人でなしの恋15

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江戸川乱歩『人でなしの恋』
編集の都合上、一部読点を省いています。

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問題文

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(はち)

(それほどわたしをおどろかせたものが、ただいっこのにんぎょうにすぎなかったと)

それほど私を驚かせたものが、ただ一個の人形に過ぎなかったと

(もうせば、あなたはきっと「なあんだ」とおわらいなさるかもしれません。ですが、)

申せば、あなたはきっと「なあんだ」とお笑いなさるかも知れません。ですが、

(それは、あなたが、まだほんとうのにんぎょうというものを、むかしのにんぎょうしのめいじんが)

それは、あなたが、まだ本当の人形というものを、昔の人形師の名人が

(せいこんをつくして、こしらえあげたげいじゅつひんを、ごぞんじないからでございます。あなたは)

精魂を尽くして、拵え上げた芸術品を、御存知ないからでございます。あなたは

(もしや、はくぶつかんのかたすみなぞで、ふとふるめかしいにんぎょうにであって、そのあまりの)

もしや、博物館の片隅なぞで、ふと古めかしい人形に出あって、その余りの

(なまなましさに、なんともしれぬせんりつをおかんじなすったことはないでしょうか。それが)

生々しさに、何とも知れぬ戦慄をお感じなすったことはないでしょうか。それが

(もしおなごにんぎょうやちごにんぎょうであったときには、それのもつ、このよのほかのゆめのような)

若し女児人形や稚児人形であった時には、それの持つ、この世の外の夢の様な

(みりょくに、びっくりなすったことはないでしょうか。あなたはおみやげにんぎょうと)

魅力に、びっくりなすったことはないでしょうか。あなたは御みやげ人形と

(いわれるものの、ふしぎなすごみをごぞんじでいらっしゃいましょうか。あるいはまた、)

いわれるものの、不思議な凄味を御存知でいらっしゃいましょうか。或は又、

(おうせきしゅうどうのさかんでございましたじぶん、すきものたちが、なじみのいろわかしゅうのにがおにんぎょうを)

往昔衆道の盛んでございました時分、好き者達が、馴染の色若衆の似顔人形を

(きざませて、にちやあいぶしたという、あのきたいなじじつをごぞんじでいらっしゃい)

刻ませて、日夜愛撫したという、あの奇態な事実を御存知でいらっしゃい

(ましょうか。いいえ、そのようなとおいことをもうさずとも、たとえば、ぶんらくの)

ましょうか。いいえ、その様な遠いことを申さずとも、例えば、文楽の

(じょうるりにんぎょうにまつわるふしぎなでんせつ、きんだいのめいじんやすもとかめはちのいきにんぎょうなぞを)

浄瑠璃人形にまつわる不思議な伝説、近代の名人安本亀八の生人形なぞを

(ごしょうちでございましたなら、わたしがそのとき、ただいっこのにんぎょうをみて、あのように)

御承知でございましたなら、私がその時、ただ一個の人形を見て、あの様に

(おどろいたこころもちを、じゅうぶんごさっしくださることができるとぞんじます。)

驚いた心持を、十分御察し下さることが出来ると存じます。

(わたしがながもちのなかでみつけましたにんぎょうはのちになって、かどののおとうさまに、そっと)

私が長持の中で見つけました人形は後になって、門野のお父さまに、そっと

(おたずねしてしったのでございますが、とのさまからはいりょうのしなとかで、あんせいのころの)

御尋ねして知ったのでございますが、殿様から拝領の品とかで、安政の頃の

(めいにんぎょうしたちきともうすひとのさくともうすことでございます。ぞくにきょうにんぎょうとよばれて)

名人形師立木と申す人の作と申すことでございます。俗に京人形と呼ばれて

(おりますけれど、じつはうきよにんぎょうとやらいうものなそうで、みのたけさんしゃくあまり、)

おりますけれど、実は浮世人形とやらいうものなそうで、身の丈三尺余り、

など

(じゅっさいばかりのしょうにのおおきさで、てあしもかんぜんにでき、あたまにはむかしふうのしまだをゆい、)

十歳ばかりの小児の大きさで、手足も完全に出来、頭には昔風の島田を結い、

(むかしぞめのおおがらゆうぜんがきせてあるのでございます。これものちにうかがったのですけれど、)

昔染の大柄友染が着せてあるのでございます。これも後に伺ったのですけれど、

(それがたちきというにんぎょうしのさくふうなのだそうで、そんなむかしのできにもかかわらず、)

それが立木という人形師の作風なのだそうで、そんな昔の出来にも拘らず、

(そのおなごにんぎょうは、ふしぎときんだいてきなかおをしているのでございます。まっかに)

その女児人形は、不思議と近代的な顔をしているのでございます。真ッ赤に

(じゅうけつしてなにかをもとめているようなあつみのあるくちびる、くちびるのりょうわきでにだんになった)

充血して何かを求めている様な厚味のある唇、唇の両脇で二段になった

(ほうきょう、ものいいたげにぱっちりひらいたふたえまぶた、そのうえにおおようにほほえんでいる)

豊頬、物いいたげにパッチリ開いた二重瞼、その上に大様に微笑んでいる

(こいまゆ、そしてなによりもふしぎなのは、はぶたえでべにわたをつつんだように、ほんのりと)

濃い眉、そして何よりも不思議なのは、羽二重で紅綿を包んだ様に、ほんのりと

(いろづいている、びみょうなみみのみりょくでございました。そのはなやかな、じょうよくてきなかおが、)

