草枕 夏目漱石 2/3

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね2お気に入り登録1
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夏目漱石の草枕
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1 曙太郎 3533 D+ 3.8 92.1% 1776.3 6860 584 100 2024/03/30

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問題文

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(がでありしであるいじょうはじめんをもらって、かいたくするきにもならねば、てつどうをかけて)

画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて

(ひともうけするりょうけんもおこらぬ。ただこのけしきがーーはらのたしにもならぬ、げっきゅうの)

一儲けする了見も起らぬ。ただこの景色がーー腹の足しにもならぬ、月給の

(おぎないにもならぬこのけしきがけしきとしてのみ、よがこころをたのしませつつあるからくろうも)

補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も

(しんぱいもともなわぬのだろう。しぜんのちからはここにおいてたっとい。ごじんのせいじょうをしゅんこくに)

心配も伴わぬのだろう。自然の力はここにおいて尊とい。吾人の性情を瞬刻に

(とうやしてじゅんことしてじゅんなるしきょうにはいらしむるのは)

陶冶《とうや》して醇乎《じゅんこ》として醇なる詩境に入らしむるのは

(しぜんである。こいはうつくしかろ、こうもうつくしかろ、ちゅうくんあいこくもけっこうだろう。)

自然である。恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。

(しかしじしんがそのきょくにあたればりがいのつむじにまきこまれて、うつくしきことにも、)

しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、

(けっこうなことにも、めはくらんでしまう。したがってどこにしがあるかじしんには)

結構な事にも、目は眩んでしまう。したがってどこに詩があるか自身には

(げしかねる。これがわかるためには、わかるだけのよゆうのあるだいさんしゃのちいに)

解しかねる。これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に

(たたねばならぬ。さんしゃのちいにたてばこそしばいはみておもしろい。しょうせつもみて)

立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て

(おもしろい。しばいをみておもしろいひとも、しょうせつをよんでおもしろいひとも、じこのりがいはたなへ)

面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ

(あげている。みたりよんだりするあいだだけはしじんである。それすら、ふつうのしばいや)

上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。それすら、普通の芝居や

(しょうせつではにんじょうをまぬかれぬ。くるしんだり、おこったり、さわいだり、ないたりする。)

小説では人情を免かれぬ。苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりする。

(みるものもいつかそのなかにどうかしてくるしんだり、おこったり、さわいだり、)

見るものもいつかその中に同化して苦しんだり、怒ったり、騒いだり、

(ないたりする。とりえはりよくがまじらぬというてんにそんするかもしれぬが、)

泣いたりする。取柄は利慾が交らぬと云う点に存するかも知れぬが、

(まじらぬだけにそのほかのじょうちょはつねよりはよけいにかつどうするだろう。それがいやだ。)

交らぬだけにその他の情緒は常よりは余計に活動するだろう。それが嫌だ。

(くるしんだり、おこったり、さわいだり、ないたりはひとのよにつきものだ。よも)

苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も

(さんじゅうねんのあいだそれをしとおして、あきあきした。あきあきしたうえにしばいやしょうせつでおなじ)

三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ

(しげきをくりかえしてはたいへんだ。よがほっするしはそんなせけんてきのにんじょうを)

刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を

(こぶするようなものではない。ぞくねんをほうきして、しばらくでもじんかい)

鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界《じんかい》

など

(をはなれたこころもちになれるしである。いくらけっさくでもにんじょうをはなれたしばいはない、)

を離れた心持ちになれる詩である。いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、

(りひをぜっしたしょうせつはすくなかろう。どこまでもせけんをでることができぬのがかれらの)

理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの

(とくしょくである。ことにせいようのしになると、じんじがねもとになるからいわゆるしいかの)

特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の

(じゅんわくなるものもこのきょうをげだつすることをしらぬ。どこまでもどうじょうだとか、)

純枠なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、

(あいだとか、せいぎだとか、じゆうだとか、うきよのかんこうばにあるもの)

愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場《かんこうば》にあるもの

(だけでようをべんじている。いくらしてきになってもじめんのうえをかけてあるいて、)

だけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を駆けてあるいて、

(ぜにのかんじょうをわすれるひまがない。しぇれーがひばりをきいてたんそくしたのもむりはない)

銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない

(うれしいことにとうようのしいかはそこをげだつしたのがある。)

うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。

(きくをとうりのもと、ゆうぜんとなんざんをみる)

採菊東籬下《きくをとうりのもと》、悠然見南山《ゆうぜんとなんざんをみる》

(ただそれぎりのうらにあつくるしいよのなかをまるでわすれたこうけいがでてくる。かきのむこうに)

ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに

(となりのむすめがのぞいてるわけでもなければ、なんざんにしんゆうがほうしょくしているしだいでもない。)

隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。

(ちょうぜんとしゅっせけんてきにりがいそんとくのあせをながしさった)

超然と出世間的《しゅっせけんてき》に利害損得の汗を流し去った

(こころもちになれる。ひとりざすゆうこうのうち、)

心持ちになれる。独坐幽篁裏《ひとりざすゆうこうのうち》、

(だんきんまたちょうしょうすしんりんひとしらず)

弾琴復長嘯《だんきんまたちょうしょうす》深林人不知《しんりんひとしらず》

(めいげつきたりあいてらす。ただにじゅうじのうちにゆうに)

明月来相照《めいげつきたりあいてらす》。ただ二十字のうちに優に

(べつけんこんをこんりゅうしている。このけんこんの)

別乾坤《べつけんこん》を建立《こんりゅう》している。この乾坤の

(くどくは「ほととぎす」や「こんじきやしゃ」のくどくではない。)

功徳《くどく》は「不如帰《ほととぎす》」や「金色夜叉」の功徳ではない。

(きせん、きしゃ、けんり、ぎむ、どうとく、れいぎでつかれはてたのちに、すべてをぼうきゃくして)

汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てた後に、すべてを忘却して

(ぐっすりねこむようなくどくである。にじゅっせいきにすいみんがひつようならば、)

ぐっすり寝込むような功徳である。二十世紀に睡眠が必要ならば、

(にじゅっせいきにこのしゅっせけんてきのしみはたいせつである。おしいことにいまのしをつくるひとも、)

二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、

(しをよむひともみんな、せいようじんにかぶれているから、わざわざのんきな)

詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な

(へんしゅうをうかべてこのとうげんにさかのぼるものはないようだ。)

扁舟《へんしゅう》を泛《うか》べてこの桃源に遡るものはないようだ。

(よはもとよりしじんをしょくぎょうにしておらんから、おういやえんめいの)

余は固より詩人を職業にしておらんから、王維《おうい》や淵明《えんめい》の

(きょうがいをいまのよにふきょうしてひろげようというこころがけもなにもない。ただじぶんにはこういう)

境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。ただ自分にはこう云う

(かんきょうがえんげいかいよりもぶとうかいよりもらくになるようにおもわれる。ふぁうすとよりも、)

感興が演芸会よりも舞踏会よりも楽になるように思われる。ファウストよりも、

(はむれっとよりもありがたくかんがえられる。こうやって、ただひとりえのぐはこと)

ハムレットよりもありがたく考えられる。こうやって、ただ一人絵の具箱と

(さんきゃくきをかついではるのやまじをのそのそあるくのもまったくこれが)

三脚几《さんきゃくき》を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれが

(ためである。えんめい、おういのしきょうをちょくせつにしぜんからきゅうしゅうして、すこしのまでも)

ためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも

(ひにんじょうのてんちにしょうようしたいからのねがい。)

ひ人情の天地に逍遥《しょうよう》したいからの願。

(ひとつのすいきょうだ。もちろんにんげんのいちぶんしだから、いくらすきでも、)

一つの酔興《すいきょう》だ。もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、

(ひにんじょうはそうながくつづくわけにはいかぬ。えんめいだってねんがねんじゅうなんざんをみつめて)

ひ人情はそう長く続く訳には行かぬ。淵明だって年が年中南山を見詰めて

(いたのでもあるまいし、おういもこのんでたけやぶのなかにかやをつらずにねたおとこでも)

いたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でも

(なかろう。やはりあまったきくははなやへうりこかして、はえたたけのこはやおやへ)

なかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ

(はらいさげたものとおもう。こういうよもそのとおり。いくらひばりとなのはなが)

払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が

(きにいったって、やまのなかへのじゅくするほどひにんじょうがつのってはおらん。)

気に入ったって、山のなかへ野宿するほどひ人情が募ってはおらん。

(こんなところでもにんげんにあう。じんじんばしょりのほおかむり)

こんな所でも人間に逢う。じんじん端折り《ばしょり》の頬冠り《ほおかむり》

(や、あかいこしまきのあねさんや、ときにはにんげんよりかおのながいうまにまであう。)

や、赤い腰巻の姉さんや、時には人間より顔の長い馬にまで逢う。

(ひゃくまんぼんのひのきにとりかこまれて、かいめんをぬくなんびゃくしゃくかのくうきをのんだり)

百万本の檜に取り囲まれて、海面を抜く何百尺かの空気を呑んだり

(はいたりしても、ひとのにおいはなかなかとれない。それどころか、やまをこえて)

吐いたりしても、人の臭いはなかなか取れない。それどころか、山を越えて

(おちつくさきの、こよいのやどはなこいのおんせんばだ。)

落ちつく先の、今宵の宿は那古井《なこい》の温泉場だ。

(ただ、ものはみようでどうでもなる。れおなるど・だ・ヴぃんちがでしにつげた)

ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた

(ことばに、あのかねのおとをきけ、かねはひとつだが、おとはどうとも)

言《ことば》に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも

(きかれぬとある。ひとりのおとこ、ひとりのおんなもみようしだいでいかようともみたてがつく。)

聞かれぬとある。一人の男、一人の女も見様次第でいかようとも見立てがつく。

(どうせひにんじょうをしにでかけたたびだから、そのつもりでにんげんをみたら、)

どうせひ人情をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、

(うきよこうじのなんけんめにせまくるしくくらしたときとはちがうだろう。よしまったくにんじょうを)

浮世小路の何軒目に狭苦しく暮した時とは違うだろう。よし全く人情を

(はなれることができんでも、せめておのうはいけんのときくらいはあわいこころもちには)

離れる事が出来んでも、せめて御能拝見の時くらいは淡い心持ちには

(なれそうなものだ。のうにもにんじょうはある。しちきおちでも、すみだがわでも)

なれそうなものだ。能にも人情はある。七騎落《しちきおち》でも、隅田川でも

(なかぬとはほしょうができん。しかしあれはじょうさんぶげいしちぶでみせるわざだ。)

泣かぬとは保証が出来ん。しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。

(われらがのうからうけるありがたみはげかいのにんじょうをよくそのままにうつすてぎわから)

我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から

(でてくるのではない。そのままのうえへげいじゅつというきものをなんまいもきせて、よのなかに)

出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中に

(あるまじきゆうちょうなふるまいをするからである。しばらくこのりょちゅうにおこるできごとと、)

あるまじき悠長な振舞をするからである。しばらくこの旅中に起る出来事と、

(りょちゅうにであうにんげんをのうのしくみとのうやくしゃのしょさにみたてたらどうだろう。)

旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。

(まるでにんじょうをすてるわけにはいくまいが、ねがしてきにできたたびだから、ひにんじょうの)

まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、ひ人情の

(やりついでに、なるべくせっけんしてそこまではこぎつけたいものだ。なんざんや)

やりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ。南山や

(ゆうこうとはたちがちがったものにそういないし、またひばりやなのはなと)

幽篁《ゆうこう》とは性が違ったものに相違ないし、また雲雀や菜の花と

(いっしょにすることもできまいが、なるべくこれにちかづけて、ちかづけえるかぎりは)

いっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは

(おなじかんさつてんからにんげんをみてみたい。ばしょうというおとこはまくらもとへうまがいばりするのをさえ)

同じ観察点から人間を視てみたい。芭蕉と云う男は枕元へ馬が尿するのをさえ

(がなこととみたててほっくにした。よもこれからあうじんぶつをーーひゃくしょうも、ちょうにんも、)

