夏目漱石 こころ4
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問題文
(kはなかなかおくさんとおじょうさんのはなしをやめませんでした。しまいにはわたしも)
Kはなかなか奥さんとお嬢さんの話をやめませんでした。しまいには私も
(こたえられないようなたちいったことまできくのです。わたしはめんどうよりもふしぎの)
答えられないような立ち入ったことまで聞くのです。私は面倒よりも不思議の
(かんにうたれました。いぜんわたしのほうからふたりをもんだいにしてはなしかけたときのかれを)
感に打たれました。以前私のほうから二人を問題にして話し掛けたときの彼を
(おもいだすと、わたしはどうしてもかれのちょうしのかわっているところにきがつかずには)
思い出すと、私はどうしても彼の調子の変わっているところに気が付かずには
(いられないのです。わたしはとうとうなぜきょうにかぎってそんなことばかりいうのかと)
いられないのです。私はとうとうなぜ今日に限ってそんなことばかり言うのかと
(かれにたずねました。そのときかれはとつぜんだまりました。しかしわたしはかれのむすんだくちもとの)
彼に尋ねました。そのとき彼は突然黙りました。しかし私は彼の結んだ口元の
(にくがふるえるようにうごいているのをちゅうししました。かれはがんらいむくちなおとこでした。)
肉が震えるように動いているのを注視しました。彼は元来無口な男でした。
(へいぜいからなにかいおうとすると、いうまえによくくちのあたりをもぐもぐさせるくせが)
平生から何か言おうとすると、言う前によく口の辺りをもぐもぐさせる癖が
(ありました。かれのくちびるがわざとかれのいしにはんこうするようにたやすくひらかない)
ありました。彼の唇がわざと彼の意思に反抗するようにたやすく開かない
(ところに、かれのことばのおもみもこもっていたのでしょう。いったんこえがくちをやぶって)
ところに、彼の言葉の重みもこもっていたのでしょう。いったん声が口を破って
(でるとなると、そのこえにはふつうのひとよりもばいのつよいちからがありました。)
出るとなると、その声には普通の人よりも倍の強い力がありました。
(かれのくちもとをちょっとながめたとき、わたしはまたなにかでてくるなとすぐ)
彼の口元をちょっと眺めたとき、私はまた何か出てくるなとすぐ
(かんづいたのですが、それがはたしてなんのじゅんびなのか、わたしのよかくはまるで)
感づいたのですが、それが果たして何の準備なのか、私の予覚はまるで
(なかったのです。だからおどろいたのです。かれのおもおもしいくちから、かれのおじょうさんに)
なかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに
(たいするせつないこいをうちあけられたときのわたしをそうぞうしてみてください。わたしはかれの)
対する切ない恋を打ち明けられたときの私を想像してみてください。私は彼の
(まほうぼうのためにいちどにかせきされたようなものです。くちをもぐもぐさせる)
魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる
(はたらきさえ、わたしにはなくなってしまったのです。)
働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
(そのときのわたしはおそろしさのかたまりといいましょうか、またはくるしさのかたまりと)
そのときの私は恐ろしさの塊と言いましょうか、または苦しさの塊と
(いいましょうか、なにしろひとつのかたまりでした。いしかてつのようにあたまからあしのさきまでが)
言いましょうか、なにしろ一つの塊でした。石か鉄のように頭から足の先までが
(きゅうにかたくなったのです。こきゅうをするだんりょくせいさえうしなわれたくらいにかたく)
急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに固く
(なったのです。さいわいなことにそのじょうたいはながくつづきませんでした。わたしはいっしゅんかんの)
なったのです。幸いなことにその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の
(あとに、またにんげんらしいきぶんをとりもどしました。そうして、すぐしまったと)
後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐしまったと
(おもいました。せんをこされたなとおもいました。しかしそのさきを)
思いました。先(せん)を越されたなと思いました。しかしその先を
(どうしようというふんべつはまるでおこりません。おそらくおこるだけのよゆうが)
どうしようという分別はまるで起こりません。恐らく起こるだけの余裕が
(なかったのでしょう。わたしはわきのしたからでるきみのわるいあせがしゃつにしみとおる)
なかったのでしょう。私はわきの下から出る気味の悪い汗がシャツにしみ透る
