横光利一 機械 2
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | kkk | 6903 | S++ | 7.2 | 95.6% | 522.2 | 3776 | 171 | 50 | 2024/10/26 |
2 | デコポン | 6405 | S | 6.6 | 96.7% | 563.1 | 3732 | 125 | 50 | 2024/11/06 |
3 | だだんどん | 6336 | S | 6.9 | 92.0% | 536.9 | 3723 | 321 | 50 | 2024/12/19 |
4 | baru | 3673 | D+ | 4.0 | 92.0% | 940.9 | 3781 | 325 | 50 | 2024/11/19 |
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問題文
(あるひわたしはしごとばでしごとをしているとしゅふがきてしゅじんがじがねをかいに)
或る日私は仕事場で仕事をしていると主婦が来て主人が地金を買いに
(いくのだからわたしもいっしょについていってしゅじんのきんせんをたえずわたしがもっていてくれる)
いくのだから私も一緒について行って主人の金銭を絶えず私が持っていてくれる
(ようにという。それはしゅじんがきんせんをもつとほとんどかならずとちゅうでおとしてしまうので)
ようにという。それは主人が金銭を持つと殆ど必ず途中で落としてしまうので
(しゅふのきづかいはしゅじんにきんせんをわたさぬことがだいいちであったのだ。いままでの)
主婦の気使いは主人に金銭を渡さぬことが第一であったのだ。いままでの
(このいえのひげきのだいぶぶんもじつにこのばかげたことばかりなんだがそれにしても)
この家の悲劇の大部分も実にこの馬鹿げたことばかりなんだがそれにしても
(どうしてこんなにここのしゅじんはきんせんをおとすのかだれにもわからない。おとして)
どうしてこんなにここの主人は金銭を落すのか誰にも分からない。落して
(しまったものはいくらしかったっておどしたってかえってくるものでもなし、)
しまったものはいくら叱ったって嚇したって返ってくるものでもなし、
(それだからってあせみずたらしてみながはたらいたものをひとりのしんけいのゆるみのためにことごとく)
それだからって汗水たらして皆が働いたものを一人の神経の弛みのために尽く
(みずのあわにされてしまってそのままなきねいりにだまっているわけにもいかず、それが)
水の泡にされてしまってそのまま泣き寝入に黙っているわけにもいかず、それが
(いちどやにどならともかくしじゅうもったらおとすということのほうがかくじつだと)
一度や二度ならともかく始終持ったら落すということの方が確実だと
(いうのだからこのいえのかつどうもしぜんにたんれんのされかたがふつうのいえとはどこかちがって)
いうのだからこの家の活動も自然に鍛錬のされ方が普通の家とはどこか違って
(せいちょうしてきているのにちがいないのだ。いったいわたしたちはきんせんをもったら)
生長して来ているのにちがいないのだ。いったい私達は金銭を持ったら
(おとすというしじゅうおとこをそんなにそうぞうすることはできない。たとえばさいふをさいくんがひもで)
落すという四十男をそんなに想像することは出来ない。譬えば財布を細君が紐で
(しっかりくびからふところへつるしておいてもそれでもなかのきんせんだけはちゃんといつも)
しっかり首から懐へ吊しておいてもそれでも中の金銭だけはちゃんといつも
(おとしてあるというのであるが、それならしゅじんはかねをさいふからだすときか)
落してあるというのであるが、それなら主人は金を財布から出すときか
(いれるときかにおとすにちがいないとしてみてもそれにしてもだいいちそうたびたびおとす)
入れるときかに落すにちがいないとしてみてもそれにしても第一そう度々落す
(いじょうはこんどはおとすかもしれぬからとさんどにいちどはだすときやいれるときにきづく)
以上は今度は落すかもしれぬからと三度に一度は出すときや入れるときに気就く
(はずだ。それをきづけばじじつはそんなにもおとさないのではないかとおもわれて)
はずだ。それを気附けば事実はそんなにも落さないのではないかと思われて
(かんがえようによってはこれはあるいはきんせんのしはらいをのばすためのさいくんのてでは)
考えようによってはこれは或いは金銭の支払いを延ばすための細君の手では
(ないかともいちどはおもうが、しかしまもなくあまりにもかわっているしゅじんのきょどうの)
ないかとも一度は思うが、しかし間もなくあまりにも変っている主人の挙動の
(ためにさいくんのせんでんもいつのまにかじじつだとおもってしまわねばならぬほど、)
ために細君の宣伝もいつの間にか事実だと思ってしまわねばならぬほど、
(とにかく、しゅじんはかわっている。かねをかねともおもわぬということばはふしゃにたいする)
とにかく、主人は変っている。金を金とも思わぬという言葉は富者に対する
(けいようだがここのしゅじんのまずしさはごせんのはくどうをにぎってせんとうののれんをくぐるていどに)
