『荀子』 勧学篇(長文)

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学ぶ者すべての人が心に留めておきたい名文です。
戦国時代末期の儒学者荀子の名文です。
「青は藍より出でて藍よりも青し。氷は水より成って水よりも寒し」
の成句で有名な『荀子』勧学篇より抜粋です。
独断と偏見でふんわり意訳しております。
詳しくは大家の翻訳を参照ください。

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問題文

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(がくもんというものはけいぞくしてこそいみがある。)

学問というものは継続してこそ意味がある。

(あおのせんりょうは、あいのくさからとるが、そのいろはもとのくさよりもあおいではないか。)

青の染料は、藍の草から取るが、その色は元の草よりも青いではないか。

(こおりはみずからできるがそれは、もとのみずよりもつめたいではないか。)

氷は水からできるがそれは、元の水よりも冷たいではないか。

(もともとのきは、たとえばじょうぎのようにまっすぐであったとして、)

もともとの木は、例えば定規のように真っ直ぐであったとして、

(これをためてしゃりんにかこうするとしよう。)

これを矯めて車輪に加工するとしよう。

(するとそのきょくせんはこんぱすでけいそくできるほどのえんけいになる。)

するとその曲線はコンパスで計測できるほどの円形になる。

(こうなったらたとえかわかしても、もうもとのまっすぐなかたちにはもどることはない。)

こうなったらたとえ乾かしても、もう元の真っ直ぐな形には戻ることはない。

(それは、まげるちからをくわえそのようにかこうしたからなのだ。)

それは、曲げる力を加えそのように加工したからなのだ。

(つまりきはじょうぎをつかってかこうすればまっすぐなもくざいとなり、)

つまり木は定規を使って加工すれば真っ直ぐな木材となり、

(きんぞくはといしでけんますればえいりなぶきとなろう。)

金属は砥石で研磨すれば鋭利な武器となろう。

(このようなわけで、きみたちもなにごともひろくまなびまいにちおこたりなくつねにじこをかえりみ、)

このような訳で、君たちも何事も広く学び毎日怠りなく常に自己を省りみ、

(ひびけんさんすれば、いよいよきみたちのちえはあきらかになって、)

日々研鑽すれば、いよいよ君たちの智恵はあきらかになって、

(おこないにあやまちのないにんげんとなることができるのである。)

行いに過ちのない人間となることができるのである。

(しかし、たかいやまにのぼらなければいだいなてんのたかさをしることができない。)

しかし、高い山に登らなければ偉大な天の高さを知ることが出来ない。

(ふかいけいこくにおりなければ、いだいなちのあつさをしることができない。)

深い渓谷に下りなければ、偉大な地の厚さを知ることが出来ない。

(つまりはまず、わがくにのゆうきゅうのれきしのなかで、これまでわがくにのぶんめいを)

つまりはまず、わが国の悠久の歴史の中で、これまでわが国の文明を

(つくりだしたせんくしゃであるせんおうたちがのこしたぎょうせきをよくまなびとらなければ、)

作り出した先駆者である先王たちが残した業績をよく学び取らなければ、

(がくもんがいかにぜつだいであることをしんにしることができない。)

学問がいかに絶大であることを真に知ることが出来ない。

(せかいにはいろいろなくに・みんぞくがあるが、うまれたときはみなおなじこえでなく。)

世界にはいろいろな国・民族があるが、生まれたときは皆同じ声で泣く。

(しかしせいちょうすれば、それぞれのしゅうぞくをみにつけていじんとなってしまう。)

しかし成長すれば、それぞれの習俗を身につけて異人となってしまう。

など

(これはけっしてうまれつきのさなのではなく、そのごのきょういくのさなのである。)

これは決して生まれつきの差なのではなく、その後の教育の差なのである。

(つまりまなぶことときょういくというものでいかにかわるかということだ。)

つまり学ぶことと教育というもので如何に変わるかということだ。

(こうしはこうおっしゃった。)

孔子はこうおっしゃった。

(「わたしはかつてしゅうじつじぶんのあたまのなかだけでしさくしていたものだが、)

「私はかつて終日自分の頭の中だけで思索していたものだが、

(それはわずかなじかんただしくまなんだことにすらおよばなかった。)

それはわずかな時間正しく学んだことにすら及ばなかった。

(わたしはかつてつまさきをたててながめてみたものだが、)

