桜雨 -16-

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師匠シリーズ
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(ひろさんはこたえられなかった。) ヒロさんは答えられなかった。 (らいねんのはるに、きっとまたさくらはさく。そういいたかったのに。) 来年の春に、きっとまた桜は咲く。そう言いたかったのに。 (あかいふくのおんなのひとは、やさしいかおをしてちかづいてきた。) 赤い服の女の人は、優しい顔をして近づいてきた。 (そうしてむなもとからほそいくさりをとりだして、) そうして胸元から細い鎖を取り出して、 (そのさきについていたものをゆっくりとはずした。) その先についていたものをゆっくりと外した。 (ぎんいろのちいさなかぎだった。) 銀色の小さな鍵だった。 (ひろさんはえりもとにおんなのひとのくびすじがみえたとき、どぎまぎしてしまった。) ヒロさんは襟元に女の人の首筋が見えたとき、ドギマギしてしまった。 (おもわずそっぽをむこうとしたひろさんのみぎてのてのひらのうえに、) 思わずそっぽを向こうとしたヒロさんの右手の手のひらの上に、 (そのかぎがのせられた。) その鍵が乗せられた。 (「やくそく」) 「約束」 (「え」) 「え」 (ひろさんはかおをもどす。) ヒロさんは顔を戻す。 (するとめのまえにおんなのひとのかおがあって、やっぱりそっぽをむきたくなった。) すると目の前に女の人の顔があって、やっぱりそっぽを向きたくなった。 (「やくそく。へっても、かえってくるんでしょう」) 「約束。減っても、帰ってくるんでしょう」 (「うん、うん」) 「うん、うん」 (ようやくそれだけをいった。) ようやくそれだけを言った。 (おんなのひとはめをほそめてわらう。) 女の人は目を細めて笑う。 (「それを、またみたいから」) 「それを、また見たいから」 (そういっててのひらをゆっくりとにぎらせる。) そう言って手のひらをゆっくりと握らせる。 (てのあたたかいかんしょくにひろさんのしんぞうはどきどきとしていた。) 手の暖かい感触にヒロさんの心臓はドキドキとしていた。
など
(「ふたりで、さいたさくらをもういちど、ここでみる。そのやくそくのあかしに」) 「二人で、咲いた桜をもう一度、ここで見る。その約束の証に」 (そのえがおがいつまでも、まぶたのおくにのこった。) その笑顔がいつまでも、瞼の奥に残った。 (きおくがいろあせても、それでもときがとまったように。) 記憶が色あせても、それでも時が止まったように。 (いつまでも。) いつまでも。 (それから、ひろさんのくらしはすこしかわった。) それから、ヒロさんの暮らしは少し変わった。 (いままではただたべていくためにいきていたのに、むねのなかのどこかおく、) 今まではただ食べていくために生きていたのに、胸の中のどこか奥、 (なによりもだいじなばしょにそのやくそくがどくんどくんといきをしていた。) なによりも大事な場所にその約束がどくんどくんと息をしていた。 (そのためにはたらいた。つらいことがあっても、このまちで。) そのために働いた。つらいことがあっても、この街で。 (いちねんがすぎた。) 一年が過ぎた。 (ひろさんは、だまされたり、うそをつかれたりしながら、) ヒロさんは、騙されたり、嘘をつかれたりしながら、 (どろにまみれるひびのくらしのなかでほんのすこしのたくわえをつくっていた。) 泥にまみれる日々の暮らしの中でほんの少しの蓄えを作っていた。 (またさくらのきがはなをさかせると、しごとをとめてあのあきちにやってきた。) また桜の木が花を咲かせると、仕事を止めてあの空き地にやってきた。 (そしてひがないちにち、どかんのうえにこしかけてさくらをみていた。) そして日がな一日、ドカンの上に腰掛けて桜を見ていた。 (どきどきしながら。) ドキドキしながら。 (あのひとにまたあえるかもしれないから。) あの人にまた会えるかも知れないから。 (あのひとがいつここにやってきてもあえるように、さくらがちるまでのあいだ、) あの人がいつここにやって来ても会えるように、桜が散るまでの間、 (ずっとここにいられるようにこのいちねんをがんばってきたのだ。) ずっとここにいられるようにこの一年を頑張ってきたのだ。 (みっかがたった。) 三日が経った。 (いつかがたった。) 五日が経った。 (いっしゅうかんが。そしてにしゅうかんがたった。) 一週間が。そして二週間が経った。 (そうしてちっていくさくらをみていた。) そうして散っていく桜を見ていた。 (ひとりで。どかんのうえにこしかけて。) 一人で。ドカンの上に腰掛けて。 (さくらのはなはくろいえだのさきから、ひらひらとひらひらとすこしずつへっていった。) 桜の花は黒い枝の先から、ひらひらとひらひらと少しずつ減っていった。 (みぎてににぎったかぎをそっとみる。するとほのかにむねのおくがあたたかくなった。) 右手に握った鍵をそっと見る。するとほのかに胸の奥が暖かくなった。 (「ふたりで、さいたさくらをもういちど、ここでみる。そのやくそくのあかしに」) 「二人で、咲いた桜をもう一度、ここで見る。その約束の証に」 (そのことばがみみのなかによみがえった。) その言葉が耳の中に蘇った。 (やくそく。) 約束。 (そう。) そう。 (へっても。またかえってくる。) へっても。またかえってくる。 (やくそく。) 約束。 (そのひとみのさきに、はなびらはまいつづける。) その瞳の先に、花びらは舞い続ける。
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