芥川龍之介『第四の夫から』

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投稿者投稿者由佳梨いいね0お気に入り登録1
プレイ回数794難易度(4.5) 5596打 長文
日本にいる君にインド経由で手紙を送る短編小説。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 すもさん 5673 A 5.9 96.2% 973.7 5746 222 74 2024/11/04
2 BE 3565 D+ 4.0 89.5% 1386.8 5599 654 74 2024/11/06

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問題文

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(このてがみはいんどのだあじりんのらあま・ちゃぶずんしへだすてがみのなかにふうにゅうし、)

この手紙は印度のダアジリンのラアマ・チャブズン氏へ出す手紙の中に封入し、

(しからにほんへおくってもらうはずである。ぶじにきみのてへわたるかどうか、たしょうの)

氏から日本へ送って貰うはずである。無事に君の手へ渡るかどうか、多少の

(しんぱいもないわけではない。しかしまんいちわたらなかったにしろ、きみはかくべつぼくのてがみを)

心配もない訣ではない。しかし万一渡らなかったにしろ、君は格別僕の手紙を

(よそうしているともおもわれないからそのてんだけははなはだあんしんしている。が、もしこの)

予想しているとも思われないからその点だけは甚だ安心している。が、もしこの

(てがみをうけとったとすれば、きみはかならずぼくのうんめいにいっきょうをきっせずにはいられない)

手紙を受け取ったとすれば、君は必ず僕の運命に一驚を喫せずにはいられない

(であろう。だいいちにぼくはちべっとにすんでいる。だいににぼくはしなじんになっている。)

であろう。第一に僕はチベットに住んでいる。第二に僕は支那人になっている。

(だいさんにぼくはさんにんのおっととひとりのつまをきょうゆうしている。このまえきみへてがみをだしたのは)

第三に僕は三人の夫と一人の妻を共有している。この前君へ手紙を出したのは

(だあじりんにすんでいたころである。ぼくはもうあのころからしなじんにだけは)

ダアジリンに住んでいた頃である。僕はもうあの頃から支那人にだけは

(なりすましていた。がんらいてんかにこくせきくらい、めんどうくさいおにもつはない。ただしなと)

なりすましていた。元来天下に国籍くらい、面倒臭いお荷物はない。ただ支那と

(いうこくせきだけはほとんどうむをとわれないだけに、すこぶるこうつごうにできあがって)

云う国籍だけはほとんど有無を問われないだけに、頗る好都合に出来上って

(いる。きみはまだこうとうがっこうにいたとき、ぼくに「さまよえるゆだやじん」というあだなを)

いる。君はまだ高等学校にいた時、僕に「さまよえる猶太人」と云う渾名を

(つけたのをおぼえているであろう。じっさいぼくはきみのいったとおり、「さまよえるゆだや)

つけたのを覚えているであろう。実際僕は君のいった通り、「さまよえる猶太

(じん」にうまれついたらしい。が、このちべっとのらっさだけははなはだぼくのきにいって)

人」に生れついたらしい。が、このチベットのラッサだけは甚だ僕の気に入って

(いる。というのはなにもふうけいだの、きこうだのにあいちゃくのあるわけではない。じつはたいだを)

いる。というのは何も風景だの、気候だのに愛着のある訣ではない。実は怠惰を

(あくとくとしないびふうをとくとしているのである。はくがくなるきみは)

悪徳としない美風を徳としているのである。博学なる君は

(ぱんでん・ああじしゃのらっさにあたえたなをしっているであろう。しかし)

パンデン・アアジシャのラッサに与えた名を知っているであろう。しかし

(らっさはかならずしもじきふんがきのみやこではない。まちはむしろとうきょうよりもすみごころのいい)

ラッサは必ずしも食糞餓鬼の都ではない。町はむしろ東京よりも住み心の好い

(くらいである。ただらっさのしみんのたいだはてんごくのそうかんといわなければならぬ。)

くらいである。ただラッサの市民の怠惰は天国の壮観といわなければならぬ。

(きょうもつまはあいかわらずむぎわらのちらばったかどぐちにじっとひざをかかえたまましずかに)

きょうも妻は不相変麦藁の散らばった門口にじっと膝をかかえたまま静かに

(ごすいをむさぼっている。これはぼくのいえばかりではない。どのいえのかどぐちにも)

午睡を貪っている。これは僕の家ばかりではない。どの家の門口にも

など

(にさんにんずつはかならずまただれかいねむりをしている。こういうへいわにみちたけしきは)

二三人ずつは必ずまた誰か居睡りをしている。こういう平和に満ちた景色は

(せかいのどこにもみられないであろう。しかもかれらのあたまのうえには、--らまきょうの)

世界のどこにも見られないであろう。しかも彼等の頭の上には、--ラマ教の

(じいんのとうのうえにはかすかにあおざめたたいようがひとつ、らっさをとりまいたみねみねのゆきを)

寺院の塔の上にはかすかに蒼ざめた太陽が一つ、ラッサを取り巻いた峯々の雪を

(ぼんやりかがやかせているのである。ぼくはすくなくともすうねんはらっさにすもうと)

