南洲翁遺訓〈現代語訳〉37~40

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西郷隆盛の教えです。
ふんわりと現代語に訳しております。
詳しくは大家の翻訳を参照してください。

前半の「1~20」は、主に為政者(上に立つ者)としての訓えが説かれ、
後半の「21~41」は、主に個人の修身についての訓えが説かれています。
個人的には後半の「21~」進めるのがお勧めです。

ローマ字欄に原文を記載してあります。
盛和塾関係の方に是非おすすめです。

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問題文

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(このよにおいてとおくこうせいにいたるまで、ひととしてだれもがとうとくしんじつづけ、)

この世において遠く後世に至るまで、人として誰もが尊く信じ続け、

天下後世迄も信仰

(こころからかんじいることができるもの、それはただひとつ、しんじつのまことのこころだけである。)

心から感じ入ることが出来るもの、それはただ一つ、真実の誠の心だけである。

悦服せらるゝものは、只是一箇の眞誠也。

(こらいよりちちのかたきうちをなしとげたひとは、じつにかぞえきれないほどおおぜいいる。)

古来より父の仇討ちを成し遂げた人は、実に数えきれないほど大勢いる。

古へより父の仇を討ちし人、其の麗ず擧て數へ難き

(そのなかでゆいいつ、そがきょうだいだけが、)

その中で唯一、曽我兄弟だけが、

中に、獨り曾我の兄弟のみ、

(こんせにいたるまでこどもやふじょしでもしらないひとがないくらいゆうめいなのは、)

今世に至るまで子供や婦女子でも知らない人がないくらい有名なのは、

今に至りて兒童婦女子迄も知らざる者の有らざるは、

(そのおおぜいのなかでも、ぬきんでてまことのこころがあつきゆえである。)

その大勢の中でも、抜きん出て誠の心が篤きゆえである。

衆に秀でゝ、誠の篤き故也。

(まことのこころなくして、よのひとからひょうかをえているものもあるが、)

誠の心なくして、世の人から評価を得ている者もあるが、

誠ならずして世に譽らるゝは、

(そのようなものは、ぐうぜんのこううんによるひょうかにすぎない。)

そのようなものは、偶然の幸運による評価に過ぎない。

僥倖の譽也。

(そのまことがしんにあつければ、たとえげんせげんざいにそれをしるひとがなくとも、)

その誠が真に篤ければ、たとえ現世現在にそれを知る人がなくとも、

誠篤ければ、縱令當時知る人無く共、

(こうせいにかならず、そのあつきまことにふかいきょうかんをおぼえるひとがあらわれるものなのである。)

後世に必ず、その篤き誠に深い共感を覚える人が現れるものなのである。

後世必ず知己有るもの也。

(よくよのひとがいう「ちゃんす」とは、)

よく世の人が言う「チャンス」とは、

世人の唱ふる機會とは、

(そのおおくが、たまたま「らっきー」をひきあてただけのことをいう。)

その多くが、たまたま「ラッキー」を引き当てただけのことをいう。

多くは僥倖の仕當てたるを言ふ。

(しんのちゃんすというのはものごとのどうりをつくしておこない、)

真のチャンスというのは物事の道理を尽くして行い、

眞の機會は、理を盡して行ひ、

(じせいをよくみきわめてうごくというところにある。)

時勢をよく見極めて動くというところにある。

勢を審かにして動くと云ふに在り。

(つねひごろに、くにやよのなかのことをうれえるあついまことのこころなくして、)

常日頃に、国や世の中のことを憂える篤い誠の心なくして、

平日國天下を憂ふる誠心厚からずして、

(ただときのはずみにじょうじてせいこうしたけいはくなじぎょうは、)

ただ時のはずみに乗じて成功した軽薄な事業は、

只時のはずみに乘じて成し得たる事業は、

(けっしてながつづきしないものであるぞ。)

決して長続きしないものであるぞ。

決して永續せぬものぞ。

(いまのひとは、さいのうやちしきさえあれば、)

今の人は、才能や知識さえあれば、

今の人、才識有れば

(どんなじぎょうでもおもうままにできるものだ、などとおもっているようだが、)

どんな事業でも思うままに出来るものだ、などと思っているようだが、

事業は心次第に成さるゝものと思へ共、

(さいのうにまかせてするしごとは、いかにもきけんでみてはおられないものだ。)

才能に任せてする仕事は、いかにも危険で見てはおられないものだ。

才に任せて爲す事は、危くして見て居られぬものぞ。

など

(じぎょうはなにごとも、おおもととなるこっかくがあってはじめてなりたつものなのだ。)

事業は何事も、大本となる骨格があって初めて成り立つものなのだ。

體有りてこそ用は行はるゝなり。

(ひごのながおかせんせい(ながおかけんもつ、くまもとはんかろう)のようなりっぱなじんぶつは、)

肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老)のような立派な人物は、

肥後の長岡先生の如き君子は、

(いまやそのひとにちかいじんぶつですら、みることもないようになってしまった、)

今やその人に近い人物ですら、見る事もないようになってしまった、

今は似たる人をも見ることならぬ樣になりたり

(といってなげかれ、こじんのことばをかいてさずけてくださった。)

といって嘆かれ、古人の言葉を書いて授けて下さった。

とて嘆息なされ、古語を書て授けらる。

(「よのなかのことはまことでないかぎりうごかすことはできない。)

「世の中のことは誠でない限り動かす事は出来ない。

「夫天下誠ニ非レバレ動カズ。

(さいのうとしきけんがないかぎりおさめることはできない。)

才能と識見がない限り治める事は出来ない。

才ニ非レバ治ラズ。

(まことにてっするとなにごともせっそくにうごくだろう。)

誠に撤すると何事も拙速に動くだろう。

誠之至ル者。其動ク也速シ。

(さいしきをじゅうぶんにかねそなえたものは、そのおさめるところもこうだいである。)

才識を十分に兼ね備えた者は、その治めるところも宏大である。

才之周ネキ者。其治也廣シ。

(そのさいしきとまことのこころとがあいあわさり、)

その才識と誠の心とが相合わさり、

才ト誠與合シ。

(しかるのち、はじめてじぎょうというものはなしえることができる」)

然る後、初めて事業というものは成し得ることが出来る」

然ル後事ヲ成ス可シ。

(あるひ、なんしゅうおうにしたがっていぬをつれてうさぎをおい、)

ある日、南洲翁に従って犬を連れて兎を追い、

翁に從て犬を驅り兎を追ひ、

(やまやたにをさんさくばっしょうしていちにちじゅうかりをしていた。)

山や谷を散策跋渉して一日中狩りをしていた。

山谷を跋渉して終日獵り暮らし、

(そしていなかののうかにとうしゅくし、ふろにはいりみもこころもさっぱりそうかいになったとき、)

そして田舎の農家に投宿し、風呂に入り身も心もさっぱり爽快になった時、

一田家に投宿し、浴終りて心神いと爽快に見えさせ給ひ、

(ゆうぜんとしてなんしゅうおうはこうおっしゃった。)

悠然として南洲翁はこう仰った。

悠然として申されけるは、

(「くんしのこころというものは、つねにこのようなそうかいなものなのであろうとおもう」と。)

「君子の心というものは、常にこのような爽快なものなのであろうと思う」と。

「君子の心は常に斯の如くにこそ有らんと思ふなり」と。

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