王陽明の書簡『伝習録』〈現代語訳〉長文

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王陽明による聶文蔚への書簡(抜粋)です。
明代の大儒学者王陽明の思想がよく分かる文書です。

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問題文

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(ひとはてんちのこころであり、てんちばんぶつはほんらいわれわれといったいのものである。)

人は天地の心であり、天地万物は本来我々と一体のものである。

夫れ人は天地の心にして、天地万物はもと吾が一体なり、

(じんみんのくるしみはどれひとつとっても、わがみをさすいたみでないものはない。)

人民の苦しみはどれ一つとっても、吾が身を刺す痛みでないものはない。

生民の困苦茶毒は孰れか疼痛の吾が身に切なるものにあらざらんや、

(わがみのいたみにきがつかぬものは、「ぜひのこころ」をもたぬものである。)

吾が身の痛みに気がつかぬものは、「是非の心」を持たぬ者である。

吾が身の疼痛を知らざるは、是非の心なきものなり、

(ぜひのこころとは「おもんぱからずしてしり、まなばずしてよくする」もの、)

是非の心とは「慮らずして知り、学ばずして能くする」もの、

是非の心は慮らずして知り、学ばずして能くす、

(いわゆる「りょうち」である。)

所謂「良知」である。

いわゆる良知なり、

(りょうちはせいとぐとをとわず、てんかここんすべてのひとびとにそなわっているものである。)

良知は聖と愚とを問わず、天下古今すべての人々に備わっているものである。

良知の人心にある、聖愚を間つるなく、天下古今の同じところなり、

(よのくんしはただみずからそのりょうちをいたすことにつとめさえすれば、)

世の君子はただ自らその良知を致すことに努めさえすれば、

世の君子惟その良知を致さんことを務むれれば、

(ぜひのこころ、こうおのこころはばんにんきょうつうのものとなり、ひととじぶんのさべつがなくなり、)

是非の心、好悪の心は万人共通のものとなり、人と自分の差別がなくなり、

即ち自ら能く是非を公にし好悪を同じくし、人を視ること己の如く、

(くにはわがやにひとしく、てんちばんぶつはいったいとなる。)

国は我が家に等しく、天地万物は一体となる。

国を視ること家のごとくにして、天地万物を以って一体となす。

(こうなればいやだといっても、てんかはたいへいになるのである。)

こうなれば嫌だといっても、天下は太平になるのである。

天下の治まるなからむことを求むるも得べからざるなり。

(こじんは、ひとのぜんをみればわがこといじょうによろこび、あくをみればわがみいじょうにかなしみ、)

古人は、人の善を見れば我がこと以上に喜び、悪を見れば我が身以上に悲しみ、

古の人の能く善を見ること啻に己より出ずるが若きのみならず、悪を見ること啻

(たみのうえくるしみをわがことのようにくるしんだのは、)

民の飢苦しみを我が事のように苦しんだのは、

に己入るが若きのみならず、民の飢溺を視ること猶お己の飢溺するが如く、

(てんかのしんらいをえるためにいとてきにしたのではない。)

天下の信頼を得るために意図的にしたのではない。

故らに是を為して以って天下の己を信ぜんことを靳むるに非ざるなり、

(じぶんのりょうちをいたしてわがこころのまんぞくをえようとつとめたけっか、)

自分の良知を致して我が心の満足を得ようと務めた結果、

其の良知を致し、

(しぜんにそうなったにすぎない。)

自然にそうなったにすぎない。

自ら謙きことを求めんと務むるのみ、

(ところがこうせい、りょうちのがくがわすれさられ、)

ところが後世、良知の学が忘れ去られ、

後世良知の学明らかならずして、

(てんかのひとはしちをもちいてたがいにあらそうようになった。)

天下の人は私智を用いて互いに争うようになった。

天下の人其の私智を用いて以って相比軋す、

(じんぎのびめいをかたってじょうよくをほしいままにし、)

