野菊の墓 伊藤左千夫 ⑪

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。

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問題文

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(よそからみたならば、わかいうちによくあるいたずらの)

余所から見たならば、若いうちによくあるいたずらの

(かってななきつらとみぐるしくもあったであろうけれど、)

勝手な泣面と見苦しくもあったであろうけれど、

(ふたりのみにとっては、しんにあわれにかなしきわかれであった。)

二人の身に取っては、真にあわれに悲しき別れであった。

(たがいにてをとってこうらいをかたることもできず、)

互に手を取って後来を語ることも出来ず、

(こさめのしょぼしょぼふるわたしばに、なきのなみだもひとめをはばかり、)

小雨のしょぼしょぼ降る渡場に、泣きの涙も人目を憚り、

(ひとことのことばもかわしえないでえいきゅうのわかれをしてしまったのである。)

一言の詞もかわし得ないで永久の別れをしてしまったのである。

(むじょうのふねはながれをくだってはやく、じゅっぷんかんとたたぬうちに、)

無情の舟は流を下って早く、十分間と経たぬ内に、

(ごちょうとくだらぬうちに、おたがいのすがたはあめのくもりにへだてられてしまった。)

五町と下らぬ内に、お互の姿は雨の曇りに隔てられてしまった。

(ものもいいえないで、しょんぼりとしおれていたふびんなたみさんのおもかげ、)

物も言い得ないで、しょんぼりとしおれていた不憫な民さんのおもかげ、

(どうしてわすれることができよう。)

どうして忘れることが出来よう。

(たみさんをおもうためにかみのいかりにふれて)

民さんを思うために神の怒りに触れて

(そくざにうちころさるるようなことがあるとてもぼくにはたみさんをおもわずにいられない。)

即座に打殺さるる様なことがあるとても僕には民さんを思わずに居られない。

(としをとってののちのかんがえからいえば、)

年をとっての後の考えから言えば、

(ああもしたらこうもしたらとおもわぬこともなかったけれど、)

あアもしたらこうもしたらと思わぬこともなかったけれど、

(とうじのわかいどうしのしりょにはなんらのくふうもなかったのである。)

当時の若い同志の思慮には何らの工夫も無かったのである。

(やおやおしちはうちをやいたらば、)

八百屋お七は家を焼いたらば、

(ふたたびおもうひとにあわれることとくふうをしたのであるが、)

ふたたび思う人に逢われることと工夫をしたのであるが、

(われわれふたりはつまどいちまいをしのんであけるほどのちえもでなかった。)

吾々二人は妻戸一枚を忍んで開けるほどの智慧も出なかった。

(それほどにむじゃきなかれんなこいでありながら、なおおやにおじきょうだいにはばかり、)

それほどに無邪気な可憐な恋でありながら、なお親に怖じ兄弟に憚り、

(たにんのまえにてなみだもふきえなかったのはいかにきのよわいどうしであったろう。)

他人の前にて涙も拭き得なかったのは如何に気の弱い同志であったろう。

など

(ぼくはがっこうへいってからも、とかくたみこのことばかりおもわれてしかたがない。)

僕は学校へ行ってからも、とかく民子のことばかり思われて仕方がない。

(がっこうにおってこんなことをかんがえてどうするものかなどと、)

学校に居ってこんなことを考えてどうするものかなどと、

(じぶんでじぶんをしかりはげましてみてもなんのかいもない。)

自分で自分を叱り励まして見ても何の甲斐もない。

(そういうことばのしりからすぐたみこのことがわいてくる。)

そういう詞の尻からすぐ民子のことが湧いてくる。

(おおくのひとなかにいればどうにかまぎれるので、)

多くの人中に居ればどうにか紛れるので、

(ひのなかはなるたけひとりでいないようにこころがけていた。)

日の中はなるたけ一人で居ない様に心掛けて居た。

(よるになってもねるとしかたがないから、)

夜になっても寝ると仕方がないから、

(なるたけひとなかでさわいでいてつかれてねるくふうをしていた。)

