南洲翁遺訓〈現代語訳〉41・追加1、2【終】

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西郷隆盛の教えです。
ふんわりと現代語に訳しております。
詳しくは大家の翻訳を参照してください。

前半の「1~20」は、主に為政者(上に立つ者)としての訓えが説かれ、
後半の「21~41」は、主に個人の修身についての訓えが説かれています。
個人的には後半の「21~」進めるのがお勧めです。

ローマ字欄に原文を記載してあります。
盛和塾関係の方に是非おすすめです。

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問題文

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(わがみをおさめおのれのこころをただし、くんしのしんしんをそなえたとしても、)

我が身を修め己の心を正し、君子の心身を備えたとしても、

身を修し己れを正して、君子の體を具ふる共、

(いざことにあたり、そのげんじつでじっこうししょりのできぬものは、)

いざ事に当たり、その現実で実行し処理のできぬ者は、

處分の出來ぬ人ならば、

(いわばきでつくったにんぎょうもどうぜんであるぞ。)

いわば木で作った人形も同然であるぞ。

木偶人も同然なり。

(たとえば、よそうがいにもすうじゅうにんのおきゃくをまねくことになってしまったとしよう。)

例えば、予想外にも数十人のお客を招くことになってしまったとしよう。

譬へば數十人の客不意に入り來んに、

(どれほどかんたいしようとおもうきもちがあったとしても、)

どれほど歓待しようと思う気持ちがあったとしても、

假令何程饗應したく思ふ共、

(かねてからしょっきやちょうどひんのそなえがないならば、)

かねてから食器や調度品の備えがないならば、

兼て器具調度の備無ければ、

(そのばにおいてただこころくだくのみで、せったいするほうほうなどあるわけがなかろう。)

その場においてただ心砕くのみで、接待する方法などあるわけがなかろう。

唯心配するのみにて、取賄ふ可き樣有間敷ぞ。

(ひごろからそのようなことにもたいおうできるそなえがあればこそ、)

日頃からそのようなことにも対応できる備えがあればこそ、

常に備あれば、

(たとえなんにんのらいほうがあろうとも、かずにおうじてせったいすることができる。)

たとえ何人の来訪があろうとも、数に応じて接待する事が出来る。

幾人なり共、數に應じて賄はるゝ也。

(それゆえに、へいじからいをもちいることがいかにもかんじんなことであるぞ。)

それ故に、平時から意を用いることがいかにも肝腎な事であるぞ。

夫れ故平日の用意は肝腎ぞ

(とこのようにおっしゃり、こごをかいてさずけてくださった。)

とこのように仰り、古語を書いて授けて下さった。

とて、古語を書て賜りき。

(「がくもんというものは、ただきじょうでのせいかをいうのではない。)

「学問というものは、ただ机上での成果を言うのではない。

文ハ鉛槧ニ非ル也。

(ぜったいてきに、ことにあたりげんじつにこれをさばくことのできるさいのことをいうのである。)

絶対的に、事に当たり現実にこれを捌くことのできる才のことをいうのである。

必ズ事ニ處スル之才有リ。

(ぶどうというものはけんやたてをうまくつかいこなすことをいうのではない。)

武道というものは剣や楯をうまく使いこなす事を言うのでは無い。

武ハ劒楯ニ非ル也。

(ぜったいてきに、てきをしりこれをしょするちのことをいうのである。)

絶対的に、敵を知りこれを処する智のことをいうのである。

必ズ敵ヲ料ル之智有リ。

(さいとちのこんげんはただひとつなのである」)

才と智の根源はただ一つなのである」

焉ンゾ才智之在ル所一而已。(陳龍川、酌古論序文)

(しごとにあたっては、)

仕事に当たっては、

事に當り

(じしんのしりょがすくない、かんがえがおよばないことなどはきにかけることではない。)

自身の思慮が少ない、考えが及ばない事などは気にかけることではない。

思慮の乏しきを憂ふること勿れ。

(およそしりょというものは、)

およそ思慮というものは、

凡思慮は

(ふだんからもくざし、しずかにせいしんをしゅうちゅうしているときにするべきものだ。)

普段から黙坐し、静かに精神を集中している時にするべきものだ。

平生默坐靜思の際に於てすべし。

など

(こうあればこそ、いざゆうじのさいには)

こうあればこそ、いざ有事の際には

有事の時に至り、

(そのしりょしていたことのじっちゅうはっくがげんじつにたいしょできるものなのだ。)

その思慮していたことの十中八九が現実に対処できるものなのだ。

十に八九は履行せらるゝものなり。

(いざことにあたって、ばあたりてきにしりょするようなことは、)

いざ事に当たって、場当たり的に思慮するようなことは、

事に當り率爾に思慮することは、

(たとえば、ねどこにおいてゆめのなかでまどろんでいるときに、)

例えば、寝床において夢の中でまどろんでいる時に、

譬へば臥床夢寐の中、

(みごとなさくりゃくやめいあんをおもいついたようなものだ。)

見事な策略や名案を思いついたようなものだ。

奇策妙案を得るが如きも、

(あさおきてからよくよくかんがえてみれば、)

朝起きてからよくよく考えてみれば、

明朝起床の時に至れば、

(なんのいみもないもうそうのたぐいであったことがおおいのとおなじである。)

何の意味も無い妄想の類であったことが多いのと同じである。

無用の妄想に類すること多し。

(かんがくをべんきょうしているものは、いよいよかんがくのぶんけんをあたりみちをまなびなさい。)

漢学を勉強している者は、いよいよ漢学の文献をあたり道を学びなさい。

漢學を成せる者は、彌漢籍に就て道を學べし。

(くりかえすが、みちというものはてんちしぜんのものであり、せいようとうようにちがいなどない。)

繰り返すが、道というものは天地自然のものであり、西洋東洋に違いなど無い。

道は天地自然の物、東西の別なし、

(いままさに、げんじつのばんこくがたいじしているこくさいけいせいをしりたいとおもうのならば、)

今まさに、現実の万国が対峙している国際形勢を知りたいと思うのならば、

苟も當時萬國對峙の形勢を知らんと欲せば、

(「しゅんじゅうさしでん」をじゅくどくし、それのさんこうには「そんし」がよいだろう。)

「春秋左氏伝」を熟読し、それの参考には「孫子」がよいだろう。

春秋左氏傳を熟讀し、助くるに孫子を以てすべし。

(げんざいのこくさいけいせいとほぼたいさがないものぞ。)

現在の国際形勢とほぼ大差がないものぞ。

當時の形勢と略ぼ大差なかるべし。

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