大塩中斎 天保の檄文〈現代語訳〉後編
江戸末期、大塩平八郎は与力であったが早くに家督を譲り隠居し当時は「洗心洞」という私塾を開いていた。
それは天保の大飢饉のさなかであり、諸物価は高騰し、大坂でさえ餓死者が出る惨状であった。
大塩はこの惨状を何度も訴え出たが、幕府は何の対策も講じることがなかった。
それかあらぬか役人は自身の立身出世のため、豪商は利益のため結託し江戸へ廻米をする。
そして飢饉にあっても彼らは豪奢な生活をする様であった。
これらの不義に対して大塩は忍に堪えられず、その衷心から大衆を偲びその良心とともに
「腐敗した役人共とこれに結託し暴利を貪る豪商に天誅を加え大衆を救済せよ」
というその旗印とともに武装蜂起を決意する。
大塩平八郎の著書の一つ「洗心洞箚記」は当時、禁書であったにも関わらず多くのものに読まれ、吉田松陰の愛読書でもあった。
彼はこれを「取りて観ることを可となす」と評じ、西郷隆盛もこれを生涯の座右の書とした。
頭山満もこれを座右の書にし生涯持ち歩いたという。
また、維新の志士にも愛読者が多く維新に与えた思想的影響は大きい。
その心底から溢れる良心と尊い覚悟と決意、座して見過ごすことなき実行力。見習いたいものです。
現代語訳ですが、意味をわかりやすくするために、かなりの補足を挿入し意訳しましたが、大筋違わないと思います。
詳しくは大家の翻訳を参照ください。
関連タイピング
-
プレイ回数10万かな114打
-
プレイ回数7079長文652打
-
プレイ回数1573長文かな559打
-
プレイ回数183長文かな2194打
-
プレイ回数2951106打
-
プレイ回数138長文90秒
-
プレイ回数1155長文329打
-
プレイ回数8239長文かな968打
問題文
(よってせっつ、かわち、せんしゅう、はりまのくにのうち、たはたをじぶんでしょゆうしていないもの、)
よって摂津、河内、泉州、播磨の国の内、田畑を自分で所有していない者、
摂河泉播之内、田畑所持不致もの、
(またたとえしょゆうはしていても、)
また例え所有はしていても、
たとへば所持いたし候とも
(ふぼ、さいしやそのたのかぞくをやしなうのがままならないものたちに、)
父母、妻子やその他の家族を養うのがままならない者たちに、
父母妻子家内の養ひ方難出来程之難渋ものえは、
(これらのかねやこめをとらせたい。)
これらの金や米を取らせたい。
右金米等取分ち遣候間、
(それゆえ、おおさかでそうどうがおこったことをつたえきいたものたちは、)
それ故、大坂で騒動が起こったことを伝え聞いた者たちは、
いつにても、大坂市中に騒動起り候と聞伝へ候はゞ、
(えんぽうであるかなどいとわず、いっこくもはやくおおさかへかけつけよ。)
遠方であるかなど厭わず、一刻も早く大坂へ駆けつけよ。
里数を不厭、一刻も早く、大坂へ向馳参べく候、
(さすればめいめいにさきのかねやこめなどをわけあたえる。)
さすれば銘々に先の金や米などを分け与える。
面々え右金米を分遣し可申候、
(これはちゅうおうをちゅうばつしたさい、そのくらであるきょきょうろくだいの)
これは紂王を誅伐した際、その蔵である鉅橋鹿台(きょきょうろくだい)の
鉅橋鹿台の
(かね、あわをしもじものたみにかいほうしたというこじにならい、)
金、粟を下々の民に開放したという故事に倣い、
金粟を下民え被与候趣意に而、
(これはとうめんのききんのなんぎをすくうたしとしたい。)
これは当面の飢饉の難儀を救う足しとしたい。
当時の饑饉難儀を相救遣し、
(またもし、ぎふんありたたかういし、ちからのあるものたちは、)
またもし、義憤あり闘う意志、力のある者たちは、
若又其内器量才力等有之ものは、
(ぐんえきとしてわれらとともに、どうぎなきやからどものせいばつにさんかせよ。)
軍役として我らと共に、道義無き輩どもの征伐に参加せよ。
夫々取立、無道之者共を征伐いたし候にも
(きんまいはそのぐんひにもしようするものである。)
金米はその軍費にも使用するものである。
遣ひ可申候。
(ただし、これはたんにふまんのためぶちこわしをするいっきほうきのたぐいのくわだてとはちがう。)
ただし、これは単に不満の為ぶち壊しをする一揆蜂起の類の企てとは違う。
必一揆蜂起の企とは違ひ、
(このもくてきはじょじょにねんぐやふえきをすくなくし、)
この目的は徐々に年貢や賦役を少なくし、
追々年貢諸役に至る迄軽くいたし、
(かつてのけんむ、ごだいごてんのうやじんむてんのういらいのごせいどうをかいふくさせることである。)
かつての建武、後醍醐天皇や神武天皇以来の御政道を回復させることである。
都て中興 神武帝御政道之通、
(すなわち、かんだいでなさけぶかく、どりょうのひろいせいじをおこなうことで、)
