第69回 文章入力スピード認定試験(日本語)問題

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第69回 文章入力スピード認定試験(日本語)問題
第69回 文章入力スピード認定試験(日本語)問題
引用参考:https://www.goukaku.ne.jp/image/sample/0407uze6vgwm/69-BSJ-Q.pdf
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 nnN 7147 7.3 96.9% 775.8 5728 183 94 2024/10/07
2 ことみ 7091 7.3 96.2% 781.9 5767 222 94 2024/10/07
3 Kpanda 6931 S++ 7.1 96.9% 804.3 5759 184 94 2024/10/01
4 maro 6683 S+ 6.9 95.7% 842.2 5892 263 94 2024/10/24
5 ㅁㅁ 6654 S+ 6.9 95.4% 823.5 5753 273 94 2024/11/08

関連タイピング

問題文

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(こどものころからさどうをならっているとはなすと、とくにねんぱいのかたがたにはかんしんされること)

子供のころから茶道を習っていると話すと、特に年配の方々には感心されること

(がおおいのですが、わたしのばあいは、けいこのときにせんせいがだしてくれる)

が多いのですが、わたしの場合は、けいこのときに先生が出してくれる

(わがしをたのしみにして、20ねんいじょうかよっているというのがほんねです。)

和菓子を楽しみにして、20年以上通っているというのが本音です。

(それらはきせつごとのふぜいをまとい、ときにはあいらしく、またげいじゅつひんのようでも)

それらは季節ごとの風情をまとい、時には愛らしく、また芸術品のようでも

(あります。いまからせんねんいじょうもまえから、にほんじんのめとしたを)

あります。今から千年以上も前から、日本人の目と舌を

(たのしませてきたといわれています。ところが、わがしというよびなが)

楽しませてきたといわれています。ところが、和菓子という呼び名が

(つかわれるようになるのはいがいにもあたらしく、めいじじだいになってからだそうです。)

使われるようになるのは意外にも新しく、明治時代になってからだそうです。

(かいがいからけーきやくっきーなどがもたらされたために、)

海外からケーキやクッキーなどがもたらされたために、

(それらとくべつするためにうまれたことばだそうです。)

それらと区別するために生まれた言葉だそうです。

(さて、おちゃのせんせいのおたくへかよいはじめたころのわたしは、)

さて、お茶の先生のお宅へ通い始めたころのわたしは、

(しょうがくせいにもなっていなかったので、まんじゅうやようかんのしゅるいも)

小学生にもなっていなかったので、まんじゅうやようかんの種類も

(よくわかりませんでしたし、ましてやそれぞれにながあることなど)

よく分かりませんでしたし、ましてやそれぞれに名があることなど

(まったくしりませんでした。しかもそれらははいくやわか、)

全く知りませんでした。しかもそれらは俳句や和歌、

(ぜんこくのしきおりおりのかちょうふうげつなどをてーまにめいめいされているのですから、)

全国の四季折々の花鳥風月などをテーマに命名されているのですから、

(しょうがくせいいかのこどもにとっては、とてもりかいできるものではありません。)

小学生以下の子どもにとっては、とても理解できるものではありません。

(そこでせんせいはわたしにだけ、そのひにつかうかしをかいせつするところから、)

そこで先生はわたしにだけ、その日に使う菓子を解説するところから、

(けいこをすたーとさせてくれました。)

けいこをスタートさせてくれました。

(おかげではいくやわかにかんするあれこれや、おとずれたこともないめいしょやきゅうせきのばしょ、)

おかげで俳句や和歌に関するあれこれや、訪れたこともない名所や旧跡の場所、

(きせつごとにさくはなのなまえなど、たくさんのちしきをえることができました。)

季節ごとに咲く花の名前など、たくさんの知識を得ることができました。

(とくにいんしょうにのこっているのは、ちゅうごくからでんらいしたとうしょのようかんが、)

特に印象に残っているのは、中国から伝来した当初のようかんが、

など

(ひつじのにくのはいったすーぷだったというはなしです。)

ヒツジの肉の入ったスープだったという話です。

(それが、どのようなけいいをたどって、なめらかなくちあたりのかんみひんになったのか)

それが、どのような経緯をたどって、滑らかな口当たりの甘味品になったのか

(そうぞうもつきませんでした。せんせいによればそれはしょうじんりょうりとして、)

想像もつきませんでした。先生によればそれは精進料理として、

(にくをつかわずにあずきやこむぎのこななどのしょくぶつせいのざいりょうでだいようしたためだといいます。)

肉を使わずに小豆や小麦の粉などの植物性の材料で代用したためだといいます。

(それらをむしてまるめたものをにこむことで、ちゅうごくからつたわったすーぷに)

それらを蒸して丸めたものを煮込むことで、中国から伝わったスープに

(ちかづけようとしたのです。あとには、そのなかみだけをたべるようになるのですが、)

近づけようとしたのです。後には、その中身だけを食べるようになるのですが、

(あじつけをくふうすることで、ちゃにそえるおやつとなったのが、わたしたちの)

味付けを工夫することで、茶に添えるおやつとなったのが、わたしたちの

(よくしるむしようかんのはじまりだということでした。)

