人でなしの恋14

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江戸川乱歩『人でなしの恋』
編集の都合上、一部読点を省いています。

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問題文

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(しち)

(かどのけはまちでもしられたきゅうかだものですから、くらのにかいには、せんぞいらいのさまざまの)

門野家は町でも知られた旧家だものですから、蔵の二階には、先祖以来の様々の

(ふるめかしいしなじなが、まるでこっとうやのみせさきのようにならんでいるのでございます。)

古めかしい品々が、まるで骨董屋の店先の様に並んでいるのでございます。

(さんぽうのかべにはいまもうすにぬりのながもちが、ずらりとならび、いっぽうのすみには、むかしふうの)

三方の壁には今申す丹塗りの長持が、ズラリと並び、一方の隅には、昔風の

(たてにながいほんばこが、いつつむっつ、そのうえには、ほんばこにはいりきらぬきびょうし、あおびょうしが、)

縦に長い本箱が、五つ六つ、その上には、本箱に入り切らぬ黄表紙、青表紙が、

(むしのくったせなかをみせて、ほこりまみれにつみかさねてあります。たなのうえには、)

虫の食った背中を見せて、ほこりまみれに積み重ねてあります。棚の上には、

(ふるびたじくもののはこだとか、おおきなもんのついたりょうがけ、つづらのたぐい、ふるめかしい)

古びた軸物の箱だとか、大きな紋のついた両掛け、葛籠の類、古めかしい

(とうきるい、それらにまじって、いようにめをひきますのは、おはぐろのどうぐだという、)

陶器類、それらに混って、異様に目を惹きますのは、鉄漿の道具だという、

(きょだいなおわんのようなぬりもの、ぬりだらい、それにはみな、ねんすうがたってあかくなっては)

巨大なお椀の様な塗物、塗り盥、それには皆、年数がたって赤くなっては

(いますけれど、いちいちきんもんがまきえになっているのでございます。それからいちばん)

いますけれど、一々金紋が蒔絵になっているのでございます。それから一番

(ぶきみなのは、かいだんをのぼったすぐのところに、まるでいきたにんぎょうのようによろいびつのうえに)

不気味なのは、階段を上ったすぐの所に、まるで生きた人形の様に鎧櫃の上に

(こしかけている、ふたつのかざりぐそく、ひとつはくろいとおどしのいかめしいので、もうひとつは)

腰かけている、二つの飾り具足、一つは黒糸縅のいかめしいので、もう一つは

(あれがひおどしともうすのでしょうか、くろずんで、ところどころいとがきれてはいましたけれど、)

あれが緋縅と申すのでしょうか、黒ずんで、所々糸が切れてはいましたけれど、

(それがむかしは、ひのようにもえて、さぞかしりっぱなものだったのでございましょう。)

それが昔は、火の様に燃えて、さぞかし立派なものだったのでございましょう。

(かぶともちゃんといただいて、それにはなからしたをおおう、あのおそろしいてつのめんまでも)

兜もちゃんと頂いて、それに鼻から下を覆う、あの恐ろしい鉄の面までも

(そろっているのでございます。ひるでもうすぐらいくらのなかで、それをじっとみていますと)

揃っているのでございます。昼でも薄暗い蔵の中で、それをじっと見ていますと

(いまにもこて、すねあてがうごきだして、ちょうどあたまのうえにかけてある、おおみのやりを)

今にも籠手、脛当が動き出して、丁度頭の上に懸けてある、大身の槍を

(とるかともおもわれ、いきなりきゃっとさけんで、にげだしたいきもちさえいたすので)

取るかとも思われ、いきなりキャッと叫んで、逃げ出したい気持さえいたすので

(ございます。ちいさなまどから、かなあみをこして、あわいあきのひかりがさしてはいますけれど)

ございます。小さな窓から、金網を越して、淡い秋の光がさしてはいますけれど

(そのまどがあまりにちいさいため、くらのなかは、すみのほうになると、よるのようにくらく、)

その窓があまりに小さいため、蔵の中は、隅の方になると、夜の様に暗く、

など

(そこにまきえだとか、かなぐだとかいうものだけが、ちみもうりょうのめのように、あやしく、)

そこに蒔絵だとか、金具だとかいうものだけが、魑魅魍魎の目の様に、怪しく、

(にぶく、ひかっているのでございます。そのなかで、あのいきりょうのもうそうをおもいだしでも)

鈍く、光っているのでございます。その中で、あの生霊の妄想を思い出しでも

(しようものなら、おんなのみで、どうまあしんぼうができましょう。そのこわさおそろしさを)

しようものなら、女の身で、どうまあ辛抱が出来ましょう。その怖さ恐ろしさを

(やっとこたえて、ともかくも、ながもちをひらくことができましたのは、やっぱり、)

