源氏物語 若菜上「朱雀院、女三宮の将来を案じる」
問題文
(すざくいんのみかど、ありしみゆきののち、そのころほひより、れいならずなやみわたらせたまふ)
朱雀院の帝、ありし御幸の後、そのころほひより、例ならず悩みわたらせたまふ
(もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはものこころぼそくおぼしめされて、)
もとよりあつしくおはしますうちに、このたびはもの心細く思し召されて、
(「としごろおこなひのほいふかきを、きさいのみやおはしましつるほどは、)
「年ごろ行なひの本意深きを、后の宮おはしましつるほどは、
(よろづはばかりきこえさせたまひて、いままでおぼしとどこほりつるを、)
よろづ憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、
(なほそのほうにもよほすにやあらむ、よにひさしかるまじきここちなむする」)
なほその方にもよほすにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」
(などのたまはせて、さるべきみこころまうけどもせさせたまふ。)
などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
(みこたちは、とうぐうをおきたてまつりて、おんなみやたちなむよんところおはしましける。)
御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四所おはしましける。
(そのなかに、ふじつぼときこえしは、せんだいのげんじにぞおはしましける。)
その中に、藤壺と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける。
(まだばうときこえさせしときまいりたまひて、たかきくらいにもさだまりたまべかりしひとの、)
まだ坊と聞こえさせし時参りたまひて、高き位にも定まりたまべかりし人の、
(とりたてたるおんうしろみもおはせず、ははかたもそのすぢとなく、ものはかなきかういばらにて)
取り立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく、ものはかなき更衣腹にて
(ものしたまひければ、おんまじらひのほどもこころぼそげにて、おほきさきの、)
ものしたまひければ、御交じらひのほども心細げにて、大后の、
(ないしのかみをまいらせたてまつりたまひて、)
尚侍を参らせたてまつりたまひて、
(かたはらにならぶひとなくもてなしきこえたまひなどせしほどに、けおされて、)
かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気圧されて、
(みかどもみこころのうちに、いとほしきものにはおもひきこえさせたまひながら、)
帝も御心のうちに、いとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、
(をりさせたまひにしかば、かひなくくちをしくて、)
下りさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、
(よのなかをうらみたるやうにてうせたまひにし。そのおんはらのおんなさんのみやを、)
世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし。その御腹の女三の宮を、
(あまたのおんなかに、すぐれてかなしきものにおもひかしづききこえたまふ。)
あまたの御中に、すぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ。
(そのほど、おんとし、とほあまりさん、よんばかりおはす。)
そのほど、御年、十三、四ばかりおはす。
(「いまはとそむきすて、やまごもりしなむのちのよにたちとまりて、)
「今はと背き捨て、山籠もりしなむ後の世にたちとまりて、
(たれをたのむかげにてものしたまはむとすらむ」と、)
誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」と、
(ただこのおんことをうしろめたくおぼしなげく。にしやまなるおんてらつくりはてて、)
ただこの御ことをうしろめたく思し嘆く。西山なる御寺造り果てて、
(うつろはせたまはむほどのおんいそぎをせさせたまふにそへて、)
移ろはせたまはむほどの御いそぎをせさせたまふに添へて、
(またこのみやのおんもぎのことをおぼしいそがせたまふ。)
またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。
(いんのうちにやむごとなくおぼすおんたからもの、おんてうどどもをばさらにもいはず、)
院のうちにやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにもいはず、
(はかなきおんあそびものまで、すこしゆえあるかぎりをば、)
はかなき御遊びものまで、すこしゆゑある限りをば、
(ただこのおんかたにとりわたしたてまつらせたまひて、そのつぎつぎをなむ、)
ただこの御方に取りわたしたてまつらせたまひて、その次々をなむ、
(ことみこたちには、おんそぶんどもありける。)
異御子たちには、御処分どもありける。