THE ALFEEについて2

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プレイ回数55難易度(5.0) 2206打 長文

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(thealfeeのれきし2)

THE ALFEEの歴史2

(ぜんかいきゃにおんれこーどから「らぶれたー」で)

前回キャニオン・レコードから「ラブレター」で

(さいでびゅーというはなしまでいたしました。)

再デビューという話までいたしました。

(そこそこうれたこのきょくでしたが、)

そこそこ売れたこの曲でしたが、

(かれらのていめいはまだつづきます。)

彼らの低迷はまだ続きます。

(2きょくめは「おどりこのように」このきょくはうれませんでした。)

2曲めは「踊り子のように」この曲は売れませんでした。

(たんごをきちょうとしたまったくちがうろせんのがっきょくでした。)

タンゴを貴重とした全く違う路線の楽曲でした。

(あるふぃーのおんがくのろせんがめいかくかしていなかったことがげんいんかとおもわれます。)

アルフィーの音楽の路線が明確化していなかったことが原因かと思われます。

(このころのあるふぃーはふぉーくろせんでありましたが、)

この頃のアルフィーはフォーク路線でありましたが、

(すこしはずれたものとかんじてしまいます。)

少し外れたものと感じてしまいます。

(こんめいきは80ねんだいにはいってもつづいていきます。)

混迷期は80年代に入っても続いていきます。

(じぶんたちのおんがくせいをもっていないあるふぃーは)

自分たちの音楽性を持っていないアルフィーは

(あんちゅうもさくをつづけていきます。)

暗中模索を続けていきます。

(そんなかれらにてんきとなるであいがありました。)

そんな彼らに転機となる出会いがありました。

(あれんじゃーのいのうえあきらさんのさんかです。)

アレンジャーの井上鑑さんの参加です。

(あるばむ「さんじゅうし」からさんかしたあれんじゃーです)

アルバム「讃集詩」から参加したアレンジャーです

(このあるばむはけっかからはなすと)

このアルバムは結果から話すと

(めちゃくちゃよいあるばむなんです。)

めちゃくちゃ良いアルバムなんです。

(ただうれなかったんです。)

ただ売れなかったんです。

(かれはらいぶでにんきをえていくのです。)

彼はライブで人気を得ていくのです。

など

(さかざきさんのたくみなわじゅつでにんきdjになったり、)

坂崎さんの巧みな話術で人気DJになったり、

(よしだたくろうさんのがっきょくをあれんじした)

吉田拓郎さんの楽曲をアレンジした

(「しょっく!!takuro23」がわだいとなるなど)

「ショック!!TAKURO23」が話題となるなど

(じぶんたちのおんがくとはべつのところでかつやくするようになっていきます)

自分たちの音楽とは別のところで活躍するようになっていきます

(そんなとき、あれんじゃーのいのうえさんから)

そんな時、アレンジャーの井上さんから

(たかみざわさんに「えれきつかってみたらどう?」とていあんがあります。)

高見沢さんに「エレキ使ってみたらどう?」と提案があります。

(とうじのたかみざわさんは「あこーすてぃっくぎたーを)

当時の高見沢さんは「アコースティックギターを

(もたなければならない」じゅばくにとらわれていました)

持たなければならない」呪縛にとらわれていました

(いのうえさんのひとことで、たかみざわさんはそのじゅばくからとかれます。)

井上さんの一言で、高見沢さんはその呪縛から解かれます。

(そしてじしんのるーつである「ろっく」でしょうぶするけついをします。)

そして自身のルーツである「ロック」で勝負する決意をします。

(1982ねんのあるばむ「doubt,」からえれきをつかいはじめます。)

1982年のアルバム「doubt,」からエレキを使い始めます。

(はげしいろっくしらべではなく、ぽっぷろっくのいろのつよいあるばむです)

激しいロック調ではなく、ポップ・ロックの色の強いアルバムです

(1983ねん1がつ5にちのりりーすあるばむ「alfee」がはつばいとなり。)

1983年1月5日のリリースアルバム「ALFEE」が発売となり。

(ぐるーぷめいもおおもじになります。)

グループ名も大文字になります。

(このあるばむからしんぐるかっとされた「わかれのりつどう(りずむ)」)

このアルバムからシングルカットされた「別れの律動(リズム)」

(で「よるのひっとすたじお」へしゅつえんします。)

で「夜のヒットスタジオ」へ出演します。

(きょくもひっとちゃーとへのなかまいりとなりました。)

曲もヒットチャートへの仲間入りとなりました。

(あるふぃーは「かようろっくろせん」としてはしりはじめます。)

アルフィーは「歌謡ロック路線」として走り始めます。

(1983ねん6がつ21にち「めりーあん」がはつばいされます。)

1983年6月21日「メリーアン」が発売されます。

(このとし「ざべすとてん」のすぽっとらいとでしょうかいされ、)

この年「ザ・ベストテン」のスポットライトで紹介され、

(じょじょにひっとし、「こうはくうたがっせん」にしゅつじょうします。)

徐々にヒットし、「紅白歌合戦」に出場します。

(はーどろっくなのにかようきょくっぽいそれがかれらのおんがくせい。)

ハードロックなのに歌謡曲っぽいそれが彼らの音楽性。

(とうじろっくばんどはてれびしゅつえんをするばんどはすくなかったなかで)

当時ロックバンドはテレビ出演をするバンドは少なかった中で

(かれらはせっきょくてきにてれびにしゅつえんしました。)

彼らは積極的にテレビに出演しました。

(ながねんもさくをつづけてきたかれらはいっきにぜんせいきへとすすんでいきます。)

長年模索を続けてきた彼らは一気に全盛期へと進んでいきます。

(よくねん1984ねん1がつ21にち「ほしぞらのでぃすたんす」のはつばいとなります。)

翌年1984年1月21日「星空のディスタンス」の発売となります。

(あるふぃーさいだいのひっときょくといってもかごんではなものになります。)

アルフィー最大のヒット曲と言っても過言ではなものになります。

(ここからあるふぃーのかいしんげきはすすんでいきます。)

ここからアルフィーの快進撃は進んでいきます。

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