菊屋敷 山本周五郎 7

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学者の父を亡くした志保は、子供たちに手習いを教えている。
ある日署名のない恋文を受けとる。
そして妹の小松からある相談を持ちかけられる。

撓める/ためる:悪い性質・習慣や癖などを改めなおす。矯正する。
半ぞう/半挿/はんぞう:湯水を注ぐのに用いる器。
物日/ものび:祝い事や祭りなどがある日。
眸子/ぼうし:ひとみ。ここではひとみと読む。山本周五郎に多いふりがな。

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問題文

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(こをなさぬものにこはそだてられぬという。しほはそのことばを)

子をなさぬ者に子は育てられぬという。志保はその言葉を

(じぶんへのいましめにした。ふかのうなことをかのうにするためには、)

自分への戒しめにした。不可能なことを可能にするためには、

(ひとなみなことをしていたのではおよばない。そのうえしほはかれを)

人なみなことをしていたのでは及ばない。そのうえ志保はかれを

(ぶしにそだてようとおもっていた。ただじぶんだけのこにするのではなく、)

武士に育てようと思っていた。ただ自分だけの子にするのではなく、

(おくにのやくにたつにんげん、りっぱにごほうこうのできるぶしにしたい。)

御国の役にたつ人間、りっぱに御奉公のできる武士にしたい。

(そしてもしできるならまつもとはんでくろかわのかめいをさいこうさせたい。)

そしてもしできるなら松本藩で黒川の家名を再興させたい。

(そうかんがえたので、そだてかたのこんなんさはいちばいだったのである。)

そう考えたので、育てかたの困難さは一倍だったのである。

(いもうとのしつけかたによるのだろう。おんじゅんなしょうぶんとみえるのにすこししんけいしつで、)

妹の躾けかたによるのだろう。温順な性分とみえるのに少し神経質で、

(おどおどとしりごみするところがあった。しほはまずそれを)

おどおどとしりごみするところがあった。志保はまずそれを

(ためることからはじめたのである、しんたろうはすなおにそのきもちをうけいれた。)

撓めることから始めたのである、晋太郎はすなおにその気持をうけいれた。

(なかなかわらわないこだったのが、ときにはこえをあげてわらうようになり、)

なかなか笑わない子だったのが、時には声をあげて笑うようになり、

(しほをもごくしぜんに「おかあさま」とよびはじめた。)

志保をもごく自然に「お母さま」と呼びはじめた。

(はじめてそうよばれたときのかんどうを、ながいあいだしほは)

初めてそう呼ばれたときの感動を、ながいあいだ志保は

(わすれることができなかった。どういうかんじだったか、)

忘れることができなかった。どういう感じだったか、

(てきかくにいいあらわすことはできないが、ただこれまでにおぼえたことのないよろこび、)

的確に云い表わすことはできないが、ただこれまでに覚えたことのない歓び、

(それもみうちがうずくようなおおきなよろこびであったことはたしかだ、)

それも身内が疼くような大きな歓びであったことはたしかだ、

(このためにはどんなしんろうもいとわないという、ははおやのあいとは)

子のためにはどんな辛労も厭わないという、母親の愛とは

(こういうかんどうのなかからうまれてくるのにちがいない、しほはそのときそうおもった。)

こういう感動のなかから生れてくるのに違いない、志保はそのときそう思った。

(けれどもあとからかんがえると、はじめのいちねんほどはこどもをよういくするというより、)

けれども後から考えると、はじめの一年ほどは子供を養育するというより、

(むしろしほのほうがおしえられべんきょうしたきかんのようであった。)

寧ろ志保のほうが教えられ勉強した期間のようであった。

など

(ははとはどういうそんざいであるか、こどもとはどういうものであるか、)

母とはどういう存在であるか、子供とはどういうものであるか、

(あけくれしんたろうをみとりながら、さまつなことのはしはしに、)