なるたけ人中で騒いで居て疲れて寝る工夫をして居た。

(そういうしまつでようやくとしもくれとうききゅうぎょうになった。)

そういう始末でようやく年もくれ冬期休業になった。

(ぼくがじゅうにがつにじゅうごにちのごぜんにかえってみると、にわいちめんにもみをほしてあって、)

僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に籾を干してあって、

(はははまえのえんがわにふとんをしいてひなたぼっこをしていた。)

母は前の縁側に蒲団を敷いて日向ぼっこをしていた。

(ちかごろはよほどからだのぐあいもよい。)

近頃はよほど体の工合もよい。

(きょうはあにふうふとおとことおますとはやまへおちばくずをはきにいったとのはなしである。)

今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉くずをはきに行ったとの話である。

(ぼくはたみさんはとくちのさきまででたけれどついにいいきらなかった。)

僕は民さんはと口の先まで出たけれど遂に言い切らなかった。

(ははもいじわるくなんともいわない。)

母も意地悪く何とも言わない。

(ぼくはかえりそうそうたみこのことをとうのがいかにもきまりわるく、)

僕は帰り早々民子のことを問うのが如何にも極り悪く、

(そのままれいのしょしつをかたづけてここにおちついた。)

そのまま例の書室を片づけてここに落着いた。

(しかしひぐれまでにはたみこもかえってくることとおおもいながら、)

しかし日暮までには民子も帰ってくることと思いながら、

(おろおろしてまっている。)

おろおろして待って居る。

(みながかえっていよいよゆうはんということになってもたみこのすがたはみえない、)

皆が帰っていよいよ夕飯ということになっても民子の姿は見えない、

(だれもまたたみこのことをひとこともいうものもない。)

誰もまた民子のことを一言も言うものもない。

(ぼくはもうたみこはいちかわへかえったものとさっして、)

僕はもう民子は市川へ帰ったものと察して、

(ひとにとうのもいまいましいから、ほかのはなしもせず、)

人に問うのもいまいましいから、外の話もせず、

(めしがすむとそれなりしょしつへはいってしまった。)

飯がすむとそれなり書室へ這入ってしまった。

(きょうはかならずたみこにあわれることといっぽうならずたのしみにしてかえってきたのに、)

今日は必ず民子に逢われることと一方ならず楽しみにして帰って来たのに、

(このしまつでなんともいえずちからがおちてさびしかった。)

この始末で何とも言えず力が落ちて淋しかった。

(さりとてだれにこのくもんをはなしようもなく、)

さりとて誰にこの苦悶を話しようもなく、

(たみこのしゃしんなどをとりだしてみておったけれど、ちっともきがはれない。)

民子の写真などを取出して見て居ったけれど、ちっとも気が晴れない。

(またあのやつたみこがいないからかんがえこんでいやがるとおもわれるもくやしく、)

またあの奴民子が居ないから考え込んで居やがると思われるも口惜しく、

(ようやくこころをとりなおし、ははのまくらもとへいってよるおそくまでがっこうのはなしをしてきかせた。)

ようやく心を取直し、母の枕元へいって夜遅くまで学校の話をして聞かせた。

(あくるひはくじごろにようやくおきた。はははまだねている。)

あくる日は九時頃にようやく起きた。母は未だ寝ている。

(だいどころへでてみるとほかのものはみなまたやまへいったとかで、)

台所へ出て見ると外の者は皆また山へ往ったとかで、

(おますがひとりだいどころかたづけにのこっている。)

お増が一人台所片づけに残っている。

(ぼくはかおをあらったなりめしもくわずに、せどのはたけへでてしまった。)

僕は顔を洗ったなり飯も食わずに、背戸の畑へ出てしまった。

(このあき、たみことふたりでなすをとったはたけがいまはあおあおとながほきている。)

この秋、民子と二人で茄子をとった畑が今は青々と菜がほきている。

(ぼくはしばらくたっていずこをながめるともなく、)

僕はしばらく立っていずこを眺めるともなく、

(たみこのおもかげをあたまにえがきつつおもいにしずんでいる。)

