変な恋 小酒井不木 ①
窩主買い・けいずかい:盗品と知りながら売買すること。 また、その商人。
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問題文
(へんなにんげんがこいをすると、へんなけつまつにおわりやすい。)
変な人間が恋をすると、変な結末に終り易い。
(しかしたといへんなにんげんのこいといえども、こいそのものはけっしてへんではなく、)
しかしたとい変な人間の恋といえども、恋そのものは決して変ではなく、
(へんでないひとのこいとおなじであるけれども、けつまつがへんであれば、)
変でない人の恋と同じであるけれども、結末が変であれば、
(まあ「へんなこい」といってもよいであろう。)
まあ「変な恋」といってもよいであろう。
(あめりかがっしゅうこくににゅーよーくというところがある。こういうとどくしゃは)
アメリカ合衆国にニューヨークという所がある。こういうと読者は
(ひとをばかにするなといわれるかもしれぬが、ろんどんというまちが)
人を馬鹿にするなといわれるかも知れぬが、ロンドンという町が
(かなだにもあるから、まちがいのないようにちょっとことわっただけである。)
カナダにもあるから、間ちがいのないように一寸ことわっただけである。
(さて、そのにゅーよーくというところには、ずいぶんへんなにんげんが)
さて、そのニューヨークというところには、ずいぶん変な人間が
(たくさんすんでいて、かなりにへんなしょくぎょうをいとなんでくらしている。)
沢山住んでいて、かなりに変な職業を営んで暮している。
(たとえばたにんのもっているかねをくちさきひとつで)
例えば他人の持っている金を口先一つで
(じぶんのものにするというようなにんげんがたくさんいるのである。)
自分のものにするというような人間が沢山居るのである。
(そういうにんげんはいまにかぎらず、むかしから、)
そういう人間は今に限らず、むかしから、
(にゅーよーくがしゅようさんちであったそうで、したがってにゅーよーくでは)
ニューヨークが主要産地であったそうで、従ってニューヨークでは
(へんなにんげんによって、へんなこいのおこなわれたためしはけっしてこれまで)
変な人間によって、変な恋の行われたためしは決してこれまで
(すくなくはなかったのである。)
少くはなかったのである。
(で、わたしはそのうちのいちれいをひだりにしょうかいしようとおもうのである。)
で、私はそのうちの一例を左に紹介しようと思うのである。
(いまからおよそごろくじゅうねんまえのこととおもっていただきたい。)
今からおよそ五六十年前のことと思って頂きたい。
(にゅーよーくのまんはったんぎんこうのまんむかえに、)
ニューヨークのマンハッタン銀行のまん向かえに、
(じょん・ぐれーじーというだいやもんどしょうがあった。)
ジョン・グレージーというダイヤモンド商があった。
(そのころこのおとこはせかいでもゆうすうのほうせきしょうで、)
その頃この男は世界でも有数の宝石商で、
(ねんねんなんじゅうまん、なんびゃくまんえんのとりひきをして、どんなこうかなほうせきでも、)
年々何十万、何百万円の取引をして、どんな高価な宝石でも、
(うるひとさえあればどしどしかいこむのであった。)
売る人さえあればどしどし買い込むのであった。
(じっさいぐれーじーのいえへくるきゃくは、)
実際グレージーの家へ来る客は、
(ほうせきをかうひとよりもうるひとのほうがだいぶをしめていた。)
宝石を買う人よりも売る人の方が大部を占めていた。
(しかもそのきゃくは、かおにへんなわらいをうかべ、へんなもののいいかたをして、)
しかもその客は、顔に変な笑いを浮べ、変なものの言い方をして、
(へんなてつきでかねをもらっていくのであった。)
変な手附きで金を貰って行くのであった。
(そうして、そのかいねは、じかよりもうんとやすかったけれども、)