ぼんやりかがやかせているのである。僕は少くとも数年はラッサに住もうと

(おもっている。それにはたいだのびふうのほかにも、たしょうはつまのようしょくにこころをひかれて)

思っている。それには怠惰の美風のほかにも、多少は妻の容色に心を惹かれて

(いるのかもしれない。つまのなはだあわといい、きんりんでもびじんとひょうされている。)

いるのかも知れない。妻の名はダアワといい、近隣でも美人と評されている。

(せはひとなみよりはたかいくらいであろう。かおはだあわというなまえのとおり、)

背は人並みよりは高いくらいであろう。顔はダアワという名前の通り、

((だあわはつきのいみである。)あかのしたにもいろのしろい、しじゅういとのようにめを)

(ダアワは月の意味である。)垢の下にも色の白い、始終糸のように目を

(ほそめた、みょうにものやさしいおんなである。おっとのぼくともよにんあることはまえにもちょっと)

細めた、妙にもの優しい女である。夫の僕とも四人あることは前にもちょっと

(かいておいた。だいいちのおっとはぎょうしょうにん、だいにのおっとはほへいのごちょう、だいさんのおっとは)

書いて置いた。第一の夫は行商人、第二の夫は歩兵の伍長、第三の夫は

(らまきょうのぶつがし、だいよんのおっとはぼくである。ぼくもまたこのころはむしょくぎょうではない。)

ラマ教の仏画師、第四の夫は僕である。僕もまたこの頃は無職業ではない。

(とにかくきようをかんばんとしたひとかどのりはつしになりおおせている。きんげんなるきみはぼくの)

とにかく器用を看板とした一かどの理髪師になり了せている。謹厳なる君は僕の

(ように、いっさいたふにあまんずるものをけいべつせずにはいられないであろう。が、ぼくに)

ように、一妻多夫に甘んずるものを軽蔑せずにはいられないであろう。が、僕に

(いわせれば、あらゆるけっこんのけいしきはただべんぎによったものである。いっぷいっさいの)

いわせれば、あらゆる結婚の形式はただ便宜に拠ったものである。一夫一妻の

(きりすときょうとはかならずしもいきょうとたるぼくらよりもどうとくのたかいにんげんではない。のみならず)

基督教徒は必ずしも異教徒たる僕等よりも道徳の高い人間ではない。のみならず

(じじつじょうのいっさいたふはちべっとにもぜんぜんないわけではない。ただるくそお・みんずの)

事実上の一妻多夫はチベットにも全然ない訣ではない。ただルクソオ・ミンズの

(なのもとに(るくそお・みんずははかくのいみである。)けいべつされているだけで)

名のもとに(ルクソオ・ミンズは破格の意味である。)軽蔑されているだけで

(ある。ちょうどぼくらのいっさいたふもぶんめいこくのけいべつをかっているように。ぼくはさんにんの)

ある。ちょうど僕等の一妻多夫も文明国の軽蔑を買っているように。僕は三人の

(おっととともに、ひとりのつまをきょうゆうすることにすこしもふべんをかんじていない。ほかのさんにんも)

夫と共に、一人の妻を共有することに少しも不便を感じていない。他の三人も

(またどうようであろう。つまはこのよにんのおっとをいずれもかふそくなしにあいしている。ぼくは)

また同様であろう。妻はこの四人の夫をいずれも過不足なしに愛している。僕は

(まだにほんにいたとき、やはりさんにんのだんなとともに、ひとりのげいしゃをきょうゆうしたことが)

まだ日本にいた時、やはり三人の檀那と共に、一人の芸者を共有したことが

(あった。そのげいしゃにくらべれば、だあわはなんというにょぼさつであろう。げんにぶつがしは)

あった。その芸者に比べれば、ダアワは何という女菩薩であろう。現に仏画師は

(だあわのことをれんげふじんとあだなしている。じっさいかわばたのしだれやなぎのしたに)

ダアワのことを蓮華夫人と渾名している。実際川ばたの枝垂れ柳の下に

(ちのみごをだいているつまのすがたはえんこうをおっているといわなければならぬ。)

乳のみ児を抱いている妻の姿は円こうを負っているといわなければならぬ。

(こどもはもうろくさいをかしらに、ちのみごともさんにんできている。もちろんだれはどのおっとを)

子供はもう六歳をかしらに、乳のみ児とも三人出来ている。勿論誰はどの夫を

(ちちにするなどということはない。だいいちのおっとはおとうさんとよばれ、ぼくらさんにんは)

父にするなどということはない。第一の夫はお父さんと呼ばれ、僕等三人は

(おなじようにみなおじさんとよばれている。しかしだあわもおんなである。まだいちども)

同じように皆叔父さんと呼ばれている。しかしダアワも女である。まだ一度も

(あやまちをおかさなかったというわけではない。もういまではにねんばかりまえ、さんごじゅなどを)

過ちを犯さなかったという訣ではない。もう今では二年ばかり前、珊瑚珠などを

(うるしょうにんのてだいとぼくらをあざむいていたこともある。それをはっけんしただいいちのおっとは)

