人でなしの恋13

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江戸川乱歩『人でなしの恋』
編集の都合上、一部読点を省いています。

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問題文

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(そして、あるばんのことでございました。わたしはふとみょうなことにきづいたので)

そして、ある晩のことでございました。私はふと妙なことに気づいたので

(ございます。それは、くらのにかいで、かどのたちのいつものおうせがすみまして、)

ございます。それは、蔵の二階で、門野達のいつものおう瀬が済みまして、

(かどのがいざにかいをおりるというときに、ぱたんとかるく、なにかのふたのしまるおとが)

門野がいざ二階を下りるというときに、パタンと軽く、何かの蓋のしまる音が

(して、それから、かちかちとじょうまえでもおろすらしいけはいがしたのでございます。)

して、それから、カチカチと錠前でも卸すらしい気勢がしたのでございます。

(よくかんがえてみれば、このものおとは、ごくかすかではありましたが、いつのばんにも)

よく考えて見れば、この物音は、ごく幽かではありましたが、いつの晩にも

(かならずきいたようにおもわれるのでございます。くらのにかいでそのようなおとをたてるものは)

必ず聞いた様に思われるのでございます。蔵の二階でその様な音を立てるものは

(そこにいくつもならんでいますながもちのほかにはありません。さてはあいてのおんなはながもちの)

そこに幾つも並んでいます長持の外にはありません。さては相手の女は長持の

(なかにかくれているのではないかしら。いきたにんげんなれば、しょくじも)

中に隠れているのではないかしら。生きた人間なれば、食事も

(とらなければならず、だいいち、いきぐるしいながもちのなかに、そんなながいあいだ)

摂らなければならず、第一、息苦しい長持の中に、そんな長い間

(しのんでいられようどうりはないはずですけれど、なぜか、わたしには、それがもう)

忍んでいられよう道理はない筈ですけれど、なぜか、私には、それがもう

(まちがいのないじじつのようにおもわれてくるのでございます。そこへきがつきますと、)

間違いのない事実の様に思われて来るのでございます。そこへ気がつきますと、

(もうじっとしてはいられません。どうかして、ながもちのかぎをぬすみだして、ながもちの)

もうじっとしてはいられません。どうかして、長持の鍵を盗み出して、長持の

(ふたをあけて、あいてのおんなめをみてやらないではきがすまぬのでございます。)

蓋をあけて、相手の女奴を見てやらないでは気が済まぬのでございます。

(なあに、いざとなったら、くいついてでも、ひっかいてでも、あんなおんなに)

なあに、いざとなったら、くいついてでも、ひっ掻いてでも、あんな女に

(まけてなるものか、もうそのおんながながもちのなかにかくれているときまりでもしたように、)

負けてなるものか、もうその女が長持の中に隠れているときまりでもした様に、

(わたしははぎしりをかんで、よのあけるのをまったものでございます。)

私は歯ぎしりを噛んで、夜のあけるのを待ったものでございます。

(そのよくじつ、かどののてぶんこからかぎをぬすみだすことはあんがいやすやすとせいこういたしました。)

その翌日、門野の手文庫から鍵を盗み出すことは案外易々と成功いたしました。

(そのじぶんには、わたしはもうまるでむちゅうではありましたけれど、それでも、)

その時分には、私はもうまるで夢中ではありましたけれど、それでも、

(じゅうくのこむすめにしましては、みにあまるおおしごとでございました。それまでとても、)

十九の小娘にしましては、身に余る大仕事でございました。それまでとても、

(ねむられぬよるがつづき、さぞかしかおいろもあおざめ、からだもやせほそっていたことで)

眠られぬ夜が続き、さぞかし顔色も青ざめ、身体も痩せ細っていたことで

など

(ありましょう。さいわいごりょうしんとははなれたへやにおきふししていましたのと、)

ありましょう。幸い御両親とは離れた部屋に起き伏していましたのと、

(おっとのかどのは、あのひとじしんのことでむちゅうになっていましたのとで、その)

夫の門野は、あの人自身のことで夢中になっていましたのとで、その

(はんつきばかりのあいだを、あやしまれもせずすごすことができたのでございます。さて、)

半月ばかりの間を、怪しまれもせず過ごすことが出来たのでございます。さて、

(かぎをもって、ひるまでもうすぐらい、つめたいつちのにおいのする、どぞうのなかへ)

鍵を持って、昼間でも薄暗い、冷たい土の匂いのする、土蔵の中へ

(しのびこんだときのきもち、それがまあ、どんなでございましたか。よくまああのような)

忍び込んだ時の気持、それがまあ、どんなでございましたか。よくまああの様な

(まねができたものだと、いまおもえば、いっそふしぎなきもするのでございます。)

真似が出来たものだと、今思えば、一そ不思議な気もするのでございます。

(ところがかぎをぬすみだすまえでしたか、それともくらのにかいへあがりながらで)

ところが鍵を盗み出す前でしたか、それとも蔵の二階へ上りながらで

(ありましたか、ちぢにみだれるこころのうちで、わたしはふとこっけいなことをかんがえたもので)

ありましたか、千々に乱れる心の中で、わたしはふと滑稽なことを考えたもので

(ございます。どうでもよいことではありますけれど、ついでにもうしあげて)

ございます。どうでもよいことではありますけれど、ついでに申上げて

(おきましょうか。それは、せんじつからのあのはなしごえは、もしやかどのがひとりで、こわいろを)

置きましょうか。それは、先日からのあの話声は、もしや門野が独で、声色を

(つかっていたのではないかといううたがいでございました。まるでおとしばなしのような)

使っていたのではないかという疑いでございました。まるで落し話の様な

(そうぞうではありますが、たとえばしょうせつをかきますためとか、おしばいをえんじますため)

想像ではありますが、例えば小説を書きますためとか、お芝居を演じますため

(とかに、ひとにきこえないくらのにかいで、そっとせりふのやりとりをけいこして)

とかに、人に聞えない蔵の二階で、そっとせりふのやり取りを稽古して

(いらしったのではあるまいか、そして、ながもちのなかにはおんななぞではなくて、)

いらしったのではあるまいか、そして、長持の中には女なぞではなくて、

(ひょっとしたら、しばいのいしょうでもかくしてあるのではないか、というとほうもない)

ひょっとしたら、芝居の衣裳でも隠してあるのではないか、という途方もない

(うたがいでございました。ほほほほほほ、わたしはもうのぼせあがっていたので)

疑いでございました。ほほほほほほ、私はもうのぼせ上っていたので

(ございますわね。いしきがこんらんして、ふとそのような、わがみにつごうのよいもうそうが、)

ございますわね。意識が混乱して、ふとその様な、我身に都合のよい妄想が、

(うかびあがるほど、それほどわたしのあたまはみだれきっていたのでございます。なぜと)

浮かび上るほど、それほど私の頭は乱れ切っていたのでございます。なぜと

(もうして、あのむつごとのいみをかんがえましても、そのようなばかばかしいこわいろをつかうひとが)

申して、あの睦言の意味を考えましても、その様な馬鹿馬鹿しい声色を使う人が

(どこのせかいにあるものでございますか。)

どこの世界にあるものでございますか。

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