仁義の美名をかたって情欲を恣にし、

外は仁義の名を借り、内は以って其の自私自利の実を行い、

(いっかこつにくのあいだでさえたいりつとさべつがひろがっているのだから、)

一家骨肉の間でさえ対立と差別が広がっているのだから、

(ましててんかこっかにいたってはいったいとみることはとうていふかのうである。)

まして天下国家に至っては一体とみることは到底不可能である。

など

(こんらんがはてしなくつづくのもとうぜんであろう。)

混乱が果てしなく続くのも当然であろう。

(わたしはてんのれいによってたまたまりょうちのがくをしり、)

私は天の霊によってたまたま良知の学を知り、

僕誠に天の霊によりて、偶々良知の学を見るあり、

(これによっててんかをおさめることができるとかんがえた。)

これによって天下を治めることが出来ると考えた。

以為らく、必ずこれによりてのち天下得て治むべしと。

(それゆえじんみんのくなんをおもうたびにこころをいため、)

それ故人民の苦難を思う度に心を痛め、

是を以って斯の民の陥溺を念うごとに、即ちこれがために戚然として心を痛め

(みのほどをわすれてりょうちによりじんみんをすくおうとした。)

身のほどを忘れて良知により人民を救おうとした。

その身の不肖を忘れて、これを以ってこれを救わんことを思いて、

(てんかのひとは、こんなわたしをみて、きょうじんだいじょうしゃだとちょうしょうしちゅうしょうした。)

天下の人は、こんな私を見て、狂人だ異常者だと嘲笑し中傷した。

天下の人、其のかくの如きを見て、遂に相与に非笑詆斥し以為らく此れ病狂の人

(だがこんなちょうしょうをかえりみるひまはない。)

だがこんな嘲笑を顧みる暇はない。

の人のみと。嗚呼是れ奚ぞ恤うるに足らんや。

(わがみをさすいたみはあまりにもはげしい。)

吾が身を刺す痛みはあまりにも激しい。

吾疼痛の体に切なるに方りて、人の非笑を計るに暇あらんや、

(おやこきょうだいがしんえんにしずむのをみれば、)

親子兄弟が深淵に沈むのを見れば、

人は固より其の父子兄弟の深淵に墜溺するを見るあれば、

(われをわすれてだんがいにぶらさがってでもたすけようとするであろう。)

我を忘れて断崖にぶら下がってでも助けようとするであろう。

呼嗁匍匐、裸跣顛頓し、岸壁に板懸して下りて之を救わん、

(ところがじょうひんなしんしがたは、そのそばでうやうやしくあいさつをかわし、)

ところが上品な紳士がたは、そのそばで恭しく挨拶を交わし、

士の見る者、方に相与に其の傍らに揖譲談笑し、

(だんしょうしながらこういうのだ。)

談笑しながらこういうのだ。

以為えらく是れ其の

(「れいよういかんをすててあんなにうろたえさわぐとは、きっときょうじん、いじょうしゃだろう」と。)

「礼容衣冠を捨ててあんなに狼狽え騒ぐとは、きっと狂人、異常者だろう」と。

礼貌衣冠を棄てて呼嗁顛頓すること此れの如し、是れ狂を病み心を喪う者なり、

(ああ、よのひとはわたしをきょうじん、いじょうしゃとひょうしているが、それもまちがいではない。)

嗚呼、世の人は私を狂人、異常者と評しているが、それも間違いではない。

嗚呼、今の人僕を謂いて狂を病み心を喪う人と為すと雖も亦不可なし、

(てんかのひとのこころは、みなわがこころなのだ。)

天下の人の心は、皆わが心なのだ。

天下の人心は皆吾が心なり、

(てんかにくるったひとのいるいじょう、どうしてわたしもくるわずにいられよう。)

天下に狂った人のいる以上、どうして私も狂わずにいられよう。

天下の人猶狂を病む者あり、吾安ぞ得て心を喪うに非ざらん。

(せいじょうしんをうしなったひとがいるいじょう、どうしてせいじょうでいられよう。)

正常心を失った人がいる以上、どうして正常でいられよう。

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