黒死館事件50

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小栗虫太郎の作品です。
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問題文

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(だからおとぼねくん、ぼくがのぶこの、かいもくのさいをじょうけんとしたのも、つまるところは、)

「だから乙骨君、僕が伸子の、開目の際を条件としたのも、つまるところは、

(まりあ・ぶるねるふじんとおなじもうろうじょうたいをねらい、あわよくば、)

マリア・ブルネル夫人と同じ朦朧状態を狙い、あわよくば、

(まさにとびさろうとするせんざいいしきをきろくさせようとしたからなんだよ。ところが)

まさに飛び去ろうとする潜在意識を記録させようとしたからなんだよ。ところが

(やはりあのおんなも、ほうしんりがくしゃのかずいすていくからもれることはできなかったのだ。)

やはりあの女も、法心理学者の類例集から洩れることは出来なかったのだ。

(ねえ、のぶこのせんれいは、おふぃりあにもとめられるのだろうね。しかし)

ねえ、伸子の先例は、オフィリアに求められるのだろうね。しかし

(おふぃりあのほうは、たんにきちがいになってから、おさないころうばからきいた)

オフィリアの方は、単に狂人になってから、幼い頃乳母から聴いた――

(あすはヴぁれんたいんさまのひ のざれうたをおもいだしたにすぎない。ところが、)

(あすはヴァレンタインさまの日)の猥歌を憶い出したにすぎない。ところが、

(のぶこのほうは、ふりやぎというすこぶるどらまちっくなせいをかぶせて、ものすごいひにくを)

伸子の方は、降矢木というすこぶる劇的な姓を冠せて、物凄い皮肉を

(えんじてしまったのだよ そのしょめいには、おそろしいちからでひきつけるような)

演じてしまったのだよ」その署名には、恐ろしい力で惹きつけるような

(ものがあった。しばらくくぎづけになっているうちに、まずちょくじょうてきなくましろが)

ものがあった。しばらく釘付けになっているうちに、まず直情的な熊城が

(きせいをあげた。つまり、ぐってんべるがーいこーるふりやぎはたたろうなんだ。これで、)

気勢を上げた。「つまり、グッテンベルガー=降矢木旗太郎なんだ。これで、

(くりヴぉふふじんのちんじゅつが、きれいさっぱりわりきれてしまうぜ。さあのりみずくん、)

クリヴォフ夫人の陳述が、綺麗さっぱり割り切れてしまうぜ。サア法水君、

(きみははたたろうのありばいをうちやぶるんだ いや、このひょうかはこんなんだよ。)

君は旗太郎の不在証明を打ち破るんだ」「いや、この評価は困難だよ。

(いぜんふりやぎxさ とけんじはよういにしゅこうしたいろをみせなかった。そして、あんに)

依然降矢木Xさ」と検事は容易に首肯した色を見せなかった。そして、暗に

(さんてつのふしぎなやくわりをほのめかすと、のりみずもそれにうなずいて、はげしいひにくを)

算哲の不思議な役割を仄めかすと、法水もそれに頷いて、劇しい皮肉を

(むくいられたかのように、さくらんしたひょうじょうをうかべるのだった。じじつ、それが)

酬いられたかのように、錯乱した表情を泛べるのだった。事実、それが

(ゆうれいのようなせんざいいしきだとすれば、おそらくのりみずのしょうりであろう。けれども、)

幽霊のような潜在意識だとすれば、恐らく法水の勝利であろう。けれども、

(もしたんに、いちじょうのぱらむねじいだとしたら、それこどすいりそくていをちょうえつしたばけものに)

もし単に、一場の心的錯誤だとしたら、それこど推理測定を超越した化物に

(ちがいないのである。おとぼねいしはとけいをみてたちあがったが、このどくぜつかは、)

違いないのである。乙骨医師は時計を見て立ち上ったが、この毒舌家は、

(ひとことひにくをはきすてるのをわすれるようなおやじではなかった。さて、こんやはもう)

一言皮肉を吐き捨てるのを忘れるような親爺ではなかった。「さて、今夜はもう

など

(ほとけさまもでまいて。しかしのりみずくん、もんだいは、くうそうよりもろんりはんだんりょくの)

仏様も出まいて。しかし法水君、問題は、空想よりも論理判断力の

(いかんにあるよ。そのふたつのほちょうがそろうようなら、きみもなぽれおんに)

いかんにあるよ。その二つの歩調が揃うようなら、君もナポレオンに

(なれるだろうがな いや、とむせん でんまーくのしがくしゃ。ばいかるこはん)

なれるだろうがな」「いや、トムセン(丁抹の史学者。バイカル湖畔

(みなみおるこんかわのじょうりゅうにあるちゅるくじんのこひぶんをどくはせり でけっこうさ とのりみずは)