売る商人の手代と僕等を欺いていたこともある。それを発見した第一の夫は

(だあわのみみへはいらないようにぼくらにぜんごさくをそうだんした。するといちばんいきどおったのは)

ダアワの耳へはいらないように僕等に善後策を相談した。すると一番憤ったのは

(だいにのおっとのごちょうである。かれはただちにふたりのはなをそぎおとしてしまえと)

第二の夫の伍長である。彼は直ちに二人の鼻を削ぎ落してしまえと

(しゅちょうしだした。おんこうなるきみはこのことばのざんこくをとがめるのにちがいない。が、はなを)

主張し出した。温厚なる君はこの言葉の残酷を咎めるのに違いない。が、鼻を

(そぎおとすのはちべっとのしけいのひとつである。(たとえばぶんめいこくのしんぶんこうげきの)

削ぎ落すのはチベットの私刑の一つである。(たとえば文明国の新聞攻撃の

(ように。)だいさんのおっとのぶつがしは、ただいかにもとうわくしたようになみだをながしている)

ように。)第三の夫の仏画師は、ただいかにも当惑したように涙を流している

(ばかりだった。ぼくはそのときさんにんのおっとにてだいのはなをそぎおとしたのち、だあわのしょちは)

ばかりだった。僕はその時三人の夫に手代の鼻を削ぎ落した後、ダアワの処置は

(かいこんのじょうのいかんにまかせるというていぎをした。もちろんだれもだあわのはなをそぎおとして)

悔恨の情のいかんに任せるという提議をした。勿論誰もダアワの鼻を削ぎ落して

(しまいたいとおもうものはない。だいいちのおっとのぎょうしょうにんはたちまちぼくのせつにさんせいした。)

しまいたいと思うものはない。第一の夫の行商人はたちまち僕の説に賛成した。

(ぶつがしはふこうなるてだいのはなにもたしょうのれんびんをかんじていたらしい。しかしごちょうを)

仏画師は不幸なる手代の鼻にも多少の憐憫を感じていたらしい。しかし伍長を

(いからせないためにやはりぼくにどういをひょうした。ごちょうも--ごちょうはしばらくかんがえた)

怒らせないためにやはり僕に同意を表した。伍長も--伍長はしばらく考えた

(あげく、ふといいきをひとつすると「こどものためもあるものだから」と、しぶしぶ)

揚げ句、太い息を一つすると「子供のためもあるものだから」と、しぶしぶ

(ぼくらにしたがうことにした。ぼくらよにんはそのよくじつ、よういにてだいをしばりあげた。)

僕等に従うことにした。僕等四人はその翌日、容易に手代を縛り上げた。

(それからごちょうはぼくらのだいりに、ぼくのかみそりをうけとるなり、むぞうさにかれのはなを)

それから伍長は僕等の代理に、僕の剃刀を受け取るなり、無造作に彼の鼻を

(そぎおとした。てだいはもちろんあくたいをついたり、ごちょうのてへかみついたり、ひめいを)

削ぎ落した。手代は勿論悪態をついたり、伍長の手へ噛みついたり、悲鳴を

(あげたりしたのにちがいない。しかしはなをそぎおとしたのち、ちどめのくすりを)

挙げたりしたのに違いない。しかし鼻を削ぎ落した後、血止めの薬を

(つけてやったぎょうしょうにんやぼくなどにはないてかんしゃしたこともじじつである。けんめいなる)

つけてやった行商人や僕などには泣いて感謝したことも事実である。賢明なる

(きみはそのごのこともおのずからすいさつできるであろう。だあわはじらいていしゅくにぼくら)

君はその後のこともおのずから推察出来るであろう。ダアワは爾来貞淑に僕等

(よにんをあいしている。ぼくらも、--それはいわないでもいい。げんにきのうは)

四人を愛している。僕等も、--それは言わないでも好い。現にきのうは

(ごちょうさえしみじみとぼくにこういっていた。--「いまになってかんがえてみると、)

伍長さえしみじみと僕にこう言っていた。--「今になって考えて見ると、

(だあわのはなをそぎおとさなかったのはじっさいふこうちゅうのこうふくだったね。」ちょうどいま)

ダアワの鼻を削ぎ落さなかったのは実際不幸中の幸福だったね。」ちょうど今

(ごすいからさめただあわはぼくをさんぽにつれだそうとしている。ではばんりのかいひに)

午睡から覚めたダアワは僕を散歩につれ出そうとしている。では万里の海彼に

(いるきみのこうふくをいのるとともに、ひとまずこのてがみもおわることにしよう。らっさはいま)

いる君の幸福を祈ると共に、一まずこの手紙も終ることにしよう。ラッサは今

(いえいえのにわにもものはなのまっさかりである。きょうはさいわいほこりかぜもふかない。ぼくらは)

家々の庭に桃の花のまっ盛りである。きょうは幸い埃風も吹かない。僕等は

(これからかんごくのまえへ、いとこどうしけっこんしたふりんのだんじょのさらしものをけんぶつに)

これから監獄の前へ、従兄妹同志結婚した不倫の男女の曝しものを見物に

(でかけるつもりである。・・・・・・)

出かけるつもりである。……

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