明け暮れ晋太郎をみとりながら、瑣末な事の端はしに、

(びっくりするほどこどもからおしえられることがおおい。しほのすること、)

びっくりするほど子供から教えられることが多い。志保のすること、

(しほのかんがえること、それがみんなこどものうえにあらわれる。まるでかがみのように、)

志保の考えること、それがみんな子供の上に現われる。まるで鏡のように、

(ははおやのきょそげんどうがそのままこどものうえにはんえいするのである、)

母親の挙措言動がそのまま子供の上に反映するのである、

(こどもをそだてるということはじぶんがしゅぎょうすることだ、しほがこころから)

子供を育てるということは自分が修業することだ、志保が心から

(そうさとったのはあくるとしのあきのころだった。こどもはおしえられることよりも、)

そう悟ったのは明くる年の秋の頃だった。子供は教えられることよりも、

(おしえまいとすることのほうをすばやくおぼえる。こちらがひざをただして)

教えまいとすることのほうをすばやく覚える。こちらが膝を正して

(さとすことはききたがらない。しかしたとえばねそべってはなす)

訓すことは聞きたがらない。しかしたとえば寝そべって話す

(きらくなはなしはよくきく。あらわれたところよりもかくれてみえない)

気楽な話はよく聞く。あらわれたところよりも隠れてみえない

(ところにきょうみをもつ。だからことのよしあしは、おしえるよりもまず)

ところに興味をもつ。だから事のよしあしは、訓えるよりもまず

(じぶんでしめすほうがすなおにうけいれられるのだ。)

自分で示すほうがすなおに受け容れられるのだ。

(「よういくするのではない」しほはつくづくとそうおもった、)

「養育するのではない」志保はつくづくとそう思った、

(「じぶんがこどもからよういくされるのだ、これがこどもをそだてるこんぽんだ」)

「自分が子供から養育されるのだ、これが子供を育てる根本だ」

(おやこのあいじょうというものもしぜんにむすばれてゆき、せいしつもすこしずつ)

母子の愛情というものもしぜんに結ばれてゆき、性質も少しずつ

(しほののぞむほうへとねをひろげた。しっそに、きんけんに、ごうきに、)

志保の望むほうへと根をひろげた。質素に、勤倹に、剛毅に、

(いってしまえばかんたんであるが、じっさいにはなかなかこんなんなことを、)

云ってしまえば簡単であるが、じっさいにはなかなか困難なことを、

(じぶんからみをもってしめしつつみちびいていった。げんかんのみめいにおこし、)

自分から身を以て示しつつ導いていった。厳寒の未明に起こし、

(うらのおがわへいって、はくひょうをやぶってはんぞうへみずをくみせんめんさせる。)

裏の小川へいって、薄氷を破って半ぞうへ水を汲み洗面させる。

(いかにさむくともはだぎにぬのこ、はんばかまよりほかにはかさねさせない。)

いかに寒くとも肌着に布子、半袴よりほかには重ねさせない。

(それらのしなもみないくたびかせんたくをし、やぶれたところには)

それらの品もみな幾たびか洗濯をし、破れたところには

(つぎをしぬいかがってきせる。しょくじはいっさいかいちじゅうにかぎり、)

継ぎをし縫いかがって着せる。食事は一菜か一汁にかぎり、

(ものびにほしうおをやくのがせいぜいだった。)

物日に干魚を焼くのが精ぜいだった。

(こういうことをきちんとれいこうするのは、こどもよりもこちらがつらいものである、)

こういうことをきちんと励行するのは、子供よりもこちらが辛いものである、

(「ああさむかろう」「ああつめたかろう」「さぞあまいものがほしいであろう」)

「ああ寒かろう」「ああ冷たかろう」「さぞ甘いものが欲しいであろう」

(ことごとにそうおもう。こどもがおとなしくしたがえばしたがうほど、)

事毎にそう思う。子供がおとなしく従えば従うほど、

(いじらしいというかんじょうがはげしくこころをせめる。もっともおそれたのはそれだった。)

