白痴 33

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坂口安吾の小説。

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問題文

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(ねむくなったとおんながいい、)

ねむくなったと女が言い、

(わたしつかれたのとか、あしがいたいのとか、めもいたいのとかのつぶやきのうち)

私疲れたのとか、足が痛いのとか、目も痛いのとかの呟きのうち

(みっつにひとつぐらいはわたしねむりたいの、といった。)

三つに一つぐらいは私ねむりたいの、と言った。

(ねむるがいいさ、といざわはおんなをふとんにくるんでやり、)

ねむるがいいさ、と伊沢は女を蒲団にくるんでやり、

(たばこにひをつけた。)

煙草に火をつけた。

(なんぼんめかのたばこをすっているうちに、)

何本目かの煙草を吸っているうちに、

(とおくかなたにかいじょのけいほうがなり、)

遠く彼方に解除の警報がなり、

(すうにんのじゅんさがむぎばたけのなかをあるいてかいじょをしらせていた。)

数人の巡査が麦畑の中を歩いて解除を知らせていた。

(かれらのこえはいちようにつぶれ、にんげんのこえのようではなかった。)

彼等の声は一様につぶれ、人間の声のようではなかった。

(かまたしょかんないのものはやぐちこくみんがっこうがやけのこったからあつまれ、とふれている。)

蒲田署管内の者は矢口国民学校が焼け残ったから集れ、とふれている。

(ひとびとがはたけのうねからおきあがり、こくどうへおりた。)

人々が畑の畝(うね)から起き上り、国道へ下りた。

(こくどうはふたたびひとのなみだった。)

国道は再び人の波だった。

(しかし、いざわはうごかなかった。かれのまえにもじゅんさがきた。)

然し、伊沢は動かなかった。彼の前にも巡査がきた。

(「そのひとはなにかね。けがをしたのかね」)

「その人は何かね。怪我をしたのかね」

(「いいえ、つかれて、ねているのです」)

「いいえ、疲れて、ねているのです」

(「やぐちこくみんがっこうをしっているかね」)

「矢口国民学校を知っているかね」

(「ええ、ひとやすみして、あとからいきます」)

「ええ、一休みして、あとから行きます」

(「ゆうきをだしたまえ。これしきのことに」)

「勇気をだしたまえ。これしきのことに」

(じゅんさのこえはもうつづかなかった。)

巡査の声はもう続かなかった。

(じゅんさのすがたはきえさり、ぞうきばやしのなかにはとうとうふたりのにんげんだけがのこされた。)

巡査の姿は消え去り、雑木林の中にはとうとう二人の人間だけが残された。

など

(ふたりのにんげんだけが  けれどもおんなはやはりただひとつのにくかいにすぎないではないか。)

二人の人間だけがけれども女は矢張りただ一つの肉塊にすぎないではないか。

(おんなはぐっすりねむっていた。)

女はぐっすりねむっていた。

(すべてのひとびとがいまやきあとのけむりのなかをあるいている。)

凡(すべ)ての人々が今焼跡の煙の中を歩いている。

(すべてのひとびとがいえをうしない、そしてみなあるいている。)

全ての人々が家を失い、そして皆な歩いている。

(ねむりのことをかんがえてすらいないであろう。)

眠りのことを考えてすらいないであろう。

(いまねむることができるのは、しんだにんげんとこのおんなだけだ。)

今眠ることができるのは、死んだ人間とこの女だけだ。

(しんだにんげんはふたたびめざめることがないが、このおんなはやがてめざめ、)

死んだ人間は再び目覚めることがないが、この女はやがて目覚め、

(そしてめざめることによってねむりこけたにくかいに)

そして目覚めることによって眠りこけた肉塊に

(なにものをつけくわえることもありえないのだ。)

何物を附け加えることも有り得ないのだ。

(おんなはかすかであるがいままでききおぼえのないいびきこえをたてていた。)

女は微かであるが今まで聞き覚えのない鼾(いびき)声をたてていた。

(それはぶたのなきごえににていた。)

それは豚の鳴声に似ていた。

(まったくこのおんなじたいがぶたそのものだといざわはおもった。)

まったくこの女自体が豚そのものだと伊沢は思った。

(そしてかれはこどものころのちいさなきおくのだんぺんをふとおもいだしていた。)

そして彼は子供の頃の小さな記憶の断片をふと思いだしていた。

(ひとりのがきだいしょうのめいれいでじゅうなんにんかのこどもたちがこぶたをおいまわしていた。)

一人の餓鬼大将の命令で十何人かの子供たちが仔豚を追いまわしていた。

(おいつめて、がきだいしょうはじゃっくないふでいくらかのぶたのしりにくをきりとった。)

追いつめて、餓鬼大将はジャックナイフでいくらかの豚の尻肉を切りとった。

(ぶたはいたそうなかおもせず、とくべつのなきごえもたてなかった。)

豚は痛そうな顔もせず、特別の鳴声もたてなかった。

(しりのにくをきりとられたこともしらないように、)

尻の肉を切りとられたことも知らないように、

(ただにげまわっているだけだった。)

ただ逃げまわっているだけだった。

(いざわはべいぐんがじょうりくしてじゅうほうだんがはっぽうにうなりこんくりーとのびるがふきとび、)

伊沢は米軍が上陸して重砲弾が八方に唸りコンクリートのビルが吹きとび、

(ずじょうにべいきがきゅうこうかしてきじゅうそうしゃをくわえるしたで、)

頭上に米機が急降下して機銃掃射を加える下で、

(つちけむりとくずれたびるとあなのあいだをころげまわって)

土煙りと崩れたビルと穴の間を転げまわって

(にげあるいているじぶんとおんなのことをかんがえていた。)

逃げ歩いている自分と女のことを考えていた。

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