私はかつてつま先を立てて眺めてみたものだが、

(それはたかいやまにのぼってひろくみまわしたことにはとおくおよばなかった」)

それは高い山に登って広く見回したことには遠く及ばなかった」

(たかいところにのぼっててまねきすれば、じぶんのうでがながくなったわけでないのに、)

高い所に登って手招きすれば、自分の腕が長くなったわけでないのに、

(とおくのひとからもみてもらえるようになる。)

遠くの人からも見てもらえるようになる。

(またおいかぜにのせてひとをよべば、)

また追い風に乗せて人を呼べば、

(こえがおおきくなったわけでないのに、はっきりときいてもらうことができる。)

声が大きくなったわけでないのに、はっきりと聞いてもらうことができる。

(ばしゃにのれば、けっしてじぶんのあしがつよくなったわけでないのに、)

馬車に乗れば、決して自分の足が強くなったわけでないのに、

(せんり(やく400km)をはしることもできる。)

千里(約400km)を走ることもできる。

(またふねをつかえば、じぶんがおよげるわけではないのに、)

また舟を使えば、自分が泳げるわけではないのに、

(こうがやちょうこうをわたることすらできる)

黄河や長江を渡ることすらできる。

(きみたちもまたおなじなのだ。)

君たちもまた同じなのだ。

(ゆうしゅうなにんげんとはうまれつきなのではない。)

優秀な人間とは生まれつきなのではない。

(ただがくしゅうによってちからをえたものだけが、すぐれたにんげんとなれるのである。)

ただ学習によって力を得た者だけが、優れた人間となれるのである。

(ところでなんぽうに、「みそさざい」というとりがいる。)

ところで南方に、「みそさざい」という鳥がいる。

(そのとりははねをあつめこれをかみであみこんですをつくり、)

その鳥は羽を集めこれを髪で編みこんで巣を作り、

(そのすをあしのほにひっかける。)

その巣を葦の穂にひっかける。

(ところがきょうふうでそのあしがおれてしまうと、)

ところが強風でその葦が折れてしまうと、

(すがおち、すのなかのたまごはわれてこはしんでしまう。)

巣が落ち、巣の中の卵は割れて子は死んでしまう。

(これは、すのつくりかたがまちがっていたのではない。)

これは、巣の作り方が間違っていたのではない。

(かけたあしがわるかったのだ。)

かけた葦が悪かったのだ。

(またせいほうに、「ひおうぎ」というくさばながある。)

また西方に、「ひおうぎ」という草花がある。

(くきのながさはわずかよんすん(やく9cm)しかないが、そびえたつこうざんのうえにさき)

茎の長さはわずか四寸(約9cm)しかないが、聳え立つ高山の上に咲き

(それはひゃくじん(やく157m)のがけのうえにある。)

それは百仞(約157m)の崖の上にある。

(このはながたかくにあおぐことができるのは、じしんのくきがながくせいちょうしたからではない。)

この花が高くに仰ぐことができるのは、自身の茎が長く生長したからではない。

(たっているところがたかいからである。)

立っている所が高いからである。

(よもぎはちをはうくさであるが、じょうこうなあさのあいだにはえたときはまっすぐにたつ。)

蓬は地を這う草であるが、丈高な麻の間に生えた時は真っ直ぐに立つ。

(らんかいのねは、「し」というこうそうである。)

蘭槐の根は、「芷」という香草である。

(しかしこれをおすいにひたすと、)

しかしこれを汚水に浸すと、

(くんしはみむきもせず、しょみんもつかうところではないだろう。)

君子は見向きもせず、庶民も使うところではないだろう。

(これはけっしてしそのものがきたないからではない。)

これは決して芷そのものが汚いからではない。

(ひたしたみずがきたないからである。)

浸した水が汚いからである。

(わかっただろうか。)

わかっただろうか。

(だからきみたちはかならずかんきょうのよいちをえらびすむこと。)

だから君たちは必ず環境の良い地を選び住むこと。

(そして、かならずりっぱなしをえらびこうゆうすること。)

そして、必ず立派な士を選び交友すること。

(こうするのはまなぶにがいのあるあくのみちにはずれるのをふせぎ、)

こうするのは学ぶに害のある悪の道に外れるのを防ぎ、

(ちゅうせいのとくにちかづくためなのだ。)

中正の徳に近づくためなのだ。

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