認知的不協和とは?
オリジナルの文なので、間違いや説明の足りない部分があるかもしれません。
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問題文
(にんちてきふきょうわとは、ひとがじぶんのにんちとむじゅんするようなにんちをもつじょうたい、)
認知的不協和とは、人が自分の認知と矛盾するような認知を持つ状態、
(また、そのときにかんじるふかいかんのことをさします。)
また、そのときに感じる不快感のことを指します。
(たとえば、たばこをすっているひとに、たばこはからだにわるいとつたえると、そのひとのなかに)
例えば、煙草を吸っている人に、煙草は体に悪いと伝えると、その人の中に
(じぶんはたばこをすっている。というにんちと、)
自分は煙草を吸っている。という認知と、
(たばこはからだにわるい。というにんちがどうじにそんざいすることになります。)
煙草は体に悪い。という認知が同時に存在することになります。
(ひとは、このようなむじゅんしたにんちをかかえるとふかいかんをおぼえ、)
人は、このような矛盾した認知を抱えると不快感を覚え、
(それをかいしょうしようとします。)
それを解消しようとします。
(もしこのむじゅんしたにんちが、じしんのこうどうによってかんたんにかいしょうできるなら、)
もしこの矛盾した認知が、自身の行動によって簡単に解消できるなら、
(それですむはなしです。)
それで済む話です。
(しかし、たばこにはにこちんなどのぶっしつがふくまれており、)
しかし、煙草にはニコチンなどの物質が含まれており、
(きんえんすることはよういなことではありません。)
禁煙することは容易なことではありません。
(そこで、じぶんのなかにむじゅんしたにんちがあることをかいしょうするために、)
そこで、自分の中に矛盾した認知があることを解消するために、
(たばこはからだにわるいというかんがえをかえようとします。)
煙草は体に悪いという考えを変えようとします。
(たとえば、「たばこをすっているひとにもけんこうなひとはいる。」や、)
例えば、「煙草を吸っている人にも健康な人はいる。」や、
(「たばこをすうことでおちつくことができるからむしろけんこうにいい。」)
「煙草を吸うことで落ち着くことができるからむしろ健康にいい。」
(「はいえんでしぬよりもこうつうじこでしぬひとのほうがおおい。」)
「肺炎で死ぬよりも交通事故で死ぬ人のほうが多い。」
(といったものです。)
といったものです。
(ほかにも、こういったはなしがあります。)
他にも、こういった話があります。
(あるしゅうきょうで、1999ねんのおおみそかにこのよのおわりがくるとよげんされ、)
ある宗教で、1999年の大晦日にこの世の終わりが来ると予言され、
(それをしんじたしんじゃたちはそのひまでにさまざまなことをしました。)
それを信じた信者たちはその日までに様々なことをしました。
(ざいさんをすべてきふし、がっこうをやめ、かぞく、ゆうじんをすててきました。)
財産をすべて寄付し、学校をやめ、家族、友人を捨ててきました。
(しかし、なにもおこらず2000ねんをむかえてしまいました。)
しかし、何も起こらず2000年を迎えてしまいました。
(このようなじょうきょうなら、よげんがまちがっていたのですから、)
このような状況なら、予言が間違っていたのですから、
(ふつうはそのしゅうきょうをやめるでしょう。)
普通はその宗教をやめるでしょう。
(しかし、そのひのためにすべてをなげうってきたしんじゃは、)
しかし、その日のためにすべてをなげうってきた信者は、
(むしろこれまでよりもそのしゅうきょうにねっしんになるのです。)
むしろこれまでよりもその宗教に熱心になるのです。
(これもにんちてきふきょうわがかんけいしています。)
これも認知的不協和が関係しています。
(まずはじょうきょうをみてみましょう。)
まずは状況を見てみましょう。
(わたしはそのしゅうきょうをしんじていたが、そのしゅうきょうのよげんははずれた。)
私はその宗教を信じていたが、その宗教の予言は外れた。
(ここにむじゅんがあります。)
ここに矛盾があります。
(ここで、ならばそのしゅうきょうをやめればいいとかんがえることもできます。)
ここで、ならばその宗教をやめればいいと考えることもできます。
(しかし、すべてをなげうってきたしんじゃは、もうかえるあてがありません。)
しかし、すべてをなげうってきた信者は、もう帰るあてがありません。
(よって、このようにかんがえることでむじゅんをかいしょうしようとします。)
よって、このように考えることで矛盾を解消しようとします。
(「わたしたちのしんこうしんによってせかいはすくわれた。」)
「私たちの信仰心によって世界は救われた。」
(まわりのひとからみたらなんともこっけいなかんがえでしょう。しかし、)
周りの人から見たらなんとも滑稽な考えでしょう。しかし、
(じぶんがすべてをなげうってやってきたことはまちがっていたというにんちは、)
自分がすべてをなげうってやってきたことは間違っていたという認知は、
(そのひとにきょうれつなにんちてきふきょうわをしょうじさせます。)
その人に強烈な認知的不協和を生じさせます。
(そのけっか、このようなにんちがうまれるのです。)
その結果、このような認知が生まれるのです。
(にんちてきふきょうわはにちじょうのさまざまなばめんででくわすかのうせいがありますので、)
認知的不協和は日常の様々な場面で出くわす可能性がありますので、
(ぜひこれをしっておいてください。)
ぜひこれを知っておいてください。