色づいている、微妙な耳の魅力でございました。その花やかな、情慾的な顔が、

(じだいのためにいくぶんいろがあせて、くちびるのほかはみょうにあおざめ、てあかがついたものか、)

時代のために幾分色があせて、唇の外は妙に青ざめ、手垢がついたものか、

(なめらかなはだがぬめぬめとあせばんで、それゆえに、いっそうなやましく、なまめかしく)

滑らかな肌がヌメヌメと汗ばんで、それゆえに、一層悩ましく、艶かしく

(みえるのでございます。うすぐらく、しょうのうくさい、どぞうのなかで、そのにんぎょうを)

見えるのでございます。薄暗く、樟脳臭い、土蔵の中で、その人形を

(みましたときには、ふっくらとかっこうよくふくらんだちちのあたりが、こきゅうをして、)

見ました時には、ふっくらと恰好よくふくらんだ乳のあたりが、呼吸をして、

(いまにもくちびるがほころびそうで、そのあまりのなまなましさにわたしははっとみぶるいをかんじた)

今にも唇がほころびそうで、その余りの生々しさに私はハッと身震を感じた

(ほどでありました。まあなんということでございましょう。わたしのおっとは、いのちのない、)

ほどでありました。まあ何ということでございましょう。私の夫は、命のない、

(つめたいにんぎょうをこいしていたのでございます。このにんぎょうのふしぎなみりょくをみましては)

冷たい人形を恋していたのでございます。この人形の不思議な魅力を見ましては

(もう、そのほかになぞのときようはありません。ひとぎらいなおっとのせいしつ、くらのなかのむつごと、)

もう、その外に謎の解き様はありません。人嫌いな夫の性質、蔵の中の睦言、

(ながもちのふたのしまるおと、すがたをみせぬあいてのおんな、いろいろのてんをかんがえあわせて、)

長持の蓋のしまる音、姿を見せぬ相手の女、色々の点を考え合せて、

(そのおんなともうすのは、じつはこのにんぎょうであったとかいしゃくするほかはないのでございます。)

その女と申すのは、実はこの人形であったと解釈する外はないのでございます。

(これはのちになって、にさんのかたからうかがったことを、よせあつめて、そうぞうしているので)

これは後になって、二三の方から伺ったことを、寄せ集めて、想像しているので

(ございますが、かどのはうまれながらにゆめみがちな、ふしぎなせいへきをもっていて、)

ございますが、門野は生れながらに夢見勝ちな、不思議な性癖を持っていて、

(にんげんのおんなをこいするまえに、ふとしたことから、ながもちのなかのにんぎょうをはっけんして、)

人間の女を恋する前に、ふとしたことから、長持の中の人形を発見して、

(それのもつつよいみりょくにたましいをうばわれてしまったのでございましょう。あのひとは、)

それの持つ強い魅力に魂を奪われてしまったのでございましょう。あの人は、

(ずっとさいしょから、くらのなかでほんなぞよんではいなかったのでございます。)

ずっと最初から、蔵の中で本なぞ読んではいなかったのでございます。

(あるかたからうかがいますと、にんげんがにんぎょうとかぶつぞうとかにこいしたためしは、むかしから)

ある方から伺いますと、人間が人形とか仏像とかに恋したためしは、昔から

(けっしてすくなくはないともうします。ふこうにもわたしのおっとがそうしたおとこで、さらにふこうな)

決して少くはないと申します。不幸にも私の夫がそうした男で、更に不幸な

(ことには、そのおっとのいえにぐうぜんきだいのめいさくにんぎょうがほぞんされていたのでございます。)

ことには、その夫の家に偶然稀代の名作人形が保存されていたのでございます。

(ひとでなしのこい、このよのほかのこいでございます。そのようなこいをするものは、)

人でなしの恋、この世の外の恋でございます。その様な恋をするものは、

(いっぽうでは、いきたにんげんではあじわうことのできない、あくむのような、あるいはまた)

一方では、生きた人間では味わうことの出来ない、悪夢の様な、或は又

(おとぎばなしのような、ふしぎなかんらくにたましいをしびらせながら、しかしまたいっぽうでは、)

お伽噺の様な、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、しかし又一方では、

(たえまなきつみのかしゃくにせめられて、どうかしてそのじごくをのがれたいと、)

絶え間なき罪の苛責に責められて、どうかしてその地獄を逃れたいと、

(あせりもがくのでございます。かどのが、わたしをめとったのも、むがむちゅうにわたしを)

あせりもがくのでございます。門野が、私を娶ったのも、無我夢中に私を

(あいしようとつとめたのも、みなそのはかないくもんのあとにすぎぬのでは)

愛しようと努めたのも、皆そのはかない苦悶の跡に過ぎぬのでは

(ございませんか。そうおもえば、あのむつごとの「きょうこにすまぬうんぬん」という、)

ございませんか。そう思えば、あの睦言の「京子に済まぬ云々」という、

(ことばのいみもとけてくるのでございます。おっとがにんぎょうのためにおんなのこわいろを)

言葉の意味も解けて来るのでございます。夫が人形のために女の声色を

(つかっていたことも、うたがうよちはありません。ああ、わたしは、なんというつきひのもとに)

使っていたことも、疑う余地はありません。ああ、私は、何という月日の下に

(うまれたおんなでございましょう。)

生れた女でございましょう。

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