形容だがここの主人の貧しさは五銭の白銅を握って銭湯の暖簾をくぐる程度に
(かかわらず、こまっているものにはじぶんのいえのじがねをかうきんせんまでやってしまって)
拘らず、困っているものには自分の家の地金を買う金銭まで遣ってしまって
(わすれている。こういうのをこそむかしはせんにんといったのであろう。しかし、せんにんと)
忘れている。こういうのをこそ昔は仙人といったのであろう。しかし、仙人と
(いっしょにいるものはたえずはらはらしていきていかねばならぬのだ。いえのことを)
一緒にいるものは絶えずはらはらして生きていかねばならぬのだ。家のことを
(なにひとつまかしておけないばかりではない、ひとりですませるようじもふたりがかりで)
何一つ任しておけないばかりではない、一人で済ませる用事も二人がかりで
(でかけたりそのひとりのいるためにしゅういのもののろうりょくがどれほどむだについやされて)
出かけたりその一人のいるために周囲の者の労力がどれほど無駄に費やされて
(いるかわからぬのだが、しかしそれはそうにちがいないとしてもこのしゅじんの)
いるか分からぬのだが、しかしそれはそうにちがいないとしてもこの主人の
(いるいないによってとくいさきのこのいえにたいするにんきのそういはかくだんのへんかをしょうじて)
いるいないによって得意先のこの家に対する人気の相異は格段の変化を生じて
(くる。おそらくここのいえはしゅじんのためにひとからにくまれたことがないにちがいなく)
来る。恐らくここの家は主人のために人から憎まれたことがないにちがいなく
(しゅじんをしばるさいくんのしまりがたといあくひょうをたてたとしたところでそんなにも)
主人を縛る細君の締りがたとい悪評を立てたとしたところでそんなにも
(こうじんぶつのしゅじんがさいくんにしばられてちいさくしのんでいるようすというものはまたしぜんに)
好人物の主人が細君に縛られて小さく忍んでいる様子というものはまた自然に
(こっけいなふうみがあってよろこばれがちなものでもあり、そのさいくんのにらみのるすにだっとの)
滑稽な風味があって喜ばれ勝ちなものでもあり、その細君の睨みの留守に脱兎の
(ごとくぬけだしてはすっかりきんせんをふりまいてかえってくるおとこというのもこれまた)
ごとく抜け出してはすっかり金銭を振り撒いて帰って来る男というのもこれまた
(いっそうのにんきをたてるざいりょうになるばかりなのだ。)
一層の人気を立てる材料になるばかりなのだ。
(そんなふうにかんがえるとこのいえのちゅうしんはやはりさいくんにもなくわたしやかるべにもないおのずから)
そんな風に考えるとこの家の中心は矢張り細君にもなく私や軽部にもない自から
(しゅじんにあるといわねばならなくなってきてわたしのやといにんこんじょうがまるだしになりだす)
主人にあるといわねばならなくなって来て私の傭人根性が丸出しになり出す
(のだが、どこからみたってしゅじんがわたしにはすきなんだからしようがない。じっさい)
のだが、どこから見たって主人が私には好きなんだから仕様がない。実際
(わたしのいえのしゅじんはせいぜいいつつになったおとこのこをそのまましじゅうにもってきたところを)
私の家の主人はせいぜい五つになった男の子をそのまま四十に持って来た所を
(そうぞうするとうかんでくる。わたしたちはそんなおとこをおもうとばかばかしくてけいべつしたく)
想像すると浮んで来る。私たちはそんな男を思うと馬鹿馬鹿しくて軽蔑したく
(なりそうなものにもかかわらずそれがみていてけいべつできぬというのも、つまりは)
なりそうなものにも拘らずそれが見ていて軽蔑出来ぬというのも、つまりは
(あんまりじぶんのいつのまにかせいちょうしてきたねんれいのみにくさがぎゃくにあざやかにうかんできて)
あんまり自分のいつの間にか成長して来た年齢の醜さが逆に鮮かに浮かんで来て
(そのじしんのすがたにうたれるからだ。こんなじぶんへのはんしゃはわたしにかぎらずかるべにだって)
その自身の姿に打たれるからだ。こんな自分への反射は私に限らず軽部にだって
(つねにおなじさようをしていたとみえて、あとできづいたことだが、かるべがわたしへのはんかんも)
常に同じ作用をしていたと見えて、後で気附いたことだが、軽部が私への反感も
(しょせんはこのしゅじんをまもろうとするかるべのぜんりょうなこころのぶぶんのはたらきからであったのだ。)
所詮はこの主人を守ろうとする軽部の善良な心の部分の働きからであったのだ。
(わたしがここのいえからはなれがたなくかんじるのもしゅじんのそのこのうえもないぜんりょうさから)
私がここの家から放れがたなく感じるのも主人のそのこの上もない善良さから
(であり、かるべがわたしのあたまのうえからかなづちをおとしたりするのもしゅじんのそのぜんりょうさの)
であり、軽部が私の頭の上から金槌を落したりするのも主人のその善良さの
(ためだとすると、ぜんりょうなんていうことはむかしからあんがいよいはたらきをしてこなかった)
ためだとすると、善良なんていうことは昔から案外良い働きをして来なかった
(にちがいない。)
にちがいない。