夏目漱石「こころ」2ー12
こっちゃん様が(上)の方を上げて下さっていたものの続きでございます。
タイピングを投稿するのは初めてですので、誤字脱字等ありましたらご連絡何卒宜しくお願い致します。
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こっちゃん様による(上)
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順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | berry | 7674 | 神 | 7.8 | 97.5% | 344.4 | 2710 | 67 | 52 | 2024/09/21 |
2 | なおきち | 7257 | 光 | 7.4 | 97.9% | 367.6 | 2725 | 57 | 52 | 2024/10/06 |
3 | ぽむぽむ | 5354 | B++ | 5.6 | 95.0% | 485.6 | 2744 | 144 | 52 | 2024/11/18 |
4 | 饅頭餅美 | 5148 | B+ | 5.3 | 95.7% | 506.9 | 2732 | 122 | 52 | 2024/09/28 |
5 | やまちゃん | 4740 | C++ | 4.8 | 97.2% | 557.1 | 2718 | 77 | 52 | 2024/09/27 |
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問題文
(わたくしのあいしゅうはこのなつきせいしたいごしだいにじょうちょうをかえてきた。)
私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。
(あぶらぜみのこえがつくつくぼうしのこえにかわるごとくに、)
油蝉の声がつくつく法師の声に変る如くに、
(わたくしをとりまくひとのうんめいが、おおきなりんねのうちに、)
私を取り巻く人の運命が、大きな輪廻のうちに、
(そろそろうごいているようにおもわれた。)
そろそろ動いているように思われた。
(わたくしはさびしそうなちちのたいどとことばをくりかえしながら、)
私は淋しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら、
(てがみをだしてもへんじをよこさないせんせいのことをまたおもいうかべた。)
手紙を出しても返事を寄こさない先生の事をまた憶い浮べた。
(せんせいとちちとは、まるではんたいのいんしょうをわたくしにあたえるてんにおいて、)
先生と父とは、まるで反対の印象を私に与える点に於て、
(ひかくのうえにも、れんそうのうえにも、いっしょにわたくしのあたまにのぼりやすかった。)
比較の上にも、連想の上にも、一所に私の頭に上り易かった。
(わたくしはほとんどちちのすべてもしりつくしていた。)
私は殆んど父の凡ても知り尽していた。
(もしちちをはなれるとすれば、じょうあいのうえにおやこのこころのこりがあるだけであった。)
もし父を離れるとすれば、情合の上に親子の心残りがあるだけであった。
(せんせいのおおくはまだわたくしにわかっていなかった。)
先生の多くはまだ私に解っていなかった。
(はなすとやくそくされたそのひとのかこもまだきくきかいをえずにいた。)
話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた。
(ようするにせんせいはわたくしにとってうすぐらかった。)
要するに先生は私にとって薄暗かった。
(わたくしはぜひともそこをとおりこして、あかるいところまでいかなければきがすまなかった。)
私は是非とも其所を通り越して、明るい所まで行かなければ気が済まなかった。
(せんせいとかんけいのたえるのはわたくしにとっておおいなくつうであった。)
先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。
(わたくしはははにひをみてもらって、とうきょうへたつひどりをきめた。)
私は母に日を見て貰って、東京へ立つ日取を極めた。
(きゅう)
九
(わたくしがいよいよたとうというまぎわになって、)
私が愈立とうという間際になって、
((たしかふつかまえのゆうがたのことであったとおもうが、))