南オルコン河の上流にある突厥人の古碑文を読破せり)で結構さ」と法水は

(おとらずいいかえしたが、そのことばのしたから、がぜんただならぬふううんを)

劣らず云い返したが、その言葉の下から、俄然ただならぬ風雲を

(まきおこしてしまった。もちろんぼくに、たいしたしがくのぞうけいはないがね。しかし、)

捲き起してしまった。「勿論僕に、たいした史学の造詣はないがね。しかし、

(このじけんでは、おるこんいじょうのひぶんをよむことができたのだ。きみはしばらく)

この事件では、オルコン以上の碑文を読むことが出来たのだ。君はしばらく

(さろんにいて、こんせいきさいだいのはっくつをまっていてくれたまえ はっくつ!?くましろは)

広間にいて、今世紀最大の発掘を待っていてくれ給え」「発掘!?」熊城は

(ぎょうてんせんばかりにおどろいてしまった。しかし、のりみずがしんじゅうなにごとをきとしているのか)

仰天せんばかりに驚いてしまった。しかし、法水が心中何事を企図しているのか

(しるよしはないといっても、そのびうのあいだにうかんでいるきぜんたるけついをみただけで)

知る由はないといっても、その眉宇の間に泛んでいる毅然たる決意を見ただけで

(まさにかれが、けんこんいってきのおおばくちをうたんとしていることはあきらかだった。)

まさに彼が、乾坤一擲の大賭博を打たんとしていることは明らかだった。

(まもなく、このむなぐるしいまでにきんぱくしたくうきのなかを、おつぼねいしといれちがいに、)

間もなく、この胸苦しいまでに緊迫した空気の中を、乙骨医師と入れ違いに、

(よばれたたごうしんさいがはいってくると、さっそくのりみずはたんとうちょくにゅうにきりだした。)

喚ばれた田郷真斎が入って来ると、さっそく法水は単刀直入に切り出した。

(ぼくはそっちょくにおたずねしますが、あなたは、さくやはちじからはちじにじゅっぷんまでのあいだに)

「僕は率直にお訊ねしますが、貴方は、昨夜八時から八時二十分までの間に

(ていないをじゅんかいして、そのときこだいとけいしつにかぎをおろしたそうでしたね。しかし、)

邸内を巡回して、その時古代時計室に鍵を下したそうでしたね。しかし、

(そのころからすがたをけしたひとりがあったはずです。いいえたごうさん、さくや)

その頃から姿を消した一人があったはずです。いいえ田郷さん、昨夜

(しんいしんもんかいのとうじこのやかたにいたかぞくのかずは、たしかごにんではなく、)

神意審問会の当時この館にいた家族の数は、たしか五人ではなく、

(ろくにんでしたね とたんに、しんさいのぜんしんがかんでんしたようにおののいた。そして、なにか)

六人でしたね」途端に、真斎の全身が感電したように戦いた。そして、何か

(すがりたいものでもさがすようなかっこうで、きょろきょろあたりをみまわしていたが、)

縋りたいものでも探すような格好で、きょろきょろ四辺を見廻していたが、

(いきなりはんぜいてきなたいどにでて、ほほう、このふぶきのさなかにさんてつさまのいがいを)

いきなり反噬的な態度に出て、「ホホウ、この吹雪の最中に算哲様の遺骸を

(はっくつするとするなら、あんたがたはれいじょうをおもちとみえますな いや、)

発掘するとするなら、あんた方は令状をお持ちとみえますな」「いや、

(ひつようとあらば、たぶんほうりつぐらいはやぶりかねぬでしょう とのりみずはれいぜんと)

必要とあらば、たぶん法律ぐらいは破りかねぬでしょう」と法水は冷然と

(むくいかえした。が、このうえしんさいとのおうしゅうをむようとみて、そっちょくにじせつを)

酬い返した。が、この上真斎との応酬を無用とみて、率直に自説を

(のべはじめた。だいたい、あなたがおいそれとさいしょからくちをあこうなどとは、)

述べはじめた。「だいたい、貴方がおいそれと最初から口を開こうなどとは、

(ゆめにもきたいしていなかったのですよ。ですから、まずぼくのほうで、そのきえうせた)

夢にも期待していなかったのですよ。ですから、まず僕の方で、その消え失せた

(ひとりを、がいほうてきにしょうめいしてゆきましょう。ところであなたは、もうじんの)

一人を、外包的に証明してゆきましょう。ところで貴方は、盲人の

(ちょうしょっかくひょうがたということばをごぞんじですか。もうじんはしかくいがいのあらゆるかんかくを)

聴触覚標型という言葉を御存じですか。盲人は視覚以外のあらゆる感覚を

(くしして、そのここにつたわってくるぶんれつしたものをそうごうするのです。そうして、)