即ち、寛大で情け深く、度量の広い政治を行うことで、
寛仁大度の取扱にいたし遣、
(いまこそきんらいのあくへいである、きょうしゃでほうらつなしゅうぞくをいっそうし、)
今こそ近来の悪弊である、驕奢で放埒な衆俗を一掃し、
年来驕奢淫逸の風.俗を一洗相改、
(けんやくしっそのせぞくにたちかえり、)
倹約質素の世俗に立ち返り、
質素に立戻り、
(すべてのひとびとが、いつもてんのおんをありがたくかんしゃし、)
すべての人々が、いつも天の恩を有り難く感謝し、
四海万民、いつ迄も、 天恩を難有存、
(そのおんけいをもって、ふぼさいしをすこやかにやしなえるよにするのだ。)
その恩恵を以て、父母妻子を健やかに養える世にするのだ。
父母妻子をも養、
(こうして、いまのこのいきじごくからすくわれ、)
こうして、今のこの生き地獄から救われ、
生前之地獄を救ひ、
(しごにおいてのごくらくじょうどをもがんぜんにみいだせるほどの、)
死後においての極楽浄土をも眼前に見い出せる程の、
死後の極楽成仏を眼前に
(あんしんあんらくのよにしたいとおもいねがうものである。)
安心安楽の世にしたいと思い願うものである。
見せ遺し、
(こだいちゅうごくのせいおうといわれたぎょうしゅんじだいや、)
古代中国の聖王といわれた尭舜(ぎょうしゅん)時代や、
尭舜
(いにしえのあまてらすおおみかみのすこやかであったじだいをさいげんするのはむずかしくとも、)
古の天照大神の健やかであった時代を再現するのは難しくとも、
天照皇太神之時代に復し難くとも、
(せめて、けんむのちゅうこうのじだいにまではかいふくしたちもどしたいとかんがえている。)
せめて、建武の中興の時代にまでは恢復し立戻したいと考えている。
中興の気象に、恢復とて、立戻し可申候。
(このかきつけを、むらむらのすべてのひとにおくりたいのであるが、)
この書付を、村々の全ての人に送りたいのであるが、
此書付、村々一々しらせ度候得共、
(なにぶんかずかぎりないので、)
何ぶん数限りないので、
多数之事に付、
(もよりのじんかのおおいむらのじんじゃしんでんとうにはりつけておくことにした。)
最寄りの人家の多い村の神社神殿等に張り付けて置くことにした。
最寄之人家多き大村之神殿え張付置候間、
(これをおおさかからじゅんかいにくるばんにんたちにはしられないようによくよくちゅういし、)
これを大坂から巡回に来る番人たちには知られないようによくよく注意し、
大坂より廻有之番人共にしらせざる様に心懸け、
(そうそうにこのかきつけのないようをむらびとにしらせてもらいたい。)
早々にこの書付の内容を村人に報せて貰いたい。
早々村々え相触可申、
(まんいち、ばんにんどもにみつかってしまい、)
万一、番人どもに見つかってしまい、
万一番人共眼付、
(ぶぎょうしょのかんじんのてさきへちゅうしんにおよぶようなおそれがあれば、)
奉行所の奸人の手先へ注進に及ぶような恐れがあれば、
大坂四ケ所の奸人共え注進致候様子に候はゞ、
(おのおのでもうしあわせ、そのばんにんはもんどうむよう、ひとりのこらずうちころしてしまうように。)
各々で申合せ、その番人は問答無用、一人残らず打ち殺してしまうように。
遠慮なく、面々申合、番人を不残打殺可申候。
(おおさかにはひをはなつ。もしもおおさかでそうどうがおこったことをみみにしていながら、)
大坂には火を放つ。もしも大坂で騒動が起こったことを耳にしていながら、
若右騒動起り候と乍承、
(ぎわくにかられ、みながかけあつまらない、)
疑惑に駆られ、皆が駆け集まらない、
疑惑いたし、馳参不申、
(もしくはおくれてくるようなことであれば、)
もしくは遅れてくるようなことであれば、
又は遅参に及候はゞ、
(そのかねもちどものかねはかいじんにきしてしまうこととなろう。)
その金持ち共の金は灰燼に帰してしまうこととなろう。
金持の金は皆火中の灰に相成、
(そうなってから、てんかのたからもうしなわれてしまったではないかなどともうし、)
そうなってから、天下の宝も失われてしまったではないかなどと申し、
天下の宝を取失可申候間、
(おわってからわれらをさかうらみし、)
終わってから我等を逆恨みし、
跡に而我等を恨み、
(たからをやきはらったむどうものたちだとのかげぐちをのべるようなことはなきようねがう。)
宝を焼き払った無道者たちだとの陰口を述べるようなことは無きよう願う。
宝を捨る無道者と陰言を不致様可致候、
(そうならないために、われらはみなにこのせんげんをはっしたのである。)
そうならない為に、我等は皆にこの宣言を発したのである。
其為一同へ触しらせ候。
(もっともほんけんにおいては、これまでじとうやむらやくたちがほかんする)
もっとも本件においては、これまで地頭や村役たちが保管する
