90秒:織田信長編

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問題文
(おだのぶながは、おだだんじょうただいえのとうしゅおだのぶひでのこにうまれ、)
織田信長は、織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、
(おわりのいちちほうりょうしゅとしてそのしょうがいをあゆみはじめた。)
尾張の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。
(えいろく3ねん(1560ねん)、のぶながはおけはざまのたたかいにおいて)
永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦いにおいて
(するがのせんごくだいみょういまがわよしもとをげきはした。)
駿河の戦国大名・今川義元を撃破した。
(そして、みかわのりょうしゅとくがわいえやすとどうめいをむすぶ。)
そして、三河の領主・徳川家康と同盟を結ぶ。
(えいろく8ねん(1565ねん)、いぬやまじょうのおだのぶきよを)
永禄8年(1565年)、犬山城の織田信清を
(やぶることでおわりのとういつをたっせいした。)
破ることで尾張の統一を達成した。
(いっぽうで、むろまちばくふしょうぐんあしかがよしてるがさつがいされた)
一方で、室町幕府将軍足利義輝が殺害された
((えいろくのせいへん)あとに、あしかがしょうぐんけのあしかがよしあきから)
(永禄の政変)後に、足利将軍家の足利義昭から
(むろまちばくふさいこうのよびかけをうけじょうらくをはかろうとした。みののさいとうし)
室町幕府再興の呼びかけを受け上洛を図ろうとした。美濃の斉藤氏
(とのたいりつのためこれはじつげんしなかったが、)
との対立のためこれは実現しなかったが、
(えいろく10ねん(1567ねん)にはさいとうしのくちくにせいこうし)
永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し
(おわりみののにかこくをりょうするせんごくだいみょうとなった。)
尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった。
(そして、あらためてばくふさいこうをこころざすいをこめて、)
そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、
(「てんかふぶ」のしるしをしようした。)
「天下布武」の印を使用した。