野菊の墓 伊藤左千夫 ④

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。

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問題文

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(ふたりがよねんなくはなしをしながらかえってくると、)

二人が余念なく話をしながら帰ってくると、

(せどぐちのよつめがきのそとにおますがぼんやりたって、こっちをみている。)

背戸口の四つ目垣の外にお増がぼんやり立って、こっちを見て居る。

(たみこはこごえで、「おますがまたなんとかいいますよ」)

民子は小声で、「お増がまた何とか云いますよ」

(「ふたりともおかあさんにいいつかってきたのだから、)

「二人共お母さんに云いつかって来たのだから、

(おますなんかなんといったって、かまやしないさ」)

お増なんか何と云ったって、かまやしないさ」

(ひとじけんをふるたびにふたりがきょうちゅうにわいたこいのたまごはかさをましてくる。)

一事件を経る度に二人が胸中に湧いた恋の卵はかさを増してくる。

(きにふれてこうかんするそうほうのいしは、)

機に触れて交換する双方の意志は、

(ただちにたがいのきょうちゅうにあるれいのたまごにしだいなようぶんをきゅうよする。)

直ちに互いの胸中にある例の卵に至大な養分を給与する。

(きょうのひぐれはたしかにそのきであった。)

今日の日暮はたしかにその機であった。

(ぞっとみぶるいをするほど、いちじるしきちょうこうをあらわしたのである。)

ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。

(しかしなんというてもふたりのかんけいはたまごじだいできわめてとりとめがない。)

しかし何というても二人の関係は卵時代で極めて取りとめがない。

(ひとにみられてみぐるしいようなこともせず、)

人に見られて見苦しい様なこともせず、

(かえりみてみずからやましいようなこともせぬ。)

顧みて自らやましい様なこともせぬ。

(したがってまだまだのんきなもので、)

従ってまだまだのんきなもので、

(ひとまえをつくろうというようなこころもちはきわめてすくなかった。)

人前を繕うと云う様な心持は極めて少なかった。

(ぼくとたみことのかんけいも、このくらいでおしまいになったならば、)

僕と民子との関係も、この位でお終いになったならば、

(じゅうねんわすれられないというほどにはならなかったろうに。)

十年忘れられないというほどにはならなかっただろうに。

(おやというものはどこのおやもおなじで、)

親というものはどこの親も同じで、

(わがこをいつまでもこどものようにおもうている。)

吾子をいつまでも児供のように思うている。

(ぼくのははなどもそのひとりにもれない。)

僕の母などもその一人に漏れない。

など

(たみこはそのごときおりぼくのしょしつへやってくるけれど、)

民子はその後時折僕の書室へやってくるけれど、

(よほどひとめをはからってきぼねをおってくるようなふうで、)

よほど人目を計らって気ぼねを折ってくる様な風で、

(いつきてもすこしもおちつかない。)

いつきても少しも落着かない。

(さきにぼくにいやみをいわれたからしかたなしにくるかともおもわれたが、)

先に僕に厭味を云われたから仕方なしにくるかとも思われたが、

(それはまちがっていた。)

それは間違っていた。

(ぼくらふたりのせいしんじょうたいはにさんにちといわれぬほどいちじるしきへんかをとげている。)

僕等二人の精神状態は二三日と云われぬほど著しき変化を遂げている。

(ぼくのへんかはもっともはなはだしい。)

僕の変化は最も甚だしい。

(みっかまえには、おかあさんがしかればわたしがとがをせおうから)

三日前には、お母さんが叱れば私が科を背負うから

(あそびにきてとまでむちゃをいうたぼくが、)

遊びにきてとまで無茶を云うた僕が、

(きょうはとてもそんなわけのものではない。)

今日はとてもそんな訣のものでない。

(たみこがすこしながいをすると、もうきがとがめてしんぱいでならなくなった。)

民子が少し長居をすると、もう気が咎めて心配でならなくなった。

(「たみさん、またおいでよ、あまりながくいるとひとがつまらぬことをいうから」)

「民さん、またお出でよ、余り長く居ると人がつまらぬことを云うから」

(たみこもこころもちはおなじだけれど、ぼくにもういけといわれるとみょうにすねだす。)

民子も心持は同じだけれど、僕にもう行けと云われると妙にすねだす。

(「あれあなたはせんじつなんといいました。)

「あレあなたは先日何と云いました。

(ひとがなんといったってよいからあそびにこいといいはしませんか。)

人が何と云ったッてよいから遊びに来いと云いはしませんか。

(わたしはもうひとにわらわれてもかまいませんの」)

私はもう人に笑われてもかまいませんの」

(こまったことになった。ふたりのかんけいがみっせつするほど、ひとめをおそれてくる。)

困った事になった。二人の関係が密接するほど、人目を恐れてくる。

(ひとめをおそれるようになっては、もはやざいあくをおかしつつあるかのごとく、)

人目を恐れる様になっては、もはや罪悪を犯しつつあるかの如く、

(こころもおどおどするのであった。)

心もおどおどするのであった。

(はははくちでこそ、おとこもおんなもじゅうごろくになればこどもではないといっても、)

母は口でこそ、男も女も十五六になれば児供ではないと云っても、

(それはりくつのうえのことで、こころもちではまだまだふたりを)

それは理窟の上のことで、心持ではまだまだ二人を

(まるでこどものようにおもっているから、)

まるで児供の様に思っているから、

(そのごたみこがぼくのへやへきてほんをみたりはなしをしたりしているのを、)

その後民子が僕の室へきて本を見たり話をしたりしているのを、

(すぐまえをとおりながらいっこうきにとめるようすもない。)

直ぐ前を通りながら一向気に留める様子もない。

(このあいだのこごともじつはあによめがいうからでたまでで、)