駆使して、その個々に伝わってくる分裂したものを綜合するのです。そうして、

(じぶんにきんせつしているぶったいのぞうけいをこころみようとするのですよ。ねえたごうさん、)

自分に近接している物体の造型を試みようとするのですよ。ねえ田郷さん、

(もちろんぼくのめに、そのじんぶつのすがたがうつろうどうりはありません。しかも、ものおとも)

勿論僕の眼に、その人物の姿が映ろう道理はありません。しかも、物音も

(きかなければ、そのひとりにかんするささいなすんごさえみみにしていないのです。)

聴かなければ、その一人に関する些細な寸語さえ耳にしていないのです。

(しかし、このじけんのかいしとどうじに、あるひとつのえんしんりょくがはたらいて、そうして)

しかし、この事件の開始と同時に、ある一つの遠心力が働いて、そうして

(そのちからが、かんけいしゃのけんがいはるかへほうてきしてしまったひとりがあったのですよ。)

その力が、関係者の圏外はるかへ抛擲してしまった一人があったのですよ。

(ぼくは、さいしょこのやかたにいっぽふみいれたとき、すでにあるひとつのぜんちょうとでも)

僕は、最初この館に一歩踏み入れたとき、すでにある一つの前兆とでも

(いいたいものをかんじました。それを、ばとらーのこういからかんしゅすることが)

云いたいものを感じました。それを、召使の行為から観取することが

(できたのでしたよ すると、ぼくがたずねた......けんじはいようにこうふんして)

出来たのでしたよ」「すると、僕が訊ねた......」検事は異様に亢奮して

(さけんだ。そして、じぶんのぎねんがひょうかいしてゆくきに、たっしたのを)

叫んだ。そして、自分の疑念が氷解してゆく機に、達したのを

(さとったのであった。のりみずは、けんじにびしょうでこたえてからつづけた。つまり、)

悟ったのであった。法水は、検事に微笑で答えてから続けた。「つまり、

(このしんけいもくげきにとると、さいしょばとらーにみちびかれてだいかいだんをのぼっていったときが、)

この神経黙劇にとると、最初召使に導かれて大階段を上って行った時が、

(そもそものあいんらいつんぐなのでした。そのおり、けたたましいけいさつじどうしゃのきかんのひびきが)

そもそもの開緒なのでした。その折、喧ましい警察自動車の機関の響が

(していたのですが、そのばとらーは、ぼくのくつがぐうぜんきしってかすかなおとをたてると、)

していたのですが、その召使は、僕の靴が偶然軋って微かな音を立てると、

(なぜかさきにあゆんでいるにもかかわらず、すくんだようなかたちで、からだをよこに)

何故か先に歩んでいるにもかかわらず、竦んだような形で、身体を横に

(さけるのです。ぼくはそれをさとると、おもわず、しんけいにつきあげてくるものが)

避けるのです。僕はそれを悟ると、思わず、神経に衝き上げてくるものが

(ありました。ですから、かいだんをのぼりきるまでのあいだ、こころみにさいさんおなじどうさを)

ありました。ですから、階段を上り切るまでの間、試みに再三同じ動作を

(えんじてみたのですが、そのつど、ばとらーもどうようのものをくりかえしてゆくのです。)

演じてみたのですが、そのつど、召使も同様のものを繰り返してゆくのです。

(あきらかに、このむごんのげんじつは、なにごとかをかたろうとしています。そこで、ぼくは)

明らかに、この無言の現実は、何事かを語ろうとしています。そこで、僕は

(すいだんをくだしました。えんじんのそうおんがあるにもかかわらず、とうぜんあっせられて)

推断を下しました。機関の騒音があるにもかかわらず、当然圧せられて

(けされねばならない、いや、つうじょうのじょうたいではぜったいにきくことのできぬおとを)

消されねばならない、いや、通常の状態では絶対に聴くことの出来ぬ音を

(きいたからだ と。しかし、それはとうぜんきせきでもなければ、もちろんぼくのかんぞうに)

聴いたからだ――と。しかし、それは当然奇蹟でもなければ、勿論僕の肝臓に

(へんちょうをきたしたけっかでもありません。いがくじょうのじゅつごでうぃりすちょうこうといって、)

変調を来した結果でもありません。医学上の述語でウィリス徴候と云って、

(げきじんなひびきとどうじにくるびさいなおとも、ききとることができるという ちょうかくの)

劇甚な響と同時にくる微細な音も、聴き取ることが出来るという――聴覚の

(びょうてきかびんげんしょうにすぎんのですよ のりみずはおもむろにたばこにひをつけて、)

病的過敏現象にすぎんのですよ」法水は徐ろに莨に火を点けて、

(ひといきすうとつづけた。)

一息吸うと続けた。

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