萩原朔太郎「喫茶店」にて
PCⅢのタイピング練習です。
今回は、大正時代に活躍していた詩人の萩原朔太郎のエッセイ「喫茶店にて」を使って、タイピング練習をしてみましょう。
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問題文
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(せんじつおおさかのちじんがたずねてきたので、ぎんざのそうとうなきっさてんへあんないした。)
先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶店へ案内した。
(がくせいのすくないおおさかには、ほんかくてきのきっさてんがなく、)
学生のすくない大阪には、本格的の喫茶店がなく、
(めずらしいみやげはなしとおもいつたからである。)
珍らしい土産話と思つたからである。
(はたしてちじんはめずらしがり、つぎのやうなかんそうをのべた。)
果して知人は珍らしがり、次のやうな感想を述べた。
(さきほどからかんさつしていると、わずかいっぱいのこうちゃをのんで、)
先程から観察して居ると、僅か一杯の紅茶を飲んで、
(はんじかんもぼんやりざつてるひとがたくさんいる。)
半時間もぼんやり坐つてる人が沢山居る。
(いったいかれらはなにをかんがえへているのだらうと。)
一体彼等は何を考へてゐるのだらうと。
(いっぷんかんのひまもおしく、たいむいずまねーでぼうがしく)
一分間の閑も惜しく、タイムイズマネーで忙がしく
(しちゅうをはせけかいつてるおおさかじんが、かうしたとうきょうの)
市中を馳け廻つてる大阪人が、かうした東京の
(きっさてんふうけいをみて、いかにもひまじんのよりあつまりのやうに)
喫茶店風景を見て、いかにも閑人の寄り集りのやうに
(おもひ、むしろふかしぎにおもふのはとうぜんである。)
思ひ、むしろ不可思議に思ふのは当然である。
(わたしもさういはれて、はじめてきっさてんのきゃくが)
私もさう言はれて、初めて喫茶店の客が
(「なにをかんがえへているのだらう」とかんがえへてみた。)
「何を考へて居るのだらう」と考へて見た。
(おそらくかれらは、なにもかんがえへてはいないのだらう。)
おそらく彼等は、何も考へては居ないのだらう。
(といつてひろうをやすめるために、きゅうそくしていると)
と言つて疲労を休める為に、休息してゐると
(いふわけでもない。)
いふわけでもない。
(つまりかれらは、きれいなこむすめやよいおんがくをはいけいにして、)
つまり彼等は、綺麗な小娘や善い音楽を背景にして、
(とかいせいかつのきぶんやかんさんをたのしんでるのだ。)
都会生活の気分や閑散を楽しんでるのだ。
(これがすなわちぶんかのよゆうといふものであり、)
これが即ち文化の余裕といふものであり、
(むかしのにほんのえどや、いまのふらんすのぱりなどで、)
昔の日本の江戸や、今の仏蘭西の巴里などで、
など
(このしゅのかんじんくらぶがしちゅうのいたるところにせつび)
この種の閑人倶楽部が市中の至る所に設備
(されてるのは、ぶんかがながいでんとうによつて、)
されてるのは、文化が長い伝統によつて、
(よゆうせいをたぶんにもつてるしょうさである。)
余裕性を多分にもつてる証左である。
(たけばやしむそうあんしのはなしによると、このよゆうせいを)
武林無想庵氏の話によると、この余裕性を
(もたないとしは、せかいでにゅーよーくととうきょうだけださうだが、)
もたない都市は、世界で紐育と東京だけださうだが、
(それでもまだきっさてんがあるだけ、とうきょうのほうがおおさかより)
それでもまだ喫茶店があるだけ、東京の方が大阪より
(ましかもしれない。)
ましかも知れない。
(いちえのせつによると、たえずはたらくといふことは、)
イチエの説によると、絶えず働くと言ふことは、
(いやしくぞくあくのしゅみであり、ひとにぶんかてきじょうそうのない)
賤しく俗悪の趣味であり、人に文化的情操のない
(しょうさであるが、いまのにほんのやうなしんかいこくでは、)
証左であるが、今の日本のやうな新開国では、
(たえずはたらくことがきょうようされ、とうていかんさんのきぶんなどは)
絶えず働くことが強要され、到底閑散の気分などは
(たのしめない。)
楽しめない。
(ぱりのきっさてんで、がいろにまろにえのはのちるのを)
巴里の喫茶店で、街路にマロニエの葉の散るのを
(ながめながら、いっぱいのぶどうしゅではんにちもくらしている)
眺めながら、一杯の葡萄酒で半日も暮してゐる
(なんてことは、はなしにきくだけでもぜいたくしごくの)
なんてことは、話に聞くだけでも贅沢至極の
(ことである。)
ことである。
(むかしのえどじだいのにほんじんは、りはつてんでうきよばなしやしょうぎを)
昔の江戸時代の日本人は、理髪店で浮世話や将棋を
(しながら、ほとんどまるいちにちをくらしていた。)
しながら、殆んど丸一日を暮して居た。
(ぶんかのでんとうがふるくなるほど、ひとのこころによゆうがうまれ、)
文化の伝統が古くなるほど、人の心に余裕が生れ、
(せいかつがのんびりとしてくらしよくなる。)
生活がのんびりとして暮しよくなる。
(それがすなわち「たいへいのよ」といふものである。)
それが即ち「太平の世」といふものである。
(いまのにほんは、たいへいのよをさることあまりにとおい。)
今の日本は、太平の世を去る事あまりに遠い。
(むかしのえどじだいにはかえらないでも、せめてぱりか)
昔の江戸時代には帰らないでも、せめて巴里か
(ろんどんくらいのていどにまで、よゆうのあるかんさんの)
ロンドン位の程度にまで、余裕のある閑散の
(せいかつかんきょうをつくりたい。)
生活環境を作りたい。