この間の小言も実は嫂が言うから出たまでで、

(ほんとうにはらからでたこごとではない。)

ほんとうに腹から出た小言ではない。

(ははのほうはそうであったけれど、あにやあによめやおますなどは、)

母の方はそうであったけれど、兄や嫂やお増などは、

(さかんにかげごとをいうてわらっていたらしく、むらじゅうのひょうばんには、)

盛に蔭言をいうて笑っていたらしく、村中の評判には、

(ふたつもとしのおおいのをよめにするきかしらんなどともっぱらいうているとのはなし。)

二つも年の多いのを嫁にする気かしらんなどと専らいうているとの話。

(それやこれやのことがうすうすふたりにしれたので、)

それやこれやのことが薄々二人に知れたので、

(ぼくからいいだしてとうぶんふたりはとおざかるそうだんをした。)

僕から言いだして当分二人は遠ざかる相談をした。

(にんげんのこころもちというものはふしぎなもの。)

人間の心持というものは不思議なもの。

(ふたりがすこしもかくいなきとくしんじょうのそうだんであったのだけれど、)

二人が少しも隔意なき得心上の相談であったのだけれど、

(ぼくのほうからいいだしたばかりに、たみこはみょうにふさぎこんで、)

僕の方から言い出したばかりに、民子は妙にふさぎ込んで、

(まるでげんきがなくなり、しょうぜんとしているのである。)

まるで元気がなくなり、悄然としているのである。

(それをみるとぼくもまたたまらなくきのどくになる。)

それを見ると僕もまたたまらなく気の毒になる。

(かんじょうのいっしんいったいはこんなふうにもつれつつあやうくなるのである。)

感情の一進一退はこんな風にもつれつつ危くなるのである。

(とにかくふたりはひょうめんだけはりっぱにとおざかってしごにちをけいかした。)

とにかく二人は表面だけは立派に遠ざかって四五日を経過した。

(いんれきのくがつじゅうさんにち、こんやがまめのつきだというひのあさ、)

陰暦の九月十三日、今夜が豆の月だという日の朝、

(つゆじもがおりたとおもうほどつめたい。)

露霜が降りたと思うほどつめたい。

(そのかわりてんきはきらきらしている。)

その代り天気はきらきらしている。

(じゅうごにちがこのむらのまつりであしたはよいまつりというわけゆえ、)

十五日がこの村の祭で明日は宵祭という訣故、

(ののしごともきょうひとわたりきまりをつけねばならぬところから、)

野の仕事も今日一渡りきまりをつけねばならぬ所から、

(うちじゅうてわけをしてのへでることになった。)

家中手分けをして野へ出ることになった。

(それでかんろてきおんめいがぼくらふたりにくだったのである。)

それで甘露的恩命が僕等ふたりに下ったのである。

(あにふうふとおますとほかにおとこひとりとは)

兄夫婦とお増と外に男一人とは

(なかてのかりのこりをぜひかってしまわねばならぬ。)

中稲の刈残りを是非刈ってしまわねばならぬ。

(たみこはぼくをてつだいとしてやまばたのわたをとってくることになった。)

民子は僕を手伝いとして山畑の棉を採ってくることになった。

(これはもとよりははのさしずでだれにもいぎはいえない。)

これはもとより母の指図で誰にも異議は云えない。

(「まああのふたりをやまのはたけへやるって、)

「マアあの二人を山の畑へ遣るッて、

(おやというものよっぽどおめでたいものだ」)

親というものよッぽどお目出たいものだ」

(おくそこのないおますといじまがりのあによめとはくちをそろえてそういったにちがいない。)

奥底のないお増と意地曲りの嫂とは口を揃えてそう云ったに違いない。

(ぼくらふたりはもとよりこころのそこではうれしいにそういないけれど、)

僕等二人はもとより心の底では嬉しいに相違ないけれど、

(このばあいふたりでやまばたへゆくとなっては、)

この場合二人で山畑へゆくとなっては、

(ひとにかおをみられるようなきがしておおいにきまりがわるい。)

人に顔を見られる様な気がして大いに極りが悪い。

(ぎりにもすすんでいきたがるようなそぶりはできない。)

義理にも進んで行きたがる様な素振りは出来ない。

(ぼくはあさめしまえはしょしつをでない。)

僕は朝飯前は書室を出ない。

(たみこもなにかぐずぐずしてしたくもせぬようす。)

民子も何か愚図愚図して支度もせぬ様子。

(もううれしがってといわれるのがくやしいのである。)

もう嬉しがってと云われるのがくやしいのである。

(はははおきてきて、「まさおもしたくしろ。)

母は起きてきて、「政夫も支度しろ。

(たみやもさっさとしたくしてはやくいけ。)

民やもさっさと支度して早く行け。

(ふたりでゆけばいちにちにはらくなしごとだけれど、)

二人でゆけば一日には楽な仕事だけれど、

(みちがとおいのだから、はやくいかないとかえりがよるになる。)

道が遠いのだから、早く行かないと帰りが夜になる。

(なるたけひのくれないうちにかえってくるようによ。)

なるたけ日の暮れない内に帰ってくる様によ。

(おますはふたりのべんとうをこしらえてやってくれ。)

お増は二人の弁当を拵えてやってくれ。

(おさいはこれこれのもので・・・」まことにおやのこころだ。)

お菜はこれこれの物で・・・」まことに親のこころだ。

(たみこにべんとうをこしらえさせては、じぶんのであるから、)

民子に弁当を拵えさせては、自分のであるから、

(おさいなどはろくなものをもっていかないときがついて、)

お菜などはロクな物を持って行かないと気がついて、

(ちゃんとおますにめいじてこしらえさせたのである。)

ちゃんとお増に命じて拵えさせたのである。

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