(のをじっとがまんしてうごかずにいました。kはそのあいだいつものとおりおもいくちを)
のをじっと我慢して動かずにいました。Kはその間いつものとおり重い口を
(きっては、ぽつりぽつりとじぶんのこころをうちあけてゆきます。わたしはくるしくって)
切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって
(たまりませんでした。おそらくそのくるしさは、おおきなこうこくのように、わたしのかおのうえに)
たまりませんでした。恐らくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に
(はっきりしたじではりつけられてあったろうとわたしはおもうのです。いくらkでも)
はっきりした字で貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでも
(そこにきのつかないはずはないのですが、かれはまたかれで、じぶんのことにいっさいを)
そこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分のことに一切を
(しゅうちゅうしているから、わたしのひょうじょうなどにちゅういするひまがなかったのでしょう。かれの)
集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の
(じはくはさいしょからさいごまでおなじくちょうでつらぬいていました。おもくてのろいかわりに、)
自白は最初から最後まで同じ口調で貫いていました。重くて鈍い代わりに、
(とてもよういなことではうごかせないというかんじをわたしにあたえたのです。わたしのこころは)
とても容易なことでは動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は
(はんぶんそのじはくをきいていながら、はんぶんどうしようというねんにたえずかきみだされて)
半分その自白を聞いていながら、半分どうしようという念に絶えずかき乱されて
(いましたから、こまかいてんになるとほとんどみみへはいらないとどうようでしたが、)
いましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、
(それでもかれのくちにだすことばのちょうしだけはつよくむねにひびきました。)
それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。
(そのためにわたしはまえいったくつうばかりでなく、ときにはいっしゅのおそろしさをかんずる)
そのために私は前言った苦痛ばかりでなく、時には一種の恐ろしさを感ずる
(ようになったのです。つまりあいてはじぶんよりつよいのだというきょうふのねんがきざし)
ようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が兆し
(はじめたのです。kのはなしがひととおりすんだとき、わたしはなんともいうことが)
始めたのです。Kの話がひととおり済んだとき、私は何とも言うことが
(できませんでした。こっちもかれのまえにおなじいみのじはくをしたものだろうか、)
できませんでした。こっちも彼の前に同じ意味の自白をしたものだろうか、
(それともうちあけずにいるほうがとくさくだろうか、わたしはそんなりがいをかんがえて)
それとも打ち明けずにいるほうが得策だろうか、私はそんな利害を考えて
(だまっていたのではありません。ただなにごともいえなかったのです。またいうきにも)
黙っていたのではありません。ただ何事も言えなかったのです。また言う気にも
(ならなかったのです。ひるめしのとき、kとわたしはむかいあわせにせきをしめました。)
ならなかったのです。昼飯のとき、Kと私は向かい合わせに席を占めました。
(げじょにきゅうじをしてもらって、わたしはいつにないまずいめしをすませました。ふたりは)
下女に給仕をしてもらって、私はいつにないまずい飯を済ませました。二人は
(しょくじちゅうもほとんどくちをききませんでした。おくさんとおじょうさんはいつかえるのだか)
食事中もほとんど口を利きませんでした。奥さんとお嬢さんはいつ帰るのだか
(わかりませんでした。ふたりはめいめいのへやにひきとったぎりかおを)
分かりませんでした。二人はめいめいの部屋に引き取ったぎり顔を
(あわせませんでした。kのしずかなことはあさとおなじでした。わたしもじっとかんがえこんで)
合わせませんでした。Kの静かなことは朝と同じでした。私もじっと考え込んで
(いました。しかしそれにはもうじきがおくれてしまったというきもおこりました。)
いました。しかしそれにはもう時機が遅れてしまったという気も起こりました。
(なぜさっきkのことばをさえぎって、こっちからぎゃくしゅうしなかったのか、そこがひじょうな)
なぜさっきKの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な
(てぬかりのようにみえてきました。)
手抜かりのように見えてきました。