人でなしの恋11

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江戸川乱歩『人でなしの恋』
編集の都合上、一部読点を省いています。

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(かどののこえははっきりと、みょうにきりこうじょうに、せりふめいて、わたしのこころにくいいるように)

門野の声ははっきりと、妙に切口上に、せりふめいて、私の心に食い入る様に

(ひびいてくるのでございます。「うれしうございます。あなたのようなうつくしいかたに、)

響いて来るのでございます。「嬉しうございます。あなたの様な美しい方に、

(あのごりっぱなおくさまをさしおいて、それほどにおもっていただくとは、わたしはまあ、)

あの御立派な奥様をさし置いて、それほどに思って頂くとは、私はまあ、

(なんというかほうものでしょう。うれしうございますわ」そして、きょくどにえいびんになった)

何という果報者でしょう。嬉しうございますわ」そして、極度に鋭敏になった

(わたしのみみは、おんながかどののひざにでももたれたらしいけはいをかんじるのでございます。)

私の耳は、女が門野の膝にでももたれたらしい気勢を感じるのでございます。

(まあごそうぞうなすってもくださいませ。わたしのそのときのこころもちがどのようで)

まあ御想像なすっても下さいませ。私のその時の心持がどの様で

(ございましたか。もしいまのとしでしたら、なんのかまうことがあるものですか、)

ございましたか。もし今の年でしたら、何の構うことがあるものですか、

(いきなり、とをたたきやぶってでも、ふたりのそばへかけこんで、うらみつらみの)

いきなり、戸を叩き破ってでも、二人のそばへ駈込んで、恨みつらみの

(ありたけを、ならべもしたでしょうけれど、なにをもうすにも、まだこむすめのとうじでは、)

ありたけを、並べもしたでしょうけれど、何を申すにも、まだ小娘の当時では、

(とてもそのようなゆうきがでるものではございません。こみあげてくるかなしさを、)

とてもその様な勇気が出るものではございません。込み上げて来る悲しさを、

(たもとのはしで、じっとおさえて、おろおろと、そのばをたちさりもえせず、しぬるおもいを)

袂の端で、じっと押えて、おろおろと、その場を立去りも得せず、死ぬる思いを

(つづけたことでございます。やがて、はっときがつきますと、はたはたと、)

続けたことでございます。やがて、ハッと気がつきますと、ハタハタと、

(いたのまをあるくおとがして、だれかがおとしどのほうへちかづいてまいるのでございます。)

板の間を歩く音がして、誰かが落し戸の方へ近づいて参るのでございます。

(いまここでかおをあわせては、わたしにしましても、またせんぽうにしましても、あんまり)

今ここで顔を合わせては、私にしましても、又先方にしましても、あんまり

(はずかしいことですから、わたしはいそいではしごだんをおりると、くらのそとへでて、そのへんの)

恥かしいことですから、私は急いで梯子段を下ると、蔵の外へ出て、その辺の

(くらやみへ、そっとみをひそめ、ひとつには、そうしておんなめのかおをよくみおぼえて)

暗闇へ、そっと身をひそめ、一つには、そうして女奴の顔をよく見覚えて

(やりましょうと、うらみにもえるめをみはったのでございます。がたがたと、)

やりましょうと、恨みに燃える目をみはったのでございます。ガタガタと、

(おとしどをひらくおとがして、ぱっとあかりがさし、ぼんぼりをかたてに、それでもあしおとを)

落し戸を開く音がして、パッと明りがさし、雪洞を片手に、それでも足音を

(しのばせておりてきましたのは、まごうかたなきわたしのおっと、そのあとにつづくやつめと、)

忍ばせて下りて来ましたのは、まごう方なき私の夫、そのあとに続く奴めと、

(いまきいてまてどくらせど、もうあのひとは、くらのおおとをがらがらとしめて、)

いまきいて待てど暮せど、もうあの人は、蔵の大戸をガラガラと締めて、

など

(わたしのかくれているまえをとおりすぎ、にわげたのおとがとおざかっていったのに、おんなは)

私の隠れている前を通り過ぎ、庭下駄の音が遠ざかっていったのに、女は

(おりてくるけはいもないのでございます。くらのことゆえいっぽうぐちで、まどはあっても、)

下りて来る気勢もないのでございます。蔵のことゆえ一方口で、窓はあっても、

(みなかなあみではりつめてありますので、ほかにでぐちはないはず。それが、こんなに)

皆金網で張りつめてありますので、外に出口はない筈。それが、こんなに

(まっても、とのひらくけはいもみえぬのはあまりといえばふしぎなことでございます。)

待っても、戸の開く気勢も見えぬのは余りといえば不思議なことでございます。

(だいいち、かどのが、そんなたいせつなおんなをひとりあとにのこして、たちさるわけもありません。)

第一、門野が、そんな大切な女を一人あとに残して、立去る訳もありません。

(これはもしや、ながいあいだのたくらみで、くらのどこかに、ひみつなぬけあなでもこしらえてある)

これはもしや、長い間の企らみで、蔵のどこかに、秘密な抜け穴でも拵えてある

(のではなかろうか。そうおもえば、まっくらなあなのなかを、こいにくるったおんなが、)

のではなかろうか。そう思えば、真っ暗な穴の中を、恋に狂った女が、

(おとこにあいたさいっしんで、こわさもわすれ、ごそごそとはっているけしきがまぼろしのようにめに)

男にあいたさ一心で、怖さも忘れ、ゴソゴソと匍っている景色が幻の様に目に

(うかび、そのかすかなものおとさえもきこえるようで、わたしはにわかに、そんなやみのなかに)

浮かび、その幽かな物音さえも聞える様で、私は俄に、そんな闇の中に

(ひとりでいるのがこわくなったのでございます。またおっとがわたしのいないのをふしんに)

一人でいるのが怖わくなったのでございます。また夫が私のいないのを不審に

(おもってはと、それもきがかりなものですから、ともかくも、そのばんは、)

思ってはと、それも気がかりなものですから、兎も角も、その晩は、

(それだけで、おもやのほうへひきかえすことにいたしました。)

それだけで、母屋の方へ引返すことにいたしました。

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