(たしか二日前の夕方の事であったと思うが、)
(ちちはまたとつぜんひっくりかえった。)
父は又突然引っ繰返った。
(わたくしはそのときしょもつやいるいをつめたこうりをからげていた。)
私はその時書物や衣類を詰めた行李をからげていた。
(ちちはふろへはいったところであった。)
父は風呂へ入ったところであった。
(ちちのせなかをながしにいったははがおおきなこえをだしてわたくしをよんだ。)
父の脊中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ。
(わたくしははだかのままははにうしろからだかれているちちをみた。)
私は裸体のまま母に後から抱かれている父を見た。
(それでもざしきへつれてもどったとき、ちちはもうだいじょうぶだといった。)
それでも座敷へ伴れて戻った時、父はもう大丈夫だと云った。
(ねんのためにまくらもとにすわって、ぬれてぬぐいでちちのあたまをひやしていたわたくしは、)
念の為に枕元に坐って、濡手拭いで父の頭を冷していた私は、
(くじごろになってようやくかたばかりのやしょくをすました。)
九時頃になって漸く形ばかりの夜食を済ました。
(よくじつになるとちちはおもったよりげんきがよかった。)
翌日になると父は思ったより元気が好かった。
(とめるのもきかずにあるいてべんじょへいったりした。)
留めるのも聞かずに歩いて便所へ行ったりした。
(「もうだいじょうぶ」)
「もう大丈夫」
(ちちはきょねんのくれたおれたときにわたくしにむかっていったとおなじことばをまたくりかえした。)
父は去年の暮倒れた時に私に向って云ったと同じ言葉を又繰り返した。
(そのときははたしてくちでいったとおりまあだいじょうぶであった。)
その時は果して口で云った通りまあ大丈夫であった。
(わたくしはこんどもあるいはそうなるかもしれないとおもった。)
私は今度も或はそうなるかも知れないと思った。
(しかしいしゃはただようじんがかんようだとちゅういするだけで、)
然し医者はただ用心が肝要だと注意するだけで、
(ねんをおしてもはっきりしたことをはなしてくれなかった。)
念を押しても判然した事を話してくれなかった。
(わたくしはふあんのために、しゅったつのひがきてもついにとうきょうへたつきがおこらなかった。)
私は不安のために、出立の日が来てもついに東京へ立つ気が起らなかった。
(「もうすこしようすをみてからにしましょうか」とわたくしはははにそうだんした。)
「もう少し様子を見てからにしましょうか」と私は母に相談した。
(「そうしておくれ」とははがたのんだ。)
「そうして御くれ」と母が頼んだ。
(はははちちがにわへでたりせどへおりたりするげんきをみているあいだだけは)
母は父が庭へ出たり脊戸へ下りたりする元気を見ている間だけは
(へいきでいるくせに、こんなことがおこると)
平気でいる癖に、こんな事が起ると
(またひつよういじょうにしんぱいしたりきをもんだりした。)
また必要以上に心配したり気を揉んだりした。
(「おまえはきょうとうきょうへいくはずじゃなかったか」とちちがきいた。)
「御前は今日東京へ行く筈じゃなかったか」と父が聞いた。
(「ええ、すこしのばしました」とわたくしがこたえた。)
「ええ、少し延ばしました」と私が答えた。
(「おれのためにかい」とちちがききかえした。)
「おれの為にかい」と父が聞き返した。
(わたくしはちょっとちゅうちょした。)
私は一寸躊躇した。
(そうだといえば、ちちのびょうきのおもいのをうらがきするようなものであった。)
そうだと云えば、父の病気の重いのを裏書するようなものであった。
(わたくしはちちのしんけいをかびんにしたくなかった。)
私は父の神経を過敏にしたくなかった。
(しかしちちはわたくしのこころをよくみぬいているらしかった。)
然し父は私の心をよく見抜いているらしかった。
(「きのどくだね」といって、にわのほうをむいた。)
「気の毒だね」と云って、庭の方を向いた。
(わたくしはじぶんのへやにはいって、そこにほうりだされたこうりをながめた。)
私は自分の部屋に這入って、其所に放り出された行李を眺めた。
(こうりはいつもちだしてもさしつかえないように、かたくくくられたままであった。)
行李は何時持ち出しても差支ないように、堅く括られたままであった。
(わたくしはぼんやりそのまえにたって、またなわをとこうかとかんがえた。)
私はぼんやりその前に立って、又縄を解こうかと考えた。