よく知る蒸しようかんの始まりだということでした。

(そして、かしづくりにかかせないものといえばさとうでしょう。)

そして、菓子作りに欠かせないものといえば砂糖でしょう。

(にほんにつたわったのはならじだいとされています。)

日本に伝わったのは奈良時代とされています。

(とうじはきちょうなくすりとしてあつかわれ、なんばんぼうえきがほんかくかしてりゅうつうりょうがふえるまでは、)

当時は貴重な薬として扱われ、南蛮貿易が本格化して流通量が増えるまでは、

(しょみんたちのてにとどかないものだったといわれています。)

庶民たちの手に届かないものだったといわれています。

(こくないでせいさんがはじまるのはえどじだいのちゅうきになってからなので、)

国内で生産が始まるのは江戸時代の中期になってからなので、

(あまいものをひとびとがきがるにたのしめるようになるまでには、)

甘いものを人々が気軽に楽しめるようになるまでには、

(まだまだねんげつをようします。ところでこのちょうみりょうがすぐれているのは、)

まだまだ年月を要します。ところでこの調味料が優れているのは、

(たんじゅんにそざいにあまいあじをつけておいしくするというてんだけではありません。)

単純に素材に甘い味を付けておいしくするという点だけではありません。

(たとえば、かたいそざいをにるさいにくわえるとやわらかくなり、とうがすいぶんをほじするため、)

例えば、硬い素材を煮る際に加えると軟らかくなり、糖が水分を保持するため、

(じかんをおいてもかんそうしにくくなります。さらにみずにといてひょうめんにぬれば、)

時間を置いても乾燥しにくくなります。さらに水に溶いて表面に塗れば、

(つやをだすこうかもあります。さとうがひろくふきゅうしたことにより、)

つやを出す効果もあります。砂糖が広く普及したことにより、

(にほんのかしるいがひやくてきにおいしく、うつくしくなったのはじじつでしょう。)

日本の菓子類が飛躍的においしく、美しくなったのは事実でしょう。

(そこにきょうとやえどのしょくにんたちのせんすやわざがくわわり、)

そこに京都や江戸の職人たちのセンスや技が加わり、

(さらにはってんしていくことになるのです。)

さらに発展していくことになるのです。

(わたしがものごころついたころからせいじんしてしゃかいにでるまで、)

わたしが物心ついたころから成人して社会に出るまで、

(わがやはそぼがちゅうしんとなってようひんてんをいとなんでいました。)

わが家は祖母が中心となって洋品店を営んでいました。

(いそがしいときにてつだうとこづかいがもらえたので、)

忙しいときに手伝うと小遣いがもらえたので、

(おさないなりにせっきゃくをしたきおくがあります。そんなかんきょうのなかで、)

幼いなりに接客をした記憶があります。そんな環境の中で、

(あさからばんまではたらきづめだったそぼですが、かのじょがなによりたいせつにしていたのが、)

朝から晩まで働きづめだった祖母ですが、彼女が何より大切にしていたのが、

(くろいぼでぃーのあしぶみみしんでした。ふだんはきゃくがこうにゅうしたぱんつるいの)

黒いボディーの足踏みミシンでした。普段は客が購入したパンツ類の

(すそあげやこどもふくのさいずなおしにかつようしていましたが、たまにじかんがあいたさいは)

裾上げや子供服のサイズ直しに活用していましたが、たまに時間が空いた際は

(にんぎょうのようふくやきものをぬってくれました。それはちいさいのによくできていて、)

人形の洋服や着物を縫ってくれました。それは小さいのによくできていて、

(とくにじぶんのなつふくのはぎれなどでつくったわんぴーすをきせたにんぎょうには、)

特に自分の夏服の端切れなどで作ったワンピースを着せた人形には、

(よりいっそうしんきんかんがわき、いもうとにかんじたものです。あのころのわたしにとって、)

より一層親近感が湧き、妹に感じたものです。あのころのわたしにとって、

(そぼのみしんはまるでどんなふくもつくることのできるまほうのきかいでした。)

祖母のミシンはまるでどんな服も作ることのできる魔法の機械でした。

(しかし、じぶんだけではぜったいにふれてはいけないときびしくいわれていました。)

しかし、自分だけでは絶対に触れてはいけないと厳しく言われていました。

(そのいいつけをやぶったのはちゅうがく2ねんのときです。)

その言い付けを破ったのは中学2年のときです。

(かていかのじゅぎょうででんどうみしんをつかい、ぬったぞうきんがおもいのほか)

家庭科の授業で電動ミシンを使い、縫った雑巾が思いの外

(うまくできたことでちょうしにのり、おなじものをそぼにつくって)

うまくできたことで調子に乗り、同じものを祖母に作って

(よろこばせたいとかんがえたのです。ちかくにだれもいないのをたしかめ、)

喜ばせたいと考えたのです。近くに誰もいないのを確かめ、

(おりかさねたたおるにはりをおとしたのですが、)

折り重ねたタオルに針を落としたのですが、

(じょうげのいとのちょうしがあわずにひょうめんがひきつれて、)