そうして、その買値は、時価よりもうんと安かったけれども、
(うりてはべつにふそくをいわず、いいだくだくとして、)
売り手は別に不足をいわず、唯々諾々として、
(かれのつけるねだんにまんぞくした。)
彼のつける値段に満足した。
(ことばをかえていうならば、それらのきゃくは、みどりのりんぱくのろう、)
言葉を換えて言うならば、それらの客は、緑の林白の浪、
(てっとりばやくいうならばすなわちほうせきどろぼうであった。)
手っとり早く言うならば即ち宝石泥棒であった。
(したがって、ぐれーじーはもうすまでもなく、けいずかいであったのである。)
従って、グレージーは申すまでもなく、窩主買いであったのである。
(まったくそのとうじ、かれはせかいだいいちのけいずかいだとひょうばんされていた。)
全くその当時、彼は世界第一の窩主買いだと評判されていた。
(けいずかいのひょうばんがたって、そのようにどうどうしょうばいしていくのは、)
窩主買いの評判が立って、そのように堂々商売して行くのは、
(ちょっとおかしくおもわれるが、けいさつではしょうこをにぎることができなかったので、)
一寸おかしく思われるが、警察では証拠を握ることが出来なかったので、
(どうにもいたしかたがなかったのである。)
どうにも致し方がなかったのである。
(かれはいつもくろいかばんのなかににまんえんいじょうのほうせきをいれてたずさえていた。)
彼はいつも黒い鞄の中に二万円以上の宝石を入れて携えていた。
(かれはほうせきかんていかとしてはだいいちりゅうのにんげんであって、)
彼は宝石鑑定家としては第一流の人間であって、
(ほかのほうせきしょうからもかんていにまねかれたが、かれのかんていしたほうせきが、)
他の宝石商からも鑑定に招かれたが、彼の鑑定した宝石が、
(ときをへてかれのしゅちゅうにころげこむことは、けっしてまれでなかった。)
時を経て彼の手中にころげこむことは、決して稀でなかった。
(けいさつのみつもりによると、かれのいっしょうがいにとりあつかったほうせきは)
警察の見積りによると、彼の一生涯に取り扱った宝石は
(いっせんまんえんいじょうのだかにのぼったということである。)
一千万円以上の高に上ったということである。
(かれはせいのみじかいがっしりしたたいかくのおとこで、)
彼は脊の短いがっしりした体格の男で、
(きょうこないしがびうのあいだにうかがわれ、)
強固な意志が眉宇の間に窺われ、
(にゅーよーくのあんこくかいにおけるいちだいせいりょくであった。)
ニューヨークの暗黒界に於ける一大勢力であった。
(かれがひとたびくちばしれば、どんなはんざいしゃも)
彼が一たび口走れば、どんな犯罪者も
(れいごのひととならねばならなかったのであるから、)
囹圄の人とならねばならなかったのであるから、
(まったくむりもないはなしである。)
全く無理もない話である。
(しかしかれはあるとき、ごうとうたちにたずさえていたかばんをねらわれて、)
しかし彼はある時、強盗たちに携えていた鞄を狙われて、
(さんざんなめにあい、それいごしんぞうをわるくして、)
さんざんな目に逢い、それ以後心臓を悪くして、
(いつなんどきたおれるかもしれぬからだとなったのである。)
いつ何時たおれるかも知れぬ身体となったのである。
(まさかしんぞうがわるくなったからというわけでもあるまいが、)
まさか心臓が悪くなったからという訳でもあるまいが、
(このへんなおとこがあるおんなをこいするようになったのである。)
この変な男がある女を恋するようになったのである。
(そうして、おまえとならばどこまでも、)
そうして、お前とならばどこまでも、
(ないやがらはあまりちかすぎるから、けごんのたきへでもとびこむか、)
ナイヤガラはあまり近過ぎるから、華厳の滝へでも飛びこむか、
(あるいはまつやごふくてんのちょうじょうからとびおりてもかまわないというほどに)
