった。現にその小さい机の上には

(らんかしょくぶつをうえるのにつかうこるくばんのはへんものせてあった。「おや、あのつくえの)

蘭科植物を植えるのに使うコルク板の破片も載せてあった。「おや、あの机の

(あしのしたにヴぃくとりあげっけいたいのかんもころがっている。」「あれはさいくんの・・・・・・)

脚の下にヴィクトリア月経帯の缶もころがっている。」「あれは細君の……

(さあ、じょちゅうのかもしれないよ。」sさんは、ちょっとくしょうしていった。「じゃ)

さあ、女中のかも知れないよ。」Sさんは、ちょっと苦笑して言った。「じゃ

(これだけはかくじつだね。--このべっそうのしゅじんははいびょうになって、それからえんげいを)

これだけは確実だね。――この別荘の主人は肺病になって、それから園芸を

(たのしんでいて、・・・・・・」「それからきょねんあたりしんだんだろう。」ぼくらはまた)

楽しんでいて、……」「それから去年あたり死んだんだろう。」僕等はまた

(まつのなかを「ゆうゆうそう」のげんかんへひきかえした。はなすすきはいつかかぜだっていた。「ぼくらの)

松の中を「悠々荘」の玄関へ引き返した。花芒はいつか風立っていた。「僕等の

(すむにはひろすぎるが、--しかしとにかくいいうちだね。・・・・・・」tくんはかいだんを)

住むには広過ぎるが、――しかしとにかく好い家だね。……」T君は階段を

(あがりながら、ひとりごとのようにこういった。「このべるはいまでもなるかしら。」)

上りながら、独言のようにこう言った。「このベルは今でも鳴るかしら。」

(べるはきづたのはのなかにわずかにぼたんをあらわしていた。ぼくはそのべるのぼたんへ--)

ベルは木蔦の葉の中にわずかに釦をあらわしていた。僕はそのベルの釦へ――

(ぞうげのぼたんへゆびをやった。べるはあいにくならなかった。が、まんいちなったとしたら、)

象牙の釦へ指をやった。ベルは生憎鳴らなかった。が、万一鳴ったとしたら、

(--ぼくはなにかぶきみになり、2どとおすきにはならなかった。「なんと)

――僕は何か無気味になり、二度と押す気にはならなかった。「何と

(いったっけ、このうちのなは?」sさんはげんかんにたたずんだまま、とつぜんだれにともなしに)

言ったっけ、この家の名は?」Sさんは玄関に佇んだまま、突然誰にともなしに

(たずねかけた。「ゆうゆうそう?」「うん。ゆうゆうそう。」ぼくら3にんはしばらくのあいだ、)

尋ねかけた。「悠々荘?」「うん。悠々荘。」僕等三人はしばらくの間、

(なんのことばもかわさずにぼうぜんとげんかんにたたずんでいた、のびほうだいのびたにわしばだの)

何の言葉も交さずに茫然と玄関に佇んでいた、伸び放題伸びた庭芝だの

(ひあがったふるいけだのをながめながら。)

干上った古池だのを眺めながら。

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