やっと堪えて、兎も角も、長持を開くことが出来ましたのは、やっぱり、

(こいというくせもののつよいちからでございましょうね。まさかそんなことがとおもいながら、)

恋という曲者の強い力でございましょうね。まさかそんなことがと思いながら、

(でもなんとなくうすきみわるくて、ひとつひとつながもちのふたをひらくときには、からだじゅうから)

でも何となく薄気味悪くて、一つ一つ長持の蓋を開く時には、からだ中から

(つめたいものがにじみだし、はっといきもとまるおもいでございました。ところが、)

冷いものがにじみ出し、ハッと息も止まる思いでございました。ところが、

(そのふたをもちあげて、まるでかんおけのなかでものぞくきで、おもいきって、ぐっと)

その蓋を持上げて、まるで棺桶の中でも覗く気で、思い切って、グッと

(くびをいれてみますと、よきしていましたとおり、あるいはよきにはんして、どれもこれも)

首を入れて見ますと、予期していました通り、或は予期に反して、どれもこれも

(ふるめかしいいるいだとか、やぐ、うつくしいぶんこるいなどがはいっているばかりで、)

古めかしい衣類だとか、夜具、美しい文庫類などが入っているばかりで、

(なんのうたがわしいものもでてはこないのでございます。でも、あのきまったように)

何の疑わしいものも出ては来ないのでございます。でも、あの極った様に

(きこえてきた、ふたのしまるおと、じょうまえのおりるおとは、いったいなにをいみする)

聞えて来た、蓋のしまる音、錠前のおりる音は、一体何を意味する

(のでありましょう。おかしい、おかしいとおもいながら、ふとめにとまったのは、)

のでありましょう。おかしい、おかしいと思いながら、ふと目にとまったのは、

(さいごにひらいたながもちのなかに、いくつかのしらきのはこがつみかさなっていて、そのおもてに、)

最後に開いた長持の中に、幾つかの白木の箱がつみ重なっていて、その表に、

(ゆかしいおいえりゅうで「おひなさま」だとか「ごにんばやし」だとか「さんにんじょうご」だとか、)

床しいお家流で「お雛様」だとか「五人囃子」だとか「三人上戸」だとか、

(かきしるしてある、ひなにんぎょうのはこでございました。わたしは、どこにもあやしいものが)

書き記してある、雛人形の箱でございました。私は、どこにも怪しいものが

(いないことをたしかめて、いくらかあんしんしていたのでもありましょう、そのさいながら)

いないことを確めて、いくらか安心していたのでもありましょう、その際ながら

(おんならしいこうきしんから、ふとそれらのはこをあけてみるきになりました。)

女らしい好奇心から、ふとそれらの箱を開けて見る気になりました。

(ひとつひとつそとにとりだして、これがおひなさま、これがさこんのさくら、うこんのたちばなと、)

一つ一つ外に取り出して、これがお雛様、これが左近の桜、右近の橘と、

(みていくにしたがって、そこに、しょうのうのにおいといっしょに、なんともふるめかしく、)

見て行くに従って、そこに、樟脳の匂いと一緒に、何とも古めかしく、

(ものなつかしいきもちがただよって、むかしもののきめのこまやかなにんぎょうのはだが、いつとなく、)

物懐かしい気持が漂って、昔物のきめの濃やかな人形の肌が、いつとなく、

(わたしをゆめのくにへいざなっていくのでございました。わたしはそうして、しばらくのあいだは、)

私を夢の国へ誘って行くのでございました。私はそうして、暫くの間は、

(ひなにんぎょうでむちゅうになっていましたが、やがてふときがつきますと、ながもちのいっぽうの)

雛人形で夢中になっていましたが、やがてふと気がつきますと、長持の一方の

(がわに、ほかのとはちがって、さんしゃくいじょうもあるようなちょうほうけいのしらきのはこが、さも)

側に、外のとは違って、三尺以上もある様な長方形の白木の箱が、さも

(きちょうひんといったかんじで、おかれてあるのでございます。そのおもてには、おなじく)

貴重品といった感じで、置かれてあるのでございます。その表には、同じく

(おいえりゅうで「はいりょう」としるされてあります。なんであろうと、そっととりだして、)

お家流で「拝領」と記されてあります。何であろうと、そっと取り出して、

(それをひらいてなかのものをひとめみますと、はっとなにかのきにうたれて、わたしはおもわず)

それを開いて中の物を一目見ますと、ハッと何かの気に打たれて、私は思わず

(かおをそむけたのでございます。そして、そのしゅんかんにれいかんというのは、ああした)

顔をそむけたのでございます。そして、その瞬間に霊感というのは、ああした

(ばあいをもうすのでございましょうね、すうじつらいのうたがいが、もう、すっかり)

場合を申すのでございましょうね、数日来の疑いが、もう、すっかり

(とけてしまったのでございます。)

解けてしまったのでございます。

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