黒死館事件80

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小栗虫太郎の作品です。
句読点以外の記号は省いています。

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問題文

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(そうすると、あなたはあのすいすのぼくしとどうように、にんげんとどうぶつのかおを)

「そうすると、貴方はあの瑞西の牧師と同様に、人間と動物の顔を

(ひかくしようとなさるのですか のりみずはおもむろにたばこにてんかしてから、)

比較しようとなさるのですか」法水は徐ろに莨に点火してから、

(かれのびみょうなしんけいをあきらかにした。すると、それまではひゃっかせんべんのかたちで)

彼の微妙な神経を明らかにした。すると、それまでは百花千弁の形で

(ぶんさんしていたふごうりのかずかずが、みるみるまにそのいってんへ)

分散していた不合理の数々が、みるみる間にその一点へ

(すいつけられてしまったのである。あるいはそれが、かびんしんけいの)

吸い着けられてしまったのである。「あるいはそれが、過敏神経の

(しょさんにすぎないかもしれませんが、しかしともあれあなたは、さんてつはかせのことを)

所産にすぎないかもしれませんが、しかしともあれ貴女は、算哲博士のことを

(はーとのきんぐといわれましたね。むろんそれからは、いようにふれてくるくうきを)

ハートの王様と云われましたね。無論それからは、異様に触れてくる空気を

(かんじたのです。なぜかというと、ちょうどそれとすんぶんたがわぬことばを、)

感じたのです。何故かと云うと、ちょうどそれと寸分違わぬ言葉を、

(ぼくはのぶこさんのくちからもきいたからでした。おそらく、そのあんごうには、)

僕は伸子さんの口からも聴いたからでした。恐らく、その暗合には、

(このじけんさいごのきりふだとするかちがあるでしょう。これまでぼくらがたどっていった、)

この事件最後の切札とする価値があるでしょう。これまで僕等が辿っていった、

(すいりそくていのせいとうを、こんていからくつがえしてしまうほどのかいぶつかもしれないのですよ。)

推理測定の正統を、根柢から覆してしまうほどの怪物かもしれないのですよ。

(ことに、あなたのばあいは、それにぱんとまいむじみたしんりさようがともなったので、それにちからを)

ことに、貴女の場合は、それに黙劇じみた心理作用が伴ったので、それに力を

(えて、なおいっそうふかく、あなたのしんぞうをえぐりぬくことができたのでした。)

得て、なおいっそう深く、貴女の心像を抉り抜くことが出来たのでした。

(ところで、うぃんなしんしんりはにいわせると、それをじむぷとむ・はんどるんげんというのですが、)

ところで、維納新心理派に云わせると、それを徴候発作と云うのですが、

(もくてきのないむいしきうんどうをつづけているあいだは、もっともいしきかのものがあらわれやすい)

目的のない無意識運動を続けている間は、最も意識下のものが現われ易い――

(ことばをかえていえば、ひとにしらせたくない、じぶんのこころのおくそこに)

言を換えて云えば、人に知らせたくない、自分の心の奥底に

(しまっておきたいものが、なにかのかたちでがいめんのひょうしゅつのなかにあらわれるか、それとも、)

蔵っておきたいものが、何かの形で外面の表出の中に現われるか、それとも、

(そこになにかあんじてきなしょうどうをあたえられると、それにともなったれんそうてきなはんのうが、)

そこに何か暗示的な衝動を与えられると、それに伴った聯想的な反応が、

(おうおうげんごのなかにもあらわれることがあるというのです。そのあんじてきしょうどうというのは)

往々言語の中にも現われることがあると云うのです。その暗示的衝動と云うのは

(ほかでもない、さんてつのことを、ぼくがすぺーどのきんぐといったことなんですよ。)

ほかでもない、算哲のことを、僕がスペードの王様と云ったことなんですよ。

など

(しかし、それいぜんに、でぃぐすびいも といったぼくのひとことが、はしたなく)

しかし、それ以前に、ディグスビイも――と云った僕の一言が、端なく

(でぃぐすびいのほんたいをしらないあなたのこころをとらえてしまったのです。そして、)

ディグスビイの本体を知らない貴女の心を捉えてしまったのです。そして、

(むいしきのうちに、ゆびわをぬいてみたりはめてみたり、)

無意識の裡に、指環を抜いてみたり嵌めてみたり、

(またくるくるまわしたりするような、ちょうこうほっさがあなたにあらわれていきました。)

またクルクル廻したりするような、徴候発作が貴女に現われていきました。

(そこでぼくは、みょうにこころをそそるようなぱうぜをおいたのです。そのぱうぜです それは)

そこで僕は、妙に心を唆るような間を置いたのです。その間です――それは

(ただにえんげきばかりでなく、ことにじんもんにおいてひつようなのですよ。ねえくがさん、)

ただに演劇ばかりでなく、ことに訊問において必要なのですよ。ねえ久我さん、

(はんにんはだいほんさっかではあるかわりに、けっしていっこうのとがきだってしていしやしません。)

犯人は台本作家ではある代りに、けっして一行のト書だって指定しやしません。

(そのいみで、そうさかんというものは、なによりよきえんしゅつしゃであらねば)

その意味で、捜査官というものは、何よりよき演出者であらねば

(ならないのです。いや、じょうべんはごかんべんください。なによりおわびしておきたいのは、)

ならないのです。いや、冗弁は御勘弁下さい。何より御詫びしておきたいのは、

(ぼくはあなたのおゆるしをまたずに、しんぞうおくふかくをさぐって)

