太宰治フォスフォレッスセンス1

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問題文
(「まあ、きれい。おまえ、そのままおうじさまのところへでもおよめにいけるよ。」)
「まあ、綺麗。お前、そのまま王子様のところへでもお嫁に行けるよ。」
(「あら、おかあさん、それはゆめよ。」)
「あら、お母さん、それは夢よ。」
(このふたりのかいわにおいて、いったいどちらがむそうかで、)
この二人の会話に於いて、一体どちらが夢想家で、
(どちらがげんじつかなのであろうか。)
どちらが現実家なのであろうか。
(ははは、ことばのうえではまるでむそうかのようなあんばいだし、)
母は、言葉の上ではまるで夢想家のようなあんばいだし、
(むすめはそのむそうをやぶるようないわゆるげんじつかみたいなことをいっている。)
娘はその夢想を破るような所謂現実家みたいなことを言っている。
(しかし、はははじっさいのところは、そのゆめのかのうせいをみじんもしんじていないからこそ)
しかし、母は実際のところは、その夢の可能性をみじんも信じていないからこそ
(そのようなむそうをやすやすといえるのであって、)
そのような夢想をやすやすと言えるのであって、
(かえってそれをあわててひていするむすめのほうが、)
かえってそれをあわてて否定する娘のほうが、
(もしや、というきたいをもって、)
もしや、という期待を持って、
(そうしてあわててひていしているもののようにおもわれれる。)
そうしてあわてて否定しているもののように思われれる。
(よのげんじつか、むそうかのくべつも、このようにさくざつしているもののごとくに、)
世の現実家、夢想家の区別も、このように錯雑しているものの如くに、
(このごろ、わたしにはおもわれてならぬ。)
この頃、私には思われてならぬ。
(わたしは、このよのなかにいきている。)
私は、この世の中に生きている。
(しかし、それは、わたしのほんのいちぶぶんでしかないのだ。)
しかし、それは、私のほんの一部分でしか無いのだ。
(どうように、きみも、またあのひとも、そのだいぶぶんを、)
同様に、君も、またあのひとも、その大部分を、
(ほかのひとにはぜんぜんわからぬところでいきているにちがいないのだ。)
他のひとには全然わからぬところで生きているに違いないのだ。
(わたしだけのばあいを、れいにとっていうならば、わたしは、このしゃかいと、)
私だけの場合を、例にとって言うならば、私は、この社会と、
(まったくきりはなされたべつのせかいでいきているすうじかんをもっている。)
全く切りはなされた別の世界で生きている数時間を持っている。
(それは、わたしのねむっているあいだのすうじかんである。)
それは、私の眠っている間の数時間である。
(わたしはこのちきゅうの、どこにもぜったいにないうつくしいふうけいを、)
私はこの地球の、どこにも絶対に無い美しい風景を、
(たしかにこのめでみて、しかもなおわすれずにきおくしている。)
たしかにこの眼で見て、しかもなお忘れずに記憶している。
(わたしはわたしのこのにくたいをもって、そのふうけいのなかにあそんだ。)
私は私のこの肉体を以て、その風景の中に遊んだ。
(きおくは、それは、げんじつであろうと、またねむりのうちのゆめであろうと、)
記憶は、それは、現実であろうと、また眠りのうちの夢であろうと、
(そのあざやかさにかわりがないならば、わたしにとって、)
その鮮やかさに変りが無いならば、私にとって、
(おなじようなげんじつではなかろうか。)
同じような現実ではなかろうか。
(わたしは、すいみんのあいだのゆめにおいて、)
私は、睡眠のあいだの夢に於いて、
(あるゆうじんの、もっともうつくしいことばをきいた。)
或る友人の、最も美しい言葉を聞いた。
(また、それにおうずるわたしのことばも、もっともしぜんのりゅうろのかんじのものであった。)
また、それに応ずる私の言葉も、最も自然の流露の感じのものであった。
(またわたしは、ねむりのなかのゆめにおいて、)
また私は、眠りの中の夢に於いて、
(こがれるにょにんから、じつは、というそのひとのほんしんをきいた。)
こがれる女人から、実は、というそのひとの本心を聞いた。
(そうしてわたしは、ねむりからさめても、)
そうして私は、眠りから覚めても、
(やはり、それをわたしのげんじつとしてしんじているのである。)
やはり、それを私の現実として信じているのである。
(むそうか。そのような、わたしのようなにんげんは、むそうかとよばれ、)
夢想家。そのような、私のような人間は、夢想家と呼ばれ、
(あまいだらしないしゅぞくのものとしておおくのひとのちょうしょうとけいべつのまとに)
あまいだらしない種族のものとして多くの人の嘲笑と軽蔑の的に
(されるようであるが、そのわらっているひとに、しかし、わらっているそのおまえも、)
されるようであるが、その笑っているひとに、しかし、笑っているそのお前も、
(わたしにとってはゆめとおなじさ、といったら、そのひとは、どんなかおをするであろうか)
私にとっては夢と同じさ、と言ったら、そのひとは、どんな顔をするであろうか