上下の糸の調子が合わずに表面が引きつれて、

(ひさんなじょうたいになってしまいました。)

悲惨な状態になってしまいました。

(がっこうではあらかじめせんせいが、じょうげのいとのちょうせつをしたうえで)

学校ではあらかじめ先生が、上下の糸の調節をしたうえで

(つかわせてくれていたことをずいぶんあとになってからしりました。)

使わせてくれていたことを随分後になってから知りました。

(ぜったいにふれるなといっていたのは、なれないうちは、ぬののあつみやかたさによって)

絶対に触れるなといっていたのは、慣れないうちは、布の厚みや硬さによって

(こまかなちょうせいをするのがむずかしいからでした。げんざいでは、ぬのにあわせてじどうてきに)

細かな調整をするのが難しいからでした。現在では、布に合わせて自動的に

(じょうげのいとをちょうせいしてくれる、べんりなきのうをとうさいしているものがおおいようですが、)

上下の糸を調整してくれる、便利な機能を搭載しているものが多いようですが、

(そぼのみしんにはとうぜんそのようなきのうはありません。)

祖母のミシンには当然そのような機能はありません。

(それにくわえてあしぶみみしんにはくせがあり、それをはあくしたうえで、)

それに加えて足踏みミシンには癖があり、それを把握したうえで、

(そうさになれていなければうまくつかいこなせないのだそうです。)

操作に慣れていなければうまく使いこなせないのだそうです。

(さて、そぼがなぜ、おそらくとうじはこうかだったとおもわれるみしんを)

さて、祖母がなぜ、おそらく当時は高価だったと思われるミシンを

(にゅうしゅしようとかんがえたのか、そしてせんもんてきながっこうへかよわずに、)

入手しようと考えたのか、そして専門的な学校へ通わずに、

(なぜようふくなどをぬえるようになったのかをたずねたことがあります。)

なぜ洋服などを縫えるようになったのかを尋ねたことがあります。

(しょうわ20ねんから30ねんごろにわかいじだいをすごしたかのじょは、)

昭和20年から30年ごろに若い時代を過ごした彼女は、

(せんそうでふそくしていたかぞくのいるいをよういするために、)

戦争で不足していた家族の衣類を用意するために、

(やけのこったきものやおびをかつようしてようふくにしたてなおそうとかんがえたそうです。)

焼け残った着物や帯を活用して洋服に仕立て直そうと考えたそうです。

(かつてのにほんじんは、にちじょうてきにわふくですごしていましたが、)

かつての日本人は、日常的に和服で過ごしていましたが、

(せんごのきびしいせいかつのなかでは、できるだけかつどうてきできがえもかんたんないるいが)

戦後の厳しい生活の中では、できるだけ活動的で着替えも簡単な衣類が

(もとめられていました。このじきには、じょせいたちのちからによって、)

求められていました。この時期には、女性たちの力によって、

(ぜんこくかくちでひっそりとふくそうのへんかくがすすんでいったようです。しかし、)

全国各地でひっそりと服装の変革が進んでいったようです。しかし、

(あらゆるぶっしがふそくしていたこのじだいには、きせいひんはとうぜん、)

あらゆる物資が不足していたこの時代には、既製品は当然、

(ぬのじさえにゅうしゅこんなんだったので、いまあるものでやりくりするひつようがありました。)

布地さえ入手困難だったので、今あるものでやりくりする必要がありました。

(また、ようさいのちしきやぎじゅつをみにつけているものもすくなく、)

また、洋裁の知識や技術を身に着けている者も少なく、

(そうしたことをとくいとしているひとのもとには、)

そうしたことを得意としている人の元には、

(したてのいらいがさっとうしたそうです。)

仕立ての依頼が殺到したそうです。

(かのじょもきんじょにすむしんせきのいえにかよってきそをおそわり、さいしょはてぬいで)

彼女も近所に住む親戚の家に通って基礎を教わり、最初は手縫いで

(さぎょうをすすめていました。ところが、かぞくぜんいんのぶんとなるとりょうがおおくて)

作業を進めていました。ところが、家族全員の分となると量が多くて

(たいへんだったため、へやのすみのほうにあったみしんをかりることにしました。)

大変だったため、部屋の隅の方にあったミシンを借りることにしました。

(そのしあがりのあまりのすばやさにとてもかんどうしたそうです。)

その仕上がりのあまりの素早さにとても感動したそうです。

(みなれたぬのじが、てぬいよりもかくだんにはやいすぴーどであたらしいようふくに)

見慣れた布地が、手縫いよりも格段に速いスピードで新しい洋服に

(うまれかわったのですから、それはかのじょじしんに)

生まれ変わったのですから、それは彼女自身に

(とってもまほうのきかいだったわけです。)

とっても魔法の機械だったわけです。

(いらい、ちょきんをしてこうにゅうすることをしんけんにかんがえたようです。)

以来、貯金をして購入することを真剣に考えたようです。

(かぎょうにようひんてんをえらんだのも、)

家業に洋品店を選んだのも、

(そういったけいけんがきっかけだったのかもしれません。)

そういった経験がきっかけだったのかもしれません。

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