南洲翁遺訓〈現代語訳〉24~29

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西郷隆盛の教えです。
ふんわりと現代語に訳しております。
詳しくは大家の翻訳を参照してください。

前半の「1~20」は、主に為政者(上に立つ者)としての訓えが説かれ、
後半の「21~41」は、主に個人の修身についての訓えが説かれています。
個人的には後半の「21~」進めるのがお勧めです。

ローマ字欄に原文を記載してあります。
盛和塾関係の方に是非おすすめです。

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問題文

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(みちというものはてんちしぜんのものであり、)

道というものは天地自然のものであり、

道は天地自然の物にして、

(にんげんはこれにのっとっていきているものであるから、)

人間はこれに則って生きているものであるから、

人は之を行ふものなれば、

(まずそのもくてきは、てんをうやまうことでなければならないのである。)

まずその目的は、天を敬う事でなければならないのである。

天を敬するを目的とす。

(てんは、たにんもじぶんもみなひとしくあいしたまうそんざいであるから、)

天は、他人も自分も皆等しく愛し給う存在であるから、

天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、

(どうように、じぶんをあいするこころをもってたにんもあいすべきものなのである。)

同様に、自分を愛する心をもって他人も愛すべきものなのである。

我を愛する心を以て人を愛する也。

(ひとをあいてにいきるのではなく、てんをあいてにいきるのだ。)

人を相手に生きるのではなく、天を相手に生きるのだ。

人を相手にせず、天を相手にせよ。

(てんをあいてにしておのれのまことをつくし、たにんのあやまちをとがめることをせず、)

天を相手にして己の誠を尽くし、他人の過ちを咎める事をせず、

天を相手にして、己れを盡て人を咎めず、

(わがまことのたりていないことこそをはんせいしなさい。)

我が誠の足りていない事こそを反省しなさい。

我が誠の足らざるを尋ぬべし。

(おのれをあいするというようなこころは、よくないことのさいたるものだ。)

己を愛するというような心は、善くない事の最たるものだ。

己れを愛するは善からぬことの第一也。

(わがみをおさめるしゅうようがすすまないのも、ことがせいこうしないのも、)

我が身を修める修養が進まないのも、事が成功しないのも、

修業の出來ぬも、事の成らぬも、

(おのれのあやまちをあらためることができぬのも、)

己の過ちを改める事が出来ぬのも、

過を改むることの出來ぬも、

(そしてみずからのこうせきをほこりごうまんになるのも、)

そして自らの功績を誇り傲慢になるのも、

功に伐り驕謾の生ずるも、

(すべてはおのれをあいするこころからしょうずることだ。)

すべては己を愛する心から生ずることだ。

皆な自ら愛するが爲なれば、

(これらわかっていれば、おのれをあいするなどということはけっしてできないはずだ。)

これら分かっていれば、己を愛するなどということは決して出来ないはずだ。

決して己れを愛せぬもの也。

(あやまちをあらためるということ。)

過ちを改めるということ。

過ちを改るに、

(これはみずからがあやまったということにさえおもいがいたったら、ただそれでよろしい。)

これは自らが過ったということにさえ思いが至ったら、ただそれで良ろしい。

自ら過つたとさへ思ひ付かば、夫れにて善し、

(そのことをさっぱりすててこうかいにとらわれず、ただちにいっぽぜんしんするべし。)

その事をさっぱり棄てて後悔にとらわれず、直ちに一歩前進するべし。

其事をば棄て顧みず、直に一歩踏出す可し。

(あやまちをくやしくおもって、あれこれととりつくろおうとしんぱいするさまというのは、)

過ちを悔しく思って、あれこれと取り繕おうと心配する様というのは、

過を悔しく思ひ、取繕はんと心配するは、

(たとえばちゃわんをわってしまい、そのかけらをあつめあわせてみるのもどうようで、)

例えば茶碗を割ってしまい、その欠けらを集め合わせて見るのも同様で、

譬へば茶碗を割り、其缺けを集め合せ見るも同にて、

(まったくもっていみのないことだ。)

全くもって意味のないことだ。

詮せんもなきこと也。

など

(みちをおこなうということに、ちいのとうとさやみぶんのひくさなどのくべつはない。)