いじらしいという感情がはげしく心を責める。もっとも怖れたのはそれだった。

(かわいそうにとおもうあまりついあまやかしたくなる。)

可哀そうにと思うあまりついあまやかしたくなる。

(しかしそれはこにたいするあいにはならずむしろじぶんのかんじょうにまけるだけなのだ。)

しかしそれは子に対する愛にはならず寧ろ自分の感情に負けるだけなのだ。

(こどもはそれほどにはおもわないものを、おやがじぶんでじぶんをあまやかすにすぎない、)

子供はそれほどには思わないものを、親が自分で自分をあまやかすに過ぎない、

(ここでもまた「しっかりしなければならぬのはおやだ」ということを)

ここでもまた「しっかりしなければならぬのは親だ」ということを

(さとらされたのであった。こういうはんめんにしほはこをもつよろこびを)

悟らされたのであった。こういう反面に志保は子をもつ歓びを

(つよくかんじていった、「おんなはこをもってはじめてほんとうにおんなとなる」という、)

つよく感じていった、「女は子をもってはじめて本当に女となる」という、

(それがしみじみとよくわかった。ねてもおきても、たえずじぶんにたより)

それがしみじみとよくわかった。寝ても起きても、絶えず自分にたより

(じぶんのあいをもとめるものがいる。「おかあさま」とよびかけるこえ、)

自分の愛を求める者がいる。「お母さま」と呼びかける声、

(じっとみあげるつぶらな、よごれのないおおきなひとみ、)

じっと見あげるつぶらな、汚れのない大きな眸子、

(まといつくやわらかなあたたかいて、それはみなかみひとえのすきもなくじかに)

まとい付く柔かな温かい手、それはみな紙一重の隙もなくじかに

(こちらのちにくへふれるのだ。しほはよなかにいちど、)

こちらの血肉へ触れるのだ。志保は夜なかにいちど、

(かならずしんたろうのしんじょをみまうならわしだったが、へいあんにねいっているこの)

必ず晋太郎の寝所をみまうならわしだったが、平安にねいっている子の

(ねがおをみると、そのままさることができず、ひきつけられるようなめで、)

寝顔を見ると、そのまま去ることができず、惹きつけられるような眼で、

(ながいあいだじっとみまもっていることがしばしばだった。)

ながいあいだじっと見まもっていることがしばしばだった。

(「おじょうさまはおかわりあそばしました」おかやはよくそういうようになった、)

「お嬢さまはお変りあそばしました」お萱はよくそう云うようになった、

(「このごろのようにいきいきとした、おしあわせそうなごようすは)

「この頃のように活き活きとした、お仕合せそうなごようすは

(はいけんしたことがございません。おかおもつやつやとしてきましたし、)

拝見したことがございません。お顔も艶つやとしてきましたし、

(いつもおたのしそうで、ほんとうにおひとがちがったようでございます」)

いつもお楽しそうで、本当にお人が違ったようでございます」

(「じぶんでもそうおもいますよ」しほはすなおにほほえんでそうこたえた、)

「自分でもそう思いますよ」志保はすなおに頬笑んでそう答えた、

(「まいにちがこんなにいきがいのあることははじめてです。)

「毎日がこんなに生き甲斐のあることは初めてです。

(ほんとうにおんなはこどもをもってこそいきるはりあいがあるものですね」)

本当に女は子供をもってこそ生きるはりあいがあるものですね」

(「そんなにおおもいなすって、もししんたろうさまとおはなれなさるようなことが)

「そんなにお思いなすって、もし晋太郎さまとお離れなさるようなことが

(あったらどうあそばします」「このことわかれるのですって」)

あったらどうあそばします」「この子と別れるのですって」

(「じつのおやごがいらっしゃるのですもの、ないことではないとぞんじます」)

「実の親御がいらっしゃるのですもの、無いことではないと存じます」

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