白痴 26

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坂口安吾の小説。

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問題文

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(いよいよこのまちのさいごのひだ、いざわはちょっかくした。)

愈々(いよいよ)この街の最後の日だ、伊沢は直覚した。

(はくちをおしいれのなかにいれ、)

白痴を押入の中に入れ、

(いざわはたおるをぶらさげはぶらしをくわえていどばたへでかけたが、)

伊沢はタオルをぶらさげ歯ブラシをくわえて井戸端へでかけたが、

(いざわはそのすうじつまえにらいおんねりはみがきをてにいれ)

伊沢はその数日前にライオン煉歯磨(ねりはみがき)を手に入れ

(ながいあいだわすれていたねりはみがきのくちじゅうにしみわたるそうかいさをなつかしんでいたので、)

長い間忘れていた煉歯磨の口中にしみわたる爽快さをなつかしんでいたので、

(うんめいのひをちょっかくするとどういうわけだかはをみがきかおをあらうきになったが、)

運命の日を直覚するとどういうわけだか歯をみがき顔を洗う気になったが、

(だいいちにそのねりはみがきがとうぜんあるべきばしょからほんのちょっとうごいていただけで)

第一にその煉歯磨が当然あるべき場所からほんのちょっと動いていただけで

(ながいじかん(それはじつにながいじかんにおもわれた)みあたらず、)

長い時間(それは実に長い時間に思われた)見当らず、

(ようやくそれをみつけるとこんどは)

ようやくそれを見附けると今度は

(せっけん(このせっけんもほうこうのあるむかしのけしょうせっけん)がこれもちょっと)

石鹸(この石鹸も芳香のある昔の化粧石鹸)がこれもちょっと

(ばしょがうごいていただけでながいじかんみあたらず、ああおれはあわてているな、)

場所が動いていただけで長い時間見当らず、ああ俺は慌てているな、

(おちつけ、おちつけ、あたまをとだなにぶつけたりつくえにつまずいたり、)

落着け、落着け、頭を戸棚にぶつけたり机につまずいたり、

(そのためにかれはざんじのあいだいっさいのうごきとしねんをちゅうぜつさせて)

そのために彼は暫時の間一切の動きと思念を中絶させて

(せいしんとういつをはかろうとするが、)

精神統一をはかろうとするが、

(しんたいじたいがほんのうてきにあわてだしてすべりうごいていくのである。)

身体自体が本能的に慌てだして滑り動いて行くのである。

(ようやくせっけんをみつけだしていどばたへでると)

ようやく石鹸を見つけだして井戸端へ出ると

(したてやふうふがはたけのすみのぼうくうごうへにもつをなげこんでおり、)

仕立屋夫婦が畑の隅の防空壕へ荷物を投げこんでおり、

(あひるによくにたやねうらのむすめがにもつをぶらさげてうろうろしていた。)

家鴨によく似た屋根裏の娘が荷物をブラさげてうろうろしていた。

(いざわはともかくねりはみがきとせっけんをだんねんせずにつきとめたしつようさをしゅくふくし、)

伊沢はともかく煉歯磨と石鹸を断念せずに突きとめた執拗さを祝福し、

(はたしてこのよるのうんめいはどうなるのだろうとおもった。)

果してこの夜の運命はどうなるのだろうと思った。

など

(まだかおをふきおわらぬうちにこうしゃほうがなりはじめ、あたまをあげると、)

まだ顔をふき終らぬうちに高射砲がなりはじめ、頭をあげると、

(もうずじょうにじゅうなんぼんのしょうくうとうがいりみだれてまうえをさしてさわいでおり、)

もう頭上に十何本の照空燈が入りみだれて真上をさして騒いでおり、

(こうぼうのまんなかにべいきがぽっかりういている。)

光芒(こうぼう)のまんなかに米機がぽっかり浮いている。

(つづいていっき、またいっき、ふとめをかほうへおろしたら、)

つづいて一機、また一機、ふと目を下方へおろしたら、

(もうえきまえのほうがくがひのうみになっていた。)

もう駅前の方角が火の海になっていた。

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