雅な事と見立てて発句にした。余もこれから逢う人物をーー百姓も、町人も、

(むらやくばのしょきも、じいさんもばあさんもーーことごとくだいしぜんのてんけいとして)

村役場の書記も、爺さんも婆さんもーーことごとく大自然の点景として

(えがきだされたものとかていしてとりこなしてみよう。もっともえちゅうのじんぶつとちがって、)

描き出されたものと仮定して取こなして見よう。もっとも画中の人物と違って、

(かれらはおのがじしかってなまねをするだろう。しかしふつうのしょうせつかのように)

彼らはおのがじし勝手な真似をするだろう。しかし普通の小説家のように

(そのかってなまねのこんぽんをさがしぐって、しんりさようにたちいったり、じんじかっとうの)

その勝手な真似の根本を探ぐって、心理作用に立ち入ったり、人事葛藤の

(せんぎだてをしてはぞくになる。うごいてもかまわない。えちゅうのにんげんがうごくとみれば)

詮議立てをしては俗になる。動いても構わない。画中の人間が動くと見れば

(さしつかえない。えちゅうのじんぶつはどううごいてもへいめんいがいにでられるものではない。)

差し支ない。画中の人物はどう動いても平面以外に出られるものではない。

(へいめんいがいにとびだして、りっぽうてきにはたらくとおもえばこそ、こっちとしょうとつしたり、)

平面以外に飛び出して、立方的に働くと思えばこそ、こっちと衝突したり、

(りがいのこうしょうがおこったりしてめんどうになる。めんどうになればなるほどびてきにみている)

利害の交渉が起ったりして面倒になる。面倒になればなるほど美的に見ている

(わけにはいかなくなる。これからあうにんげんにはちょうぜんととおきうえからけんぶつするきで、)

訳には行かなくなる。これから逢う人間には超然と遠き上から見物する気で、

(にんじょうのでんきがむやみにそうほうでおこらないようにする。そうすればあいてがいくら)

人情の電気がむやみに双方で起らないようにする。そうすれば相手がいくら

(はたらいても、こちらのふところにはよういにとびこめないわけだから、つまりはえのまえへ)

働いても、こちらの懐には容易に飛び込めない訳だから、つまりは画の前へ

(たって、えちゅうのじんぶつががめんのうちをあちらこちらとさわぎまわるのをみるのと)

立って、画中の人物が画面の中をあちらこちらと騒ぎ廻るのを見るのと

(おなじわけになる。あいださんしゃくもへだてていればおちついてみられる。あぶなげなしに)

同じ訳になる。間三尺も隔てていれば落ちついて見られる。あぶな気なしに

(みられる。ことばをかえていえば、りがいにきをうばわれないから、ぜんりょくを)

見られる。言《ことば》を換えて云えば、利害に気を奪われないから、全力を

(あげてかれらのどうさをげいじゅつのほうめんからかんさつすることができる。よねんもなくびか)

挙げて彼らの動作を芸術の方面から観察する事が出来る。余念もなく美か

(びでないかとかんしきすることができる。ここまでけっしんをしたとき、)

美でないかと鑒識《かんしき》する事が出来る。ここまで決心をした時、

(そらがあやしくなってきた。にえきれないくもが、あたまのうえへもたれ)

空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂れ《もたれ》

(かかっていたとおもったが、いつのまにか、くずれだして、しほうはただくものうみかと)

懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと

(あやしまれるなかから、しとしととはるのあめがふりだした。なのはなはとくにとおりすごして)

怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾くに通り過して

(いまはやまとやまのあいだをいくのだが、あめのいとがこまやかでほとんどきりを)

今は山と山の間を行くのだが、雨の糸が濃か《こまやか》でほとんど霧を

(あざむくくらいだから、へだたりはどれほどかわからぬ。ときどきかぜがきて、たかいくもを)

欺くくらいだから、隔たりはどれほどかわからぬ。時々風が来て、高い雲を

(ふきはらうとき、うすぐろいやまのせがみぎてにみえることがある。)

吹き払うとき、薄黒い山の背が右手に見える事がある。

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