ロックの歴史 その5

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね0お気に入り登録
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ロックの歴史 その5
ハードロックの誕生
3大ギタリスト

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問題文

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(8.ぎたーがうたったとき~さんだいぎたりすと~)

【8.ギターが歌った時〜三大ギタリスト〜】

(わようとわず、あるていどなのしれたぎたりすとに「だれにえいきょうされたか」という)

和洋問わず、ある程度名の知れたギタリストに「誰に影響されたか」という

(しつもんをすると、まぁたいがいこの3にんのなまえがかえってくるだろう。)

質問をすると、まぁ大概この3人の名前が返ってくるだろう。

(ぎたりすとにとってあこがれであり、かみさまてきそんざいの3にんのなはえりっく・くらぷとん)

ギタリストにとって憧れであり、神様的存在の3人の名はエリック・クラプトン

(じぇふ・べっく、じみー・ぺいじ。3にんとも60ねんだいちゅうきにやーどばーずという)

ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ。3人とも60年代中期にヤードバーズという

(ばんどにざいせきしていた。ところが、やーどばーずというばんどはそれほどすごい)

バンドに在籍していた。ところが、ヤードバーズというバンドはそれほど凄い

(3にんをはいしゅつしたにもかかわらず、たいしたしょうぎょうてきせいこうはおさめなかった。)

3人を輩出したにも関わらず、大した商業的成功は収めなかった。

(「うまい」というひょうばんだけはあったが、まぁそれだけで、びーとるずや)

「うまい」という評判だけはあったが、まぁそれだけで、ビートルズや

(すとーんずのようなおんなのこにきゃーきゃーいわれるたいぷのばんどではなかった。)

ストーンズの様な女の子にキャーキャー言われるタイプのバンドではなかった。

(いまも、やーどばーずをねっしんにきくひとはどちらかというと、このばんどのきょくを)

今も、ヤードバーズを熱心に聴く人はどちらかというと、このバンドの曲を

(たのしむというより、この3にんがよにでてきたとうじ、どんなえんそうをしていたのか)

楽しむというより、この3人が世に出てきた当時、どんな演奏をしていたのか

(といった、3にんのねっこのぶぶんをけんきゅうしたいがためにきくひとがおおいのではないか。)

といった、3人の根っこの部分を研究したいが為に聴く人が多いのではないか。

(つまり、3にんともやーどばーずじだいでは、ただの「ぎたーがうまいひと」に)

つまり、3人ともヤードバーズ時代では、ただの「ギターが上手い人」に

(とどまっていて、かれらがそのごどくじのかつどうをしていなければ、3にんは3だい)

留まっていて、彼等がその後独自の活動をしていなければ、3人は3大

(ぎたりすとなどというかりすまてきそんざいにはなりえなかった。つまり、3にんが)

ギタリストなどというカリスマ的存在にはなり得なかった。つまり、3人が

(かみさまとよばれるようになったのは70ねんだいのこうせきによるのだ。やーどばーず)

神様と呼ばれる様になったのは70年代の功績によるのだ。ヤードバーズ

(じだいから3にんにきょうつうしていたのはぶるーすだった。このろっくしのしょかいで)

時代から3人に共通していたのはブルースだった。このロック史の初回で

(ふれているように、ぶるーすはこくじんのものであったが、はくじんもぶるーすに)

触れている様に、ブルースは黒人のものであったが、白人もブルースに

(とりつかれてはくじんなりのぶるーすをやりはじめる。すとーんずはしょうぎょうてきにも)

取り憑かれて白人なりのブルースをやり始める。ストーンズは商業的にも

(せいこうしたが、やーどばーずはそれほどでもなかった。やーどばーずはかいさんし、)

成功したが、ヤードバーズはそれほどでもなかった。ヤードバーズは解散し、

など

(そして3にんはそれぞれのみちをあるきだす。えりっく・くらぷとんはくりーむという)

そして3人はそれぞれの道を歩き出す。エリック・クラプトンはクリームという

(ばんどをけっせい、じぇふ・べっくはじぇふ・べっく・ぐるーぷを、そして)

バンドを結成、ジェフ・ベックはジェフ・ベック・グループを、そして

(じみー・ぺいじはれっど・つぇっぺりんをけっせいする。くりーむがいちばんはやく、)

ジミー・ペイジはレッド・ツェッペリンを結成する。クリームが一番早く、

(べっくとぺいじは60ねんだいもおわりにちかづいたころだった。かれらがこのあたらしい)

