海野十三小説

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投稿者投稿者由佳梨いいね3お気に入り登録1
プレイ回数3527難易度(5.0) 5487打 長文
ショート・ホラー。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 すもさん 5521 A 5.8 94.7% 966.3 5648 313 76 2024/11/14

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問題文

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(「とうとうにょうぼうをころしてしまった」わたしはなおもえきたいをかきまわしながら、ひとりごとを)

「とうとう女房を殺してしまった」私は尚も液体を掻き廻しながら、独り言を

(いった。おおきなきんぞくせいのおけに、そのしろいえきたいがはいっていた。おけのしたはでんねつであたため)

云った。大きな金属製の桶に、その白い液体が入っていた。桶の下は電熱で温め

(られている。ちょっとでも、てをやすめるいとまはない。しろいえきたいはたえずぐるぐると)

られている。ちょっとでも、手を憩める遑はない。白い液体は絶えずグルグルと

(うずをまいてかきまわされていなければならない。えきたいはしろくなってきたが、)

渦を巻いて掻き廻わされていなければならない。液体は白くなって来たが、

(もっともっとしろくならなければならないのだ。まだまだかきまわしかたがたりない)

もっともっと白くならなければならないのだ。まだまだ掻き廻わし方が足りない

(のにちがいない。わたしはおちかかるしろいじっけんいのそでを、またひじのうえまでまくりあげた。)

のに違いない。私は落ちかかる白い実験衣の袖を、また肘の上まで捲りあげた。

(このしろいえきたいのなかには、じつはにょうぼうのしたいがとけこんでいるのだ。ある3つの)

この白い液体の中には、実は女房の屍体が溶けこんでいるのだ。或る三つの

(やくひんを、あるわりあいにはいごうし、あるのうどにうすめて、あるおんどにたもっておくと、1ばん)

薬品を、或る割合に配合し、或る濃度に薄めて、或る温度に保って置くと、一番

(にんげんのからだがとけやすくなる。これはたねんわたしがくしんしてえたところのけんきゅうで)

人間の身体が溶けやすくなる。これは多年私が苦心して得たところの研究で

(あった。しかししたいをほうりこんだとて、さとうがゆにとけるようにずるずると)

あった。しかし死体を抛りこんだとて、砂糖が湯に溶けるようにズルズルと

(かんたんにとけてはくれない。そうとうのじかんがひつようである。そしてじゅうぶんなるちゅういと)

簡単に溶けては呉れない。相当の時間が必要である。そして充分なる注意と

(にんたいとがいった。たとえば、したいがとけてのうどがあるかしょだけこくなりすぎると、)

忍耐とが要った。例えば、屍体が溶けて濃度が或る個所だけ濃くなり過ぎると、

(すぐそのぶぶんがへんしつしてふようかいせいのしんせいぶつをしょうずる。そこにかくはんのむずかしい)

直ぐその部分が変質して不溶解性の新成物を生ずる。そこに攪拌の六ヶ敷い

(てぎわがいりようだ。「だが、にょうぼうをころすまでのことはなかった--」わたしはせんこくから、)

手際が入用だ。「だが、女房を殺すまでのことは無かった――」私は先刻から、

(はらいのけてもまたいずみのようにわきあがってくるこうかいのねんをどうすることもできなく)

払いのけても又泉のように湧き上ってくる後悔の念をどうすることも出来なく

(なった。ころすまでは、どうしてもころさねばいられないにょうぼうだったが、こうやって)

なった。殺すまでは、どうしても殺さねばいられない女房だったが、こうやって

(ころしてしまうと、ころすほどのことはなかったのだというきがする。そのうえこの)

殺してしまうと、殺すほどのことはなかったのだという気がする。その上この

(したいのしまつのてかずのかかることはどうだ。けいかんがかぎつけてやってくるまでには)

屍体の始末の手数のかかることはどうだ。警官が嗅ぎつけてやってくるまでには

(ゆび1ぽんのこらず、とかしてしまわねばならない。きのせいかえきたいはだんだんとしろく)

指一本残らず、溶かしてしまわねばならない。気のせいか液体はだんだんと白く

(なってきたようだ。いよいよじゅうぶんにとけてきたものらしい。そのとき、)

なって来たようだ。いよいよ充分に溶けてきたものらしい。そのとき、

など

(ほとほとといりぐちをのっくするものがあった。「ちょっとあけてください」わたしは)

ホトホトと入口をノックする者があった。「ちょっと開けて下さい」私は

(ちぇっとしたうちをした。(けいかんだな。--)もうほんのすこしというところだ。いま)

チェッと舌打ちをした。(警官だナ。――)もうホンの少しというところだ。今

(あけてはこまる。だまっていよう。わたしはえきたいをかきまわすてをはやめた。ひたいからあせが)

開けては困る。黙っていよう。私は液体を掻き廻す手を早めた。額から汗が

(ぼたぼたとおちて、おけのなかにはいる。わたしはかおをよこにまげた。「どうしてあけて)

ボタボタと落ちて、桶の中に入る。私は顔を横に曲げた。「どうして開けて

(くれないのですね、ちょっとあけてください」けいかんのやつ、きをいらいらしているぞ。)