或は松屋呉服店の頂上から飛び降りてもかまわないという程に
(のぼせこんだのであった。)
のぼせ込んだのであった。
(おんなはにゅーよーくのあるふごうのわかいみぼうじんであった。)
女はニューヨークのある富豪の若い未亡人であった。
(わかいみぼうじんはとかくかねがいるものであるとみえて、)
若い未亡人はとかく金が要るものであると見えて、
(かのじょもこまったすえにたいせつなほうせきをてばなすとて、ぐれーじーのみせを)
彼女も困った末に大切な宝石を手ばなすとて、グレージーの店を
(たずねたのである。それがふたりのあいしるきかいとなり、)
たずねたのである。それが二人の相識る機会となり、
(ぐれーじーはおんなとほうせきとにぞっこんほれこんで、)
グレージーは女と宝石とにぞっこん惚れこんで、
(かのじょのほうせきをどしどしかいこんだのである。)
彼女の宝石をどしどし買い込んだのである。
(しかし、ほうせきはどこのいえにもむすうにあるわけではない。)
しかし、宝石はどこの家にも無数にある訳ではない。
(うってしまえばなくなるのはとうぜんのことであって、)
売ってしまえばなくなるのは当然のことであって、
(とうとうふたりはへんなけいかくをたてたのである。)
とうとう二人は変な計画をたてたのである。
(すなわちかれはかのじょにほうせきをぬすむことをおしえ、)
即ち彼は彼女に宝石を盗むことを教え、
(かのじょのもってきたほうせきをどしどしかうのであった。)
彼女の持って来た宝石をどしどし買うのであった。
(そのころふごうのかいごうのせきじょうで、ほうせきがたびたびふんしつしたが、)
その頃富豪の会合の席上で、宝石が度々紛失したが、
(とうとうそのげんいんはしれないですんだ。)
とうとうその原因は知れないですんだ。
(おとこのこいはだんだんふかくなっていった。)
男の恋はだんだん深くなって行った。
(おんなははじめはまんざらにくいともおもわなかったが、)
女は始めはまんざらにくいとも思わなかったが、
(ひみつをしられていると、なんだかそらおそろしいようになって、)
秘密を知られていると、何だか空おそろしいようになって、
(おとこをきらうようになった。)
男をきらうようになった。
(しかし、もはやどうすることもできなかった。)
しかし、もはやどうすることも出来なかった。
(そうして、だんだんふかみへはいっていくよりほかはなかった。)
そうして、だんだん深みへはいって行くより外はなかった。
(しかたがないから、おんなも、)
仕方がないから、女も、
(おとこをひじょうにあいしているようにみせかけたのである。)
男を非常に愛しているように見せかけたのである。
(とうとう、おとこはもうがまんがしきれなくなって、)
とうとう、男はもう我慢がし切れなくなって、
(ふたりでかけおちしようといいだした。)
二人で駈落しようと言い出した。
(こいのためならかけおちなどするひつようはなかりそうであるけれども、)
恋のためなら駈落などする必要はなかりそうであるけれども、
(ひとつには、かれのけいずかいたるしょうこがだんだんけいさつのてにかさなって、)
一つには、彼の窩主買いたる証拠がだんだん警察の手に重なって、
(しんぺんがすこぶるあやうくなったからである。)
身辺がすこぶる危うくなったからである。
(おんなはもとよりかれとかけおちなどはもうとうもなく、)
女はもとより彼と駈落などは毛頭もなく、
(せっぱつまってついにおそろしいけいかくをむねにだき、)
せっぱつまって遂に恐ろしい計画を胸に抱き、
(しんやにおとこのいえをたずねたのである。)
深夜に男の家をたずねたのである。
(ぐれーじーはそのとき、いえにあるだけのほうせきをにづくりしておんながくれば)
グレージーはそのとき、家にあるだけの宝石を荷造りして女が来れば
(てにてをとってにげだすつもりであった。)
手に手を取って逃げ出すつもりであった。