ベックとペイジは60年代も終わりに近づいた頃だった。彼等がこの新しい

(ばんどでやってみせたかったのはぶるーすをしゅたいとした、とてつもなく)

バンドでやって見せたかったのはブルースを主体とした、とてつもなく

(ぱわふるでげきてきなろっくだった。ようするに「はーど・ろっく」とよばれる)

パワフルで劇的なロックだった。要するに「ハード・ロック」と呼ばれる

(じゃんるのおんがくのどだいをつくったのだ。そして70ねんだいははーど・ろっくの)

ジャンルの音楽の土台を作ったのだ。そして70年代はハード・ロックの

(おうごんじだいをむかえることになる。3にんは3ようであり、そのごはもっともっと3にんは)

黄金時代を迎える事になる。3人は3様であり、その後はもっともっと3人は

(それぞれのほうこうへとはなれていってしまうのだけど、なぜこのばかうまい3にんの)

それぞれの方向へと離れていってしまうのだけど、なぜこのバカうまい3人の

(ぎたりすとがそろいもそろって、はーどなほうこうへむかったのかはかんがえてみると)

ギタリストが揃いも揃って、ハードな方向へ向かったのかは考えてみると

(おもしろい。こじんてきには、あのわかくしていってしまったてんさいぎたりすと、)

面白い。個人的には、あの若くして逝ってしまった天才ギタリスト、

(じみ・へんのえいきょうがおおきいんじゃないかなとおもう。じみ・へんはごぞんじのとおり)

ジミ・ヘンの影響が大きいんじゃないかなと思う。ジミ・ヘンはご存知の通り

(こくじんであった。ぶるーすをやっているはくじんにとってはこくじんにはこんぷれっくすが)

黒人であった。ブルースをやっている白人にとっては黒人にはコンプレックスが

(あるようにおもう。そこへもってきて、じみ・へんはぱわふるでそうるふるな)

あるように思う。そこへ持ってきて、ジミ・ヘンはパワフルでソウルフルな

(おとをはなっていた。じみ・へんはぎたーをひいたのではなく、ぎたーでさけび、)

音を放っていた。ジミ・ヘンはギターを弾いたのではなく、ギターで叫び、

(うたい、あえぎ、ないたのだった。ざ・ふーのぎたりすとのぴーと・たうんぜんと)

歌い、あえぎ、泣いたのだった。ザ・フーのギタリストのピート・タウンゼント

(がじみ・へんのらいぶをみたあとくらぷとんをよびだし「すごいやつがでてきた、)

がジミ・ヘンのライブを見た後クラプトンを呼び出し「凄い奴が出てきた、

(おれたちはしつぎょうにおいこまれちまう」とそうだんしたほどだ。どれだけてくにっくが)

俺たちは失業に追い込まれちまう」と相談したほどだ。どれだけテクニックが

(あろうと、こくじんのぶるーすふぃーりんぐをえとくしていても、ぎたーそうしゃほんにんの)

あろうと、黒人のブルースフィーリングを会得していても、ギター奏者本人の

(かんじょうがとろされていなければ、ほんもののぎたりすととはいえない。この3にんは)

感情が吐露されていなければ、本物のギタリストとは言えない。この3人は

(てくにっくのうえにそのかんじょうのとろにいちはやくきづき、ぎたーにうたわせ、しゃべらせ、)

テクニックの上にその感情の吐露にいち早く気づき、ギターに歌わせ、喋らせ、

(なかせることができたひとたちなのではなかろうか。じみ・へんのとうじょういこう、)

泣かせることができた人たちなのではなかろうか。ジミ・ヘンの登場以降、

(かれら3にんがもさくし、かこうしたあたらしいぎたーしゅたいのろっく(はーど・ろっく)の)

彼等3人が模索し、加工した新しいギター主体のロック(ハード・ロック)の

(おもいりずむと「なきのぎたー」は、とうじのべとなむせんそうやがくせいうんどうのはいぼくなどと)

重いリズムと「泣きのギター」は、当時のベトナム戦争や学生運動の敗北などと

(いった、へヴぃーなしゃかいじょうせいと、よくあつされたわかものたちのうちにこもった)

いった、ヘヴィーな社会情勢と、抑圧された若者たちの内にこもった

(えねるぎーをみごとにはらしたのだった。)

エネルギーを見事に晴らしたのだった。

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