僕は貴女の御許しを俟たずに、心像奥深くを探って

(ちんにゅうしていったのですから・・・・・・そこで、のりみずは、あたらしいたばこをとりだして、)

闖入していったのですから……」そこで、法水は、新しい莨を取り出して、

(そのほこるべきえんしゅつのびょうしゃをくりひろげていった。しかし、そのぱうぜは)

その誇るべき演出の描写を繰り拡げていった。「しかし、その間は

(こんとんたるものです。けれども、そのなかにはさまざまなしんりげんしょうがじゅうじにむらがっていて)

混沌たるものです。けれども、その中には様々な心理現象が十字に群がっていて

(まるでにゅうどうぐものように、むくむくいしきめんをふどうしているのです。そのじょうたいは、)

まるで入道雲のように、ムクムク意識面を浮動しているのです。その状態は、

(そこになにかしょうどうさえあたえられれば、おそらくひとたまりもないほど)

そこに何か衝動さえ与えられれば、恐らくひとたまりもないほど

(もろいものだったにちがいありません。そこでぼくは、すぺーどのきんぐということばを)

脆弱いものだったに違いありません。そこで僕は、スペードの王様という言を

(だしたのです。なぜなら、せいしんぜんたいをひとつのゆうきたいだとすれば、とうぜんそこから、)

出したのです。何故なら、精神全体を一つの有機体だとすれば、当然そこから、

(ぶつりてきにせいきしてくるものがなければならぬからです。そのひじょうにあんじてきな)

物理的に生起して来るものがなければならぬからです。その非常に暗示的な

(ひとことによって、ぼくはなにかしらのはんのうをきたいしました。すると、はたしてあなたは、)

一言によって、僕は何かしらの反応を期待しました。すると、はたして貴女は、

(ぼくのことばをはーとのきんぐといいなおしました。まさにそのはーとのきんぐです。)

僕の言葉をハートの王様と云い直しました。まさにそのハートの王様です。

(ぼくはそのとき、きょうらんにひとしいいじょうなけいじをうけたのでしたよ。しかし、つづいて)

僕はその時、狂乱に等しい異常な啓示をうけたのでしたよ。しかし、続いて

(あなたには、にどめのしょうどうがあらわれて、とつぜんどをうしない、おもわずゆびわをこゆびに)

貴女には、二度目の衝動が現われて、突然度を失い、思わず指環を小指に

(はめこんでしまったのです。どうしてぼくが、そのときの、きょうふのいろを)

嵌め込んでしまったのです。どうして僕が、その時の、恐怖の色を

(みのがしましょうか とするどくちゅうとでことばをたちきりながら、のりみずのかおが)

見遁しましょうか」と鋭く中途で言葉を裁ち切りながら、法水の顔が

(りつぜんたるものにつつまれていった。いや、ぼくのほうこそ、もっともっとおもくるしい)

慄然たるものに包まれていった。「いや、僕の方こそ、もっともっと重苦しい

(きょうふをおぼえたのですよ。なぜなら、かるたふだをみると、そのじんぶつぞうはどれもこれも)

恐怖を覚えたのですよ。何故なら、骨牌札を見ると、その人物像はどれもこれも

(じょうげのどうたいがひだりそぎのななめにあわされていて、それぞれにかんじんなしんぞうのぶぶんが、)

上下の胴体が左削ぎの斜めに合わされていて、それぞれに肝腎な心臓の部分が、

(あいてのびびしいくろーくのかげにかくれているからです。そして、その がぞうから)

相手の美々しい袖無外套の蔭に隠れているからです。そして、その――画像から

(うしなわれたしんぞうが、みぎがわのじょうたんに、えじるしとなっておかれているではありませんか。)

失われた心臓が、右側の上端に、絵印となって置かれているではありませんか。

(そうなると、あるいはぼくのおもいすぎかもしれませんが、そのなかでかがやいている)

そうなると、あるいは僕の思い過ぎかもしれませんが、その中で輝いている

(せいさんなひかりをどうしてみのがすわけにゆきましょうか、ああ、しんぞうはみぎに。)

凄惨な光をどうして看過がす訳にゆきましょうか、ああ、心臓は右に。

(ですから、もし、はーとのきんぐというひとことを、あなたのしんぞうがかたるとおりに)

ですから、もし、ハートの王様という一言を、貴女の心臓が語るとおりに

(かいしゃくして、さんてつはかせをみぎがわにしんぞうをもったとくいたいしつしゃだとすればです。あるいは)

解釈して、算哲博士を右側に心臓を持った特異体質者だとすればです。あるいは

(それが、ささえりさんめつをきわめているふごうりせいのぜんぶを、このきかいに)

それが、支離散滅をきわめている不合理性の全部を、この機会に

(いっそうしてしまうしょっこうともなりえましょう このおどろくべきすいていは、かつての)

一掃してしまう曙光ともなり得ましょう」この驚くべき推定は、かつての

(おしがねつたこをはっくつしたことにつづいて、じつにじけんちゅうにかいめのおおしばいだった。)

押鐘津多子を発掘したことに続いて、実に事件中二回目の大芝居だった。

(そのちょうじんてきろんりにみりょうされて、けんじもくましろも、しびれたようなかおになり、よういに)

その超人的論理に魅了されて、検事も熊城も、痺れたような顔になり、容易に

(ことばさえでないのだった。もちろんそこには、ひとつのけねんがあった。けれども、)

言葉さえ出ないのだった。勿論そこには、一つの懸念があった。けれども、

(つづいてのりみずはれいしょうをあげて、それにうすきみわるいせいきをふきこむのだった。)

続いて法水は例証を挙げて、それに薄気味悪い生気を吹き込むのだった。

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