太宰治 みみずく通信5

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太宰治『みみずく通信』5
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1 饅頭餅美 4849 B 5.1 93.9% 382.5 1983 128 28 2024/10/29
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問題文

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(さきゅうがすこしずつくらくなりました。とおくにてんてんと、さんぽしゃのすがたもみえます。)

砂丘が少しずつ暗くなりました。遠くに点々と、散歩者の姿も見えます。

(ひとのすがたのようではなく、からすのすがたのようでした。このさきゅうは、ねんねんすこしずつ)

人の姿のようでは無く、烏の姿のようでした。この砂丘は、年々すこしずつ

(うみにのまれて、こうたいしているのだそうです。めつぼうのふうけいであります。)

海に呑まれて、後退しているのだそうです。滅亡の風景であります。

(「これあいい。わすれえぬおもいでのひとつだ。」わたしは、きざなことをいいました。)

「これあいい。忘れ得ぬ思い出の一つだ。」私は、きざな事を言いました。

(わたしたちはうみとわかれて、にいがたのまちのほうへあるいていきました。)

私たちは海と別れて、新潟のまちのほうへ歩いて行きました。

(いつのまにやら、はいごのせいとがじゅうにんいじょうになっていました。にいがたのまちは、)

いつのまにやら、背後の生徒が十人以上になっていました。新潟のまちは、

(しんかいちのかんじでありましたが、けれども、ところどころにふるいはいおくが、)

新開地の感じでありましたが、けれども、ところどころに古い廃屋が、

(とりこわすのもめんどうといったぐあいにおきのこされていて、それをみると、)

取毀すのも面倒といった工合いに置き残されていて、それを見ると、

(ふしぎにぶんかがかんぜられ、さすがにめいじしょねんにさかえたみなとだということが、)

不思議に文化が感ぜられ、流石に明治初年に栄えた港だということが、

(わたしのようなどんかんなりょこうしゃにもわかるのです。よこちょうにはいると、みちのちゅうおうに)

私のような鈍感な旅行者にもわかるのです。横丁にはいると、路の中央に

(ひとまはんくらいのはばのかわがながれています。たいていのよこちょうに、そんなかわが)

一間半くらいの幅の川が流れています。たいていの横丁に、そんな川が

(あるのです。どっちにながれているのか、わからぬほど、ゆっくりしています。)

あるのです。どっちに流れているのか、わからぬほど、ゆっくりしています。

(どぶににています。みずもにごって、ふけつなかんじであります。りょうがんには、かならず)

どぶに似ています。水も濁って、不潔な感じであります。両岸には、必ず

(やなぎがならんでおります。やなぎのきが、かなりおおきく、ぎんざのやなぎよりは、ほんものに)

柳がならんで居ります。柳の木が、かなり大きく、銀座の柳よりは、ほんものに

(ちかいかんじです。「みずきよければうおすまずというが、」わたしは、しだいにだらしないことを)

近い感じです。「水清ければ魚住まずと言うが、」私は、次第にだらしない事を

(おしゃべりするようになりました。「こんなにみずがきたなくても、やっぱりすめない)

おしゃべりするようになりました。「こんなに水が汚くても、やっぱり住めない

(だろうね。」「どじょうがいるでしょう。」せいとのひとりがこたえました。「どじょうが?)

だろうね。」「泥鰌がいるでしょう。」生徒の一人が答えました。「泥鰌が?

(なんだ、しゃれか。」やなぎのしたのどじょうというしゃれのつもりだったのでしょうが、)

なんだ、洒落か。」柳の下の泥鰌という洒落のつもりだったのでしょうが、

(わたしはだじゃれをこのまぬたちですし、それにわかいせいとが、そんなだじゃれをたしょうでも)

私は駄洒落を好まぬたちですし、それに若い生徒が、そんな駄洒落を多少でも

(とくいになっていっているそのしんきょうを、ふがいなくおもいました。)

得意になって言っているその心境を、腑甲斐なく思いました。

など

(いたりやけんにつきました。ここはゆうめいなところらしいのです。きみもあるいは、)

イタリヤ軒に着きました。ここは有名なところらしいのです。君も或いは、

(なまえだけはきいたことがあるかもしれませんが、めいじしょねんになんとかいう)

名前だけは聞いた事があるかも知れませんが、明治初年に何とかいう

(いたりやじんがつくったみせなのだそうです。にかいのほおるに、そのいたりやじんが)

イタリヤ人が創った店なのだそうです。二階のホオルに、そのイタリヤ人が

(にほんのもんぷくをきてとったおおきなしゃしんがかざられてあります。もらえすさんに)

日本の紋服を着て撮った大きな写真が飾られてあります。モラエスさんに

(にています。なんでも、がいこくのさあかすのいちだんいんとしてにほんにきて、)

似ています。なんでも、外国のサアカスの一団員として日本に来て、

(そのさあかすからすてられ、はっぷんしてにいがたでようしょくやをひらきだいせいこうしたのだとか)

そのサアカスから捨てられ、発奮して新潟で洋食屋を開き大成功したのだとか

(いうはなしでした。せいとがじゅうご、ろくにん、それにせんせいがふたり、いっしょにばんごはんを)

いう話でした。生徒が十五、六人、それに先生が二人、一緒に晩ごはんを

(たべました。せいとたちも、だんだんわがままなことをいうようになりました。)

食べました。生徒たちも、だんだんわがままな事を言うようになりました。

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