民子のおもかげをあたまにえがきつつ思いに沈んでいる。

(「まさおさん、なにをそんなにかんがえているの」)

「政夫さん、何をそんなに考えているの」

(おますがだしぬけにうしろからそいって、ちかくへよってきた。)

お増が出し抜けに後からそいって、近くへ寄ってきた。

(ぼくがよいかげんなことをひとことふたこというと、おますはいきなりぼくのてをとって、)

僕がよい加減なことを一言二言いうと、お増はいきなり僕の手をとって、

(もすこしこっちへきてここへこしをかけなさいまあといいつつ、)

も少しこっちへきてここへ腰を掛けなさいまアと言いつつ、

(わらをつんであるところへじぶんもこしをかけてぼくにもかけさせた。)

藁を積んである所へ自分も腰をかけて僕にも掛けさせた。

(「まさおさん・・・おたみさんはほんとにかわいそうでしたよ。)

「政夫さん・・・お民さんはほんとに可哀相でしたよ。

(うちのねえさんたらほんとにいじまがりですからね。)

うちの姉さんたらほんとに意地曲りですからネ。

(なんというこんじょうのわるいひとだか、)

何という根性の悪い人だか、

(わたしもはあここのうちにいるのはいやになってしまった。)

私もはアここのうちに居るのは厭になってしまった。

(きのうまさおさんがくるのはわかりきっているのに、)

昨日政夫さんが来るのは解りきって居るのに、

(ねえさんがいろんなことをいって、おとといおたみさんをいちかわへかえしたんですよ。)

姉さんがいろんなことを云って、一昨日お民さんを市川へ帰したんですよ。

(まつひとがあるだっぺとかあいたいひとがまちどおかっぺとか、)

待つ人があるだっぺとか逢いたい人が待ちどおかっぺとか、

(あてこすりをいっておたみさんをなかせたりしてね、)

当こすりを云ってお民さんを泣かせたりしてネ、

(おかあさんにもなんでもいろいろなこといったらしい、)

お母さんにも何でもいろいろなこと言ったらしい、

(とうとうおとといおひるまえにかえしてしまったのでさ。)

とうとう一昨日お昼前に帰してしまったのでさ。

(まさおさんが、おとといきたらあわれたんですよ。)

政夫さんが一昨日きたら逢われたんですよ。

(まさおさん、わたしはおたみさんがかわいそうでかわいそうでならないだよ。)

政夫さん、私はお民さんが可哀相で可哀相でならないだよ。

(なんだってあなたがいなくなってからは)

何だってあなたが居なくなってからは

(まるでなきのなみだでひをくらしているんだもの、)

まるで泣きの涙で日を暮らして居るんだもの、

(まさおさんにてがみをやりたいけれど、)

政夫さんに手紙をやりたいけれど、

(それがよくじぶんにはできないからくやしいといってね。)

それがよく自分には出来ないから口惜しいと云ってネ。

(わたしのへやへみばんもすずりとかみをもってきてはないていました。)

私の部屋へ三晩も硯と紙を持ってきては泣いて居ました。

(おたみさんもはじまりはわたしにもかくしていたけれど、)

お民さんも始まりは私にも隠していたけれど、

(あとにはかくしていられなくなったのさ。)

後には隠して居られなくなったのさ。

(わたしもおたみさんのためにいくらないたかしれない・・・」)

私もお民さんのためにいくら泣いたか知れない・・・」

(みればおますはもうぽろぽろなみだをこぼしている。)

見ればお増はもうぽろぽろ涙をこぼしている。

(いったいおますはごくひとのよいしんせつなおんなで、)

一体お増はごく人のよい親切な女で、

(ぼくとたみこがめのまえでなかよいふうをすると、)

僕と民子が目の前で仲好い風をすると、

(しっとしんをおこすけれど、もとよりしゅうねんぶかいさがでないから、)

嫉妬心を起すけれど、もとより執念深い性でないから、

(たみこがひとりになればたみことなかがよく、)

民子が一人になれば民子と仲が好く、

(ぼくがひとりになればぼくをおおさわぎするのである。)

僕が一人になれば僕を大騒ぎするのである。

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