尤是まで地頭村方にある年貢等にかゝわり候
(ぜいにかんするきろくやちょうめんのたぐいは、これすべてひきやぶりやきすてるしょぞんである。)
税に関する記録や帳面の類いは、これ全て引き破り焼き捨てる所存である。
諸記録帳面類は都て引破焼捨可申候
(これは、ふかくおもんぱかりしょうらいにわたってたみをこんきゅうさせないようにかんがえてのことだ。)
これは、深く慮り将来にわたって民を困窮させないように考えてのことだ。
是往々深き慮ある事にて、人民を困窮為致不申積に候。
(さりながらこのたびのわれらのほうきは、かつてのたいらのまさかど、あけちみつひでのむほん、)
さりながらこの度の我等の蜂起は、かつての平将門、明智光秀の謀反、
乍去、此度の一挙、常朝平将門、明智光秀、
(ちゅうごくにおけるはなんそうのりゅうゆう、ごだいごりょうのしゅぜんちゅうのむほんとどうようではないのか、)
中国におけるは南宋の劉裕、五代後梁の朱全忠の謀反と同様ではないのか、
漢土之劉裕、朱全忠之謀叛に類し候
(このようなぜひについてのろんをまたないのもこれまたどうり、しょうちはしている。)
このような是非についての論を待たないのもこれまた道理、承知はしている。
と申者も是非有之道理に候得共、
(しかしわれらいちどうそのしんちゅうには、)
しかし我等一同その心中には、
我等一同、心中に
(かれらのようにてんかこっかをさんだつしようなどといういとなどなく、)
彼らのように天下国家を簒奪しようなどという意図などなく、
天下国家を簒盗いたし候
(よくとくのためにことをおこすのではけっしてない。)
欲得の為に事を起こすのでは決してない。
欲念より起し候事には更無之、
(これは、いささかのししんもないつきやたいよう、てんのほしなどの)
これは、いささかの私心もない月や太陽、天の星などの
日月星辰之
(おおいなるかみのせつりとどうようにして、しかしてこれにもとづくものである。)
大いなる神の摂理と同様にして、しかしてこれに基づくものである。
神鑑にある事にて、
(つまりは、いにしえのちゅうごくのせいおうであるとうおうやぶおう、)
つまりは、古の中国の聖王である湯王や武王、
詰る所は、湯武、
(そしてかんのこうそりゅうほうや、みんのたいそしゅげんしょうが、)
そして漢の高祖劉邦や、明の太祖朱元璋が、
漢高祖、明太祖、民を吊、
(たみをとむらい、てんのめいにおいてあくたるくんしゅをちゅうばつし、)
民を弔い、天の命において悪たる君主を誅伐し、
君を誅し、
(てんちゅうをとりおこなったというまことのこころいがいのなにものでもない。)
天誅を執り行ったという誠の心以外の何物でもない。
天討を執行候誠心而已にて、
(もしそれがうたがわしくおもうならば、われらのなすことのいちぶしじゅう、ことのてんまつを)
もしそれが疑わしく思うならば、我等の為すことの一部始終、事の顛末を
若疑しく覚候はゞ、我等の所業終候処を、
(なんじらはめをみひらいてよくみとどけよ。)
汝らは目を見開いてよく見届けよ。
爾等眼を開て看。
(ただし、このかきつけはこひゃくしょうにおいてはがくもなくじもよめぬものもおおいことから、)
但し、この書付は小百姓においては学もなく字も読めぬ者も多いことから、
但し、此書付、小前之者へは、
(がくどうをひらきたるてらのじゅうしょく、)
学堂を開きたる寺の住職、
道場坊主
(あるいはいしなどがくをこころえたるものより、じっくりとよみきかせられたい。)
或いは医師など学を心得たる者より、じっくりと読み聴かせられたい。
或医師等より、篤と読聞せ可申候。
(もしも、しょうややむらやくたちが、めさきのつみにとわれることをおそれ、)
もしも、庄屋や村役たちが、目先の罪に問われることを恐れ、
若庄屋年寄眼前の禍を畏、
(かってなはんだんでこのかきつけをじこにとめおき、かくしてしまうようものならば、)
勝手な判断でこの書付を自己に留め置き、隠してしまうようものならば、
一己に隠し候はゞ、
(ごじつそのつみがただちにしょだんされ、そのむくいをうけるであろうことをちゅうこくしておく。)
後日その罪が直ちに処断され、その報いを受けるであろうことを忠告しておく。
追て急度其罪可行候。
(てんめいをほうじ、てんにかわってここにとうばつをいたす。)
天命を奉じ、天に代わってここに討伐を致す。
奉天命致天討候。
(てんぽうはちねんひのととりとくめい)
天保八年丁酉(ひのととり)匿名
天保八丁酉年 某
(せっつ、かわち、せんしゅう、はりまのむらむら)
摂津、河内、泉州、播磨の村々
摂河泉播村々
(しょうや、としより、ひゃくしょうならびにこさくのひゃくしょうたちへ)
庄屋、年寄、百姓並びに小作の百姓たちへ
庄屋年寄百姓並小前百姓共え