究極世界史⑨
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問題文
(ずいをほろぼして618ねんにとうをけんこくしたのはぐんばつのりえん)
隋を滅ぼして618年に唐を建国したのは軍閥の李淵
(ようけんがきゅうひんちゅうせいをはいししあらたなかんりとうようせいどとしてかきょをしいた)
楊堅が九品中正を廃止し新たな官吏登用制度として科挙を敷いた
(ずいのようだいはこうくりえんせいのしっぱいやだいうんがけんせつによってみんしゅうのはんらんをまねいた)
隋の煬帝は高句麗遠征の失敗や大運河建設によって民衆の反乱を招いた
(なんぼくちょうをとういつしずいをけんこくしたのはほくちょうのほくしゅうしゅっしんであるようけん)
南北朝を統一し隋を建国したのは北朝の北周出身である楊堅
(ようだいはちゅうごくのずいでようけんのあとをついでこうていとなった)
煬帝は中国の隋で楊堅の跡を継いで皇帝となった
(ちゅうごくでとうのだい3だいこうていのこうそうはしらぎとれんごうしてちょうせんのこうくりをほろぼした)
中国で唐の第3代皇帝の高宗は新羅と連合して朝鮮の高句麗を滅ぼした
(ちょうあんがちゅうごくとういつおうちょうのしゅととなるのはとうだいがさいごであった)
長安が中国統一王朝の首都となるのは唐代が最後であった
(ちゅうごくのとうでとごふをかいしたしゅうへんみんぞくのかんせつとうちをきびせいさくという)
中国の唐で都護府を介した周辺民族の間接統治を羈縻政策という
(とうのせいけんをうばったそくてんぶこうとそれにつづくいこうによるせいじこんらんをぶいのかという)
唐の政権を奪った則天武后とそれに続く韋后による政治混乱を武韋の禍という
(とうのだい2だいこうていとしてちゅうごくをとういつしたりせいみんのちせいはじょうがんのちとよばれる)
唐の第2代皇帝として中国を統一した李世民の治世は貞観の治と呼ばれる
(ちゅうごくのとうでしおのみつばいにんがひきいたこうそうのらんによってとういつおうちょうからちほうせいけんへ)
中国の唐で塩の密売人が率いた黄巣の乱によって統一王朝から地方政権へ
(とうだいのげんそうがかくちにせっちしたせつどしがのちにじりつしたことがとうのすいたいにつながった)
唐代の玄宗が各地に設置した節度使が後に自立したことが唐の衰退に繋がった
(とうのめつぼうからほくそうのせいりつまでのおおくのくにがこうぼうしたじだいをごだいじゅっこくじだいという)
唐の滅亡から北宋の成立までの多くの国が興亡した時代を五代十国時代という
(ちゅうごくのとうでげんそうのちせいぜんはんのあんていしたじだいをかいげんのちという)
中国の唐で玄宗の治世前半の安定した時代を開元の治という
(げんそうはあんしのらんというせつどしのだいはんらんをういぐるのえんじょをうけてちんあつした)
玄宗は安史の乱という節度使の大反乱をウイグルの援助を受けて鎮圧した
(とうだいちゅうごくのさんしょうにおいてしょうちょくのさくせいをになったのはちゅうしょしょう)
唐代中国の三省において詔勅の作成を担ったのは中書省
(とうだいのへいせいはふへいせいにいきづまりあらたにぼへいせいをどうにゅうした)
唐代の兵制は府兵制に行き詰まり新たに募兵制を導入した
(しはくしはとうだいにはじめてせっちされたかいじょうぼうえきをたんとうするやくしょでみんだいまでつづいた)
市舶司は唐代に初めて設置された海上貿易を担当する役所で明代まで続いた
(とうだいちゅうごくでげんざいのけいほうにそうとうするほうりつをりつとよぶ)
唐代中国で現在の刑法に相当する法律を「律」と呼ぶ
(とうだいにそようちょうせいにいきづまりあらたにどうにゅうされたぜいせいはりょうぜいほうという)
唐代に租庸調制に行き詰まり新たに導入された税制は両税法という
(とうだいちゅうごくにねすとりうすはきりすときょうがでんぱしけいきょうとよばれた)
唐代中国にネストリウス派キリスト教が伝播し景教と呼ばれた
(とうだいちゅうごくでかつやくしたとほはしゅんぼうのさくしゃでしせいとよばれたしじん)
唐代中国で活躍した杜甫は「春望」の作者で「詩聖」と呼ばれた詩人
(とうだいちゅうごくでげんじょうはだいとうさいいききでせいいきのりょこうきをしるした)
唐代中国で玄奘は大東西域記で西域の旅行記を記した
(とうだいちゅうごくでこぶんふっこううんどうのちゅうしんとしてしられるぶんじんはかんゆ)
唐代中国で古文復興運動の中心として知られる文人は韓愈
(とうだいちゅうごくでくようだつがへんさんをしどうしたごきょうせいぎはかきょのてきすとにもなった)
唐代中国で孔穎達が編纂を指導した五経正義は科挙のテキストにもなった
(とっけつはじゅうぜんやえふたるのめつぼうにかんよしとうだいちゅうごくともたいじしたとるこけいみんぞく)
突厥は柔然やエフタルの滅亡に関与し唐代中国とも対峙したトルコ系民族
(もんごるけいのじゅうぜんはほくぎとたいりつしくんしゅがはんのしょうごうをもちいたことでもゆうめい)
モンゴル系の柔然は北魏と対立し君主が「ハン」の称号を用いたことでも有名
(ちゅうごくであんしのらんのさいにとうをえんじょしたういぐるはきるぎすによってしさんした)
中国で安史の乱の際に唐を援助したウイグルはキルギスによって四散した
(とっけつもじはちゅうごくほっぽうのきばゆうぼくみんぞくではじめてどくじにしようされたもじ)
突厥文字は中国北方の騎馬遊牧民族で初めて独自に使用された文字
(ちゅうごくではごこにかぞえられそのいちぶぞくがほくぎをたてたみんぞくはせんぴ)
中国では五胡に数えられその一部族が北魏を建てた民族は鮮卑