くれないのですね、ちょっと開けて下さい」警官の奴、気を苛々しているぞ。

(なんといってもあけるものか。そしてこのあいだに、すっかりとかして)

何といっても開けるものか。そしてこの間に、すっかり溶かして

(しまわなくちゃ。「だが、ころさなくてもよかったものを」とわたしはまたこうかいの)

しまわなくちゃ。「だが、殺さなくてもよかったものを」と私はまた後悔の

(ふくしゅうをした。「ころしたばっかりに、こんないっしょけんめいにきかいのまねをせにゃ)

復習をした。「殺したばっかりに、こんな一所懸命に器械の真似をせにゃ

(ならぬ。そのうえににがてのけいかんまでにかおをあわせねばならないじゃないか。)

ならぬ。その上に苦が手の警官までに顔を合わせねばならないじゃないか。

(なんというそんなことをわたしはやってしまったのだろう!」そのときいりぐちがぱっと)

何という損なことを私はやってしまったのだろう!」そのとき入口がパッと

(さゆうにひらいた。よそうのとおりけいかんのすがたがあらわれた。とうとうはいってきたのだ。)

左右に開いた。予想のとおり警官の姿が現れた。とうとう入って来たのだ。

(あいかぎであけたのにちがいない。けいかんはわたしのそばにちかづくと、むごんのまま、えきたいをのぞき)

合鍵で開けたのに違いない。警官は私の傍に近づくと、無言の儘、液体を覗き

(こんだ。わたしはうんうんうなりながらむちゅうになってしろいえきたいをかきまわした。けいかんは)

こんだ。私はウンウン呻りながら夢中になって白い液体を掻き廻わした。警官は

(なんにもいわない。なにもいわぬだけ、わたしのしんぞうはけいかんのてのうちににぎられている)

何にも言わない。何も言わぬだけ、私の心臓は警官の掌のうちに握られている

(ようにぶきみだった。えきたいをかきまわしているうでがきのせいか、なんとなく)

ように無気味だった。液体を掻きまわしている腕が気のせいか、何となく

(きかなくなるようだ。えきめんにふれんばかりにかおをちかづけていたけいかんがうむと)

利かなくなるようだ。液面に触れんばかりに顔を近づけていた警官がウムと

(うなった。わたしはどきんとした。なんだかちらりとあかいものが、えきのなかからみえた)

呻った。私はドキンとした。なんだかチラリと赤いものが、液の中からみえた

(ようにおもった。だがよくよくみると、やはりしろいえきたいがうずをまいているだけだ。)

ように思った。だがよくよく見ると、矢張り白い液体が渦を巻いているだけだ。

(わたしはへいきをよそおった。だがそのどりょくはまもなくむなしくなってしまった。れいのあかい)

私は平気を装った。だがその努力は間もなく空しくなってしまった。例の赤い

(かたまりが、ちょろちょろとえきめんにうきあがってきたのだった。わたしはあわててちからをいれると)

塊が、チョロチョロと液面に浮き上って来たのだった。私は慌てて力を入れると

(きゅうそくにかきまわした。するといじわるく、つよくかきまわせばかきまわすほど、)

急速に掻き廻わした。すると意地悪く、強く掻き廻わせば掻き廻わすほど、

(ぽくりぽくりとあかいかたまりがかずをましてうきあがってきた。わたしはきょうふにまっさおになって、)

ポクリポクリと赤い塊が数を増して浮き上ってきた。私は恐怖に真青になって、

(えきたいをかきまわした。するとこんどは、りょううでがまったくうごかなくなってしまった。)

液体を掻き廻わした。すると今度は、両腕が全く動かなくなってしまった。

(けいかんがわたしのうでをしっかりおさえてしまったのだった。ばんじきゅうす!「わたしはにょうぼうを)

警官が私の腕をシッカリ抑えてしまったのだった。万事休す! 「私は女房を

(ころすつもりはなかったのです。うそはいいません。ほんとうなのです。わたしはよくそれを)

殺すつもりは無かったのです。嘘は云いません。本当なのです。私はよくそれを

(しっています」わたしはぽろぽろなみだをながしながら、けいかんにうったえた。おけのなかにはしろい)

知っています」私はポロポロ泪を流しながら、警官に訴えた。桶の中には白い

(えきたいがいきものであるかのようにひとりでうずをまいている。しかしそのえきたいにはいまや)

液体が生き物であるかのように独りで渦を巻いている。しかしその液体には今や

(あからさまにおおきいあかいかたまり--それはにょうぼうのにくかいだった--がぽっかりとうかんで)

明ら様に大きい赤い塊――それは女房の肉塊だった――がポッカリと浮かんで

(いた。しゅうねんぶかいにくかいだった。おそろしさのあまり、きゅうにめがくらくらっとした。)

いた。執念ぶかい肉塊だった。恐ろしさの余り、急に眼がクラクラッとした。

(そしていくじなくもそのばにたおれてしまった。しかしなおもわたしはさけびつづけた。)