道を行うという事に、地位の貴さや身分の低さなどの区別は無い。

道を行ふには尊卑貴賤の差別無し。

(たとえをいうならば、こだいちゅうごくのぎょう・しゅん(ともにこだいちゅうごくのいだいなていおう)は、)

例えを言うならば、古代中国の尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)は、

摘んで言へば、堯舜は

(こくおうとしてくにのせいじをとりおこなっていたが、)

国王として国の政治を執り行っていたが、

天下に王として萬機の政事を執り給へ共、

(もともとそのしょくぎょうはみぶんのひくいきょうしであった。)

元々その職業は身分の低い教師であった。

其の職とする所は教師也。

(またこうしはろのくにをはじめ、どこのくににもせいじかとしてもちいられず、)

また孔子は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず、

孔夫子は魯國を始め、何方へも用ひられず、

(なんどもこんなん、やくさいにくるしめられ、みぶんのひくいままにいっしょうをおえられた。)

何度も困難、厄災に苦しめられ、身分の低いままに一生を終えられた。

屡々困厄に逢ひ、匹夫にて世を終へ給ひしか共、

(しかしさんぜんにんといわれるそのでしたちは、)

しかし三千人といわれるその弟子達は、

三千の徒

(みなそのおしえにしたがってみちをおこなったではないか。)

皆その教えに従って道を行ったではないか。

皆な道を行ひし也

(ただしいみちをすすもうとするものは、)

正しい道を進もうとする者は、

道を行ふ者は、

(それをはばもうとするものなどからの、さまざまなこんなんにちょくめんするものなのだ。)

それを阻もうとする者などからの、様々な困難に直面するものなのだ。

固より困厄に逢ふものなれば、

(だが、どんなくるしいたちばにおいこまれたとしても、)

だが、どんな苦しい立場に追い込まれたとしても、

如何なる艱難の地に立つとも、

(そのことがせいこうするかしっぱいするかということや、)

その事が成功するか失敗するかという事や、

事の成否

(じぶんがいきるかしぬか、というようなことにすこしもこだわってはならない。)

自分が生きるか死ぬか、というような事に少しもこだわってはならない。

身の死生抔に、少しも關係せぬもの也。

(ことをおこなうにあたっては、じょうずにできるもの、へたなものがあり、)

事を行なうに当たっては、上手に出来る者、下手な者があり、

事には上手下手有り、

(ものによってはよくできるひと、よくできないひともある。)

物によっては良く出来る人、良く出来ない人もある。

物には出來る人出來ざる人有るより、

(ゆえにしぜんとみちをおこなうことにぎねんをもつものもあるかもしれない。)

故に自然と道を行うことに疑念を持つ者もあるかもしれない。

自然心を動す人も有れ共、

(しかし、にんげんというものは、みちをおこなわねばならぬものだから、)

しかし、人間というものは、道を行わねばならぬものだから、

人は道を行ふものゆゑ、

(みちをふむというのにはじょうずへたもなく、またそれをできないひともないのだ。)

道を踏むというのには上手下手もなく、またそれを出来ない人もないのだ。

道を蹈むには上手下手も無く、出來ざる人も無し。

(だからひたすらせいいっぱいみちをおこない、みちをたのしみ、)

だからひたすら精一杯道を行い、道を楽しみ、

故に只管道を行ひ道を樂み、

(もしこんなんなじたいにちょくめんし、これをのりきろうとおもうならば、)

もし困難な事態に直面し、これを乗り切ろうと思うならば、

若し艱難に逢うて之を凌んとならば、

(いよいよせいどうをつらぬき、みちをたのしむべし。)

いよいよ正道を貫き、道を楽しむべし。

彌々道を行ひ道を樂む可し。

(じぶんはわかいじだいから、ありとあらゆるこんなんというこんなんにあってきたので、)

自分は若い時代から、ありとあらゆる困難という困難に遭って来たので、

予壯年より艱難と云ふ艱難に罹りしゆゑ、

(いまはどんなじたいにそうぐうしても、こころがどうようするようなことがない。)

今はどんな事態に遭遇しても、心が動揺するような事が無い。

今はどんな事に出會ふ共、動搖は致すまじ、

(それだけはじつにしあわせなことだとおもっている。)

それだけは実に幸せなことだと思っている。

夫れだけは仕合せなり。

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