人でなしの恋12

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江戸川乱歩『人でなしの恋』
編集の都合上、一部読点を省いています。

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問題文

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(ろく)

(それいらい、わたしはいくどやみよのくらへしのんでまいったことでございましょう。そして、)

それ以来、私は幾度闇夜の蔵へ忍んで参ったことでございましょう。そして、

(そこで、おっとたちのさまざまのむつごとをたちぎきしては、どのように、みもよもあらぬおもいを)

そこで、夫達の様々の睦言を立聞きしては、どの様に、身も世もあらぬ思いを

(いたしたことでございましょう。そのたびごとに、どうかしてあいてのおんなを)

いたしたことでございましょう。その度毎に、どうかして相手の女を

(みてやりましょうと、いろいろにくしんをしたのですけれど、いつもさいしょのばんのとおり、)

見てやりましょうと、色々に苦心をしたのですけれど、いつも最初の晩の通り、

(くらからでてくるのはおっとのかどのだけで、おんなのすがたなぞはちらりともみえはしないので)

蔵から出て来るのは夫の門野だけで、女の姿なぞはチラリとも見えはしないので

(ございます。あるときはまっちをよういしていきまして、おっとがたちさるのを)

ございます。ある時はマッチを用意して行きまして、夫が立去るのを

(みすまし、そっとくらのにかいへあがって、まっちのひかりでそのへんをさがしまわったことも)

見すまし、ソッと蔵の二階へ上って、マッチの光でその辺を探し廻ったことも

(ありましたが、どこへかくれるいとまもないのに、おんなのすがたはもうかげもささぬので)

ありましたが、どこへ隠れる暇もないのに、女の姿はもう影もささぬので

(ございます。またあるときは、おっとのすきをうかがって、ひるま、くらのなかへしのびこみ、)

ございます。またある時は、夫の隙を窺って、昼間、蔵の中へ忍び込み、

(すみからすみをのぞきまわって、もしやぬけみちでもありはしないか、またひょっとして、)

隅から隅を覗き廻って、もしや抜け道でもありはしないか、又ひょっとして、

(まどのかなあみでもやぶれてはしないかと、さまざまにしらべてみたのですけれど、くらのなかには)

窓の金網でも破れてはしないかと、様々に検べて見たのですけれど、蔵の中には

(ねずみいっぴきにげだすすきまもみあたらぬのでございました。なんというふしぎで)

鼠一匹逃げ出す隙間も見当たらぬのでございました。何という不思議で

(ございましょう。それをたしかめますと、わたしはもう、かなしさくやしさよりも、)

ございましょう。それを確めますと、私はもう、悲しさ口惜しさよりも、

(いうにいわれぬぶきみさに、おもわずぞっとしないではいられませんでした。)

いうにいわれぬ不気味さに、思わずゾッとしないではいられませんでした。

(そうしてそのよくばんになれば、どこからしのんでまいるのか、やっぱり、いつもの)

そうしてその翌晩になれば、どこから忍んで参るのか、やっぱり、いつもの

(なまめかしいささやきごえが、おっととのむつごとをくりかえし、またゆうれいのように、いずこともしれず)

艶めかしい囁き声が、夫との睦言を繰返し、又幽霊の様に、いずことも知れず

(きえさってしまうのでございます。もしやなにかのいきりょうが、かどのにみいっている)

消え去ってしまうのでございます。もしや何かの生霊が、門野に魅入っている

(のではないでしょうか。せいらいゆううつで、どことなくふつうのひととちがったところのある、)

のではないでしょうか。生来憂鬱で、どことなく普通の人と違った所のある、

(へびをおもわせるようなかどのには(それゆえにまた、わたしはあれほども、あのひとに)

蛇を思わせる様な門野には(それ故に又、私はあれほども、あの人に

など

(みせられていたのかもしれません)そうした、いきりょうというような、いぎょうのものが、)

魅せられていたのかも知れません)そうした、生霊という様な、異形のものが、

(みいりやすいのではありますまいか。などとかんがえますと、はては、かどのじしんが、)

魅入り易いのではありますまいか。などと考えますと、はては、門野自身が、

(なにかこうましょうのものにさえみえだして、なんともけいようのできない、へんなきもちに)

何かこう魔性のものにさえ見え出して、何とも形容の出来ない、変な気持に

(なってまいるのでございます。いっそのこと、さとへかえって、いちぶしじゅうをはなそうか、)

なって参るのでございます。一そのこと、里へ帰って、一伍一什を話そうか、

(それとも、かどののおやごさまたちに、このことをおしらせしようか、わたしはあまりの)

それとも、門野の親御さま達に、このことをお知らせしようか、私は余りの

(こわさぶきみさにいくたびかそれをけっしんしかけたのですけれど、でも、まるでくもを)

怖わさ不気味さに幾度かそれを決心しかけたのですけれど、でも、まるで雲を

(つかむような、かいだんめいたことがらを、うかつにいいだしてはあたまからわらわれそうで、)

掴む様な、怪談めいた事柄を、うかつにいい出しては頭から笑われそうで、

(かえってはじをかくようなことがあってはならぬと、むすめごころにもやっとこらえて、ひといふつかと)

却て恥をかく様なことがあってはならぬと、娘心にもヤッと堪えて、一日二日と

(そのけっしんをのばしていたのでございます。かんがえてみますと、そのじぶんから、)

その決心を延ばしていたのでございます。考えて見ますと、その時分から、

(わたしはずいぶんきかんぼうでもあったのでございますわね。)

私は随分きかん坊でもあったのでございますわね。

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