そして意気地なくもその場に仆れてしまった。しかし尚も私は叫びつづけた。

(***)

* * *

(「わたしはにょうぼうをころすきはなかったのです」「にょうぼうをころすきはなかったのに、)

「私は女房を殺す気はなかったのです」「女房を殺す気はなかったのに、

(とうとうころしてしまった」わたしはなおもさけんでいた。「ほ、ほ、ほ、ほ」おんなのわらう)

とうとう殺してしまった」私は尚も叫んでいた。「ホ、ホ、ホ、ホ」女の笑う

(こえがする。おお、あれはたしかにしんだにょうぼうのわらいごえだ!こえのするほうをみる)

声がする。おお、あれはたしかに死んだ女房の笑い声だ! 声のする方を見る

(と、いつのまにかにょうぼうがわたしとかたをならべてあるいている。「ほ、ほ、ほ、ほ」と)

と、いつの間にか女房が私と肩を並べて歩いている。「ホ、ホ、ホ、ホ」と

(にょうぼうはわらいつづける。わたしはきゅうにはずかしくなってきた。にょうぼうはいきていたのだ。)

女房は笑いつづける。私は急に恥かしくなって来た。女房は生きていたのだ。

(それだのに、「わたしはにょうぼうをころした」とどなっていたのだ。そしてひともあろうに、)

それだのに、「私は女房を殺した」と怒鳴っていたのだ。そして人もあろうに、

(にょうぼうのやつにすっかりきかれてしまった。「まあ、よかった」とわたしははじもがいぶんも)

女房の奴にすっかり聴かれてしまった。「まあ、よかった」と私は恥も外聞も

(わすれてにょうぼうにはなしかけた。「わたしは、おまえをころしたとばかりおもっていたよ。おまえは)

忘れて女房に話しかけた。「私は、お前を殺したとばかり思っていたよ。お前は

(いきていてくれて、こんなにうれしいことはない」「なにをいってんのよお」と)

生きていて呉れて、こんなに嬉しいことは無い」「何を云ってんのよオ」と

(にょうぼうはにやりとわらった。「あんたはあたしをころしたにちがいないわ」「おどかしっこ)

女房はニヤリと笑った。「あんたはあたしを殺したに違いないわ」「威しっこ

(なしさ。いまおまえはわたしのそばにこうやってかたをならべてあるいているじゃないか」)

なしサ。現在お前は私の傍にこうやって肩を並べて歩いているじゃないか」

(そうはいったものの、あのふかなさけのにょうぼうがまたしてもそばにへばりついているのかと)

そうは云ったものの、あの深か情の女房が又しても傍にへばりついているのかと

(おもうと、わたしは5たいのちからが1ときにぬけてしまうようにかんじたのだった。「あんたは)

思うと、私は五体の力が一時に抜けてしまうように感じたのだった。「あんたは

(ずいぶんおばかさんね」にょうぼうはおかしそうにわらった。「なぜさ」わたしはむっとした。)

随分お莫迦さんネ」女房はおかしそうに笑った。「何故さ」私はムッとした。

(「そうよ、おばかさんにちがいないわ。1たいあんたはなぜあたしのそばにいるんだか)

「そうよ、お莫迦さんに違いないわ。一体あんたは何故あたしの傍に居るんだか

(よくかんがえてごらんなさい。あたしはあんたにころされてしまったのよ。しんだにんげん)

よく考えて御覧なさい。あたしはあんたに殺されてしまったのよ。死んだ人間

(なのよ。そのしんだにんげんとあんたはかたをならべてあるいているんじゃないの。)

なのよ。その死んだ人間とあんたは肩を並べて歩いているんじゃないの。

(どうしてしんだにんげんとならんであるいていけるとおもって?そんなことができる)

どうして死んだ人間と並んで歩いて行けると思って? そんなことが出来る

(ばあいは、たった1つだけよ。それはね、あんたもしんでしまったばあいなんだわ。)

場合は、たった一つだけよ。それはネ、あんたも死んでしまった場合なんだわ。

(つまりあんたはいきているとおもっているらしいけれど、ほんとうはとっくのむかししんで)

つまりあんたは生きていると思っているらしいけれど、本当は夙くの昔死んで

(しまっているのよ。にょうぼうごろしのつみでしけいになったんじゃありませんか。ほ、ほ、)

しまっているのよ。女房殺しの罪で死刑になったんじゃありませんか。ホ、ホ、

(ほ、ほ」にょうぼうのわらいごえがおわるかおわらないうちに、いままであるいていたとおもった)

ホ、ホ」女房の笑い声が終るか終らない裡に、今まで歩いていたと思った

(のっぱらのけしきがきゅうにうすれて、いつしかあたりにはまっしろのくもがうずをまいていた。)

野ッ原の景色が急に薄れて、いつしかあたりには真白の雲が渦を巻いていた。

(たしかにそれは、あのよのふうけいにちがいなかった。わたしはきょうふのあまりそのばにたち)

確かにそれは、あの世の風景に違いなかった。私は恐怖のあまり其の場に立ち

(すくんだ。--あるよるのゆめより--)

竦んだ。――或る夜の夢より――

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