「堕落論(5)」坂口安吾

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プレイ回数960難易度(3.1) 3193打 長文 かな
青空文庫 図書カード:No.42620
文章は青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)から引用しました。
画像はイメージスタイル (http://www.imgstyle.info/)を利用しています。
タイピングテキスト用に改行を行っています。
仮名の間違えがあるかもしれませんがご了承ください。

No.-- 私(わたくし)
No.18 泡沫(ほうまつ)
No.34 跫音(あしおと)
No.56 轡(くつわ)
No.67 老獪(ろうかい)
No.70 灸(きゅう)

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問題文

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(あのいだいなはかいのもとでは、)

あの偉大な破壊の下では、

(うんめいはあったが、だらくはなかった。)

運命はあったが、堕落はなかった。

(むしんであったが、じゅうまんしていた。)

無心であったが、充満していた。

(もうかをくぐってにげのびてきたひとたちは、)

猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、

(もえかけているいえのそばにむらがって)

燃えかけている家のそばに群がって

(さむさのだんをとっており、おなじひに)

寒さの煖をとっており、同じ火に

(ひっしにしょうかにつとめているひとびとから)

必死に消火につとめている人々から

(いっしゃくはなれているだけで)

一尺離れているだけで

(ぜんぜんべつのせかいにいるのであった。)

全然別の世界にいるのであった。

(いだいなはかい、そのおどろくべきあいじょう。)

偉大な破壊、その驚くべき愛情。

(いだいなうんめい、そのおどろくべきあいじょう。)

偉大な運命、その驚くべき愛情。

(それにくらべれば、)

それに比べれば、

(はいせんのひょうじょうはただのだらくにすぎない。)

敗戦の表情はただの堕落にすぎない。

(だが、だらくということのおどろくべきへいぼんさや)

だが、堕落ということの驚くべき平凡さや

(へいぼんなとうぜんさにくらべると、)

平凡な当然さに比べると、

(あのすさまじいいだいなはかいのあいじょうや)

あのすさまじい偉大な破壊の愛情や

(うんめいにじゅうじゅんなにんげんたちのうつくしさも、)

運命に従順な人間達の美しさも、

(ほうまつのような)

泡沫のような

(むなしいげんえいにすぎないというきもちがする。)

虚しい幻影にすぎないという気持がする。

(とくがわばくふのしそうは)

徳川幕府の思想は

など

(しじゅうしちしをころすことによって)

四十七士を殺すことによって

(えいえんのぎしたらしめようとしたのだが、)

永遠の義士たらしめようとしたのだが、

(よんじゅうななめいのだらくのみは)

四十七名の堕落のみは

(ふせぎえたにしたところで、)

防ぎ得たにしたところで、

(にんげんじたいがつねにぎしからぼんぞくへまた)

人間自体が常に義士から凡俗へ又

(じごくへてんらくしつづけていることを)

地獄へ転落しつづけていることを

(ふせぎうるよしもない。)

防ぎうるよしもない。

(せっぷはじふにまみえず、)

節婦は二夫に見えず、

(ちゅうしんはにくんにつかえず、と)

忠臣は二君に仕えず、と

(きやくをせいていしてみても)

規約を制定してみても

(にんげんのてんらくはふせぎえず、)

人間の転落は防ぎ得ず、

(よしんばしょじょをさしころして)

よしんばショジョを刺し殺して

(そのじゅんけつをたもたしめることにせいこうしても、)

その純潔を保たしめることに成功しても、

(だらくのへいぼんなあしおと、ただうちよせる)

堕落の平凡な跫音、ただ打ちよせる

(なみのようなそのとうぜんなあしおとにきづくとき、)

波のようなその当然な跫音に気づくとき、

(じんいのひしょうさ、じんいによってたもちえた)

人為の卑小さ、人為によって保ち得た

(しょじょのじゅんけつのひしょうさなどは)

ショジョの純潔の卑小さなどは

(ほうまつのごときむなしいげんぞうにすぎないことを)

泡沫の如き虚しい幻像にすぎないことを

(みださずにいられない。)

見出さずにいられない。

(とっこうたいのゆうしはただげんえいであるにすぎず、)

特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、

(にんげんのれきしはやみやとなるところから)

人間の歴史は闇屋となるところから

(はじまるのではないのか。)

始まるのではないのか。

(みぼうじんがしとたることもげんえいにすぎず、)

未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、

(あらたなおもかげをやどすところから)

新たな面影を宿すところから

(にんげんのれきしがはじまるのではないのか。)

人間の歴史が始まるのではないのか。

(そしてあるいはてんのうも)

そして或は天皇も

(ただげんえいであるにすぎず、)

ただ幻影であるにすぎず、

(ただのにんげんになるところから)

ただの人間になるところから

(しんじつのてんのうのれきしが)

真実の天皇の歴史が

(はじまるのかもしれない。)

始まるのかも知れない。

(れきしといういきもののきょだいさとどうように)

歴史という生き物の巨大さと同様に

(にんげんじたいもおどろくほどきょだいだ。)

人間自体も驚くほど巨大だ。

(いきるということは)

生きるという事は

(じつにゆいいつのふしぎである。)

実に唯一の不思議である。

(ろくじゅうしちじゅうのしょうぐんたちがせっぷくもせず)

六十七十の将軍達が切腹もせず

(くつわをならべてほうていにひかれるなどとは)

轡を並べて法廷にひかれるなどとは

(しゅうせんによってはっけんされた)

終戦によって発見された

(そうかんなにんげんずであり、)

壮観な人間図であり、

(にっぽんはまけ、そしてぶしどうはほろびたが、)

日本は負け、そして武士道は亡びたが、

(だらくというしんじつのぼたいによって)

堕落という真実の母胎によって

(はじめてにんげんがたんじょうしたのだ。)

始めて人間が誕生したのだ。

(いきよおちよ、)

生きよ堕ちよ、

(そのせいとうなてじゅんのほかに、)

その正当な手順の外に、

(しんににんげんをすくいえる)

真に人間を救い得る

(べんりなちかみちがありうるだろうか。)

便利な近道が有りうるだろうか。

(わたくしははらきりをこのまない。)

私はハラキリを好まない。

(むかし、まつながだんじょうというろうかいいんうつないんぼうかは)

昔、松永弾正という老獪陰鬱な陰謀家は

(のぶながにおいつめられて)

信長に追いつめられて

(しかたなくしろをまくらにうちじにしたが、しぬちょくぜんに)

仕方なく城を枕に討死したが、死ぬ直前に

(まいにちのしゅうかんどおりえんめいのきゅうをすえ、)

毎日の習慣通り延命の灸をすえ、

(それからてっぽうをかおにおしあて)

それから鉄砲を顔に押し当て

(かおをうちくだいてしんだ。)

顔を打ち砕いて死んだ。

(そのときはななじゅうをすぎていたが、)

そのときは七十をすぎていたが、

(ひとまえでへいきでおんなとたわむれる)

人前で平気で女と戯れる

(あくどいおとこであった。)

悪どい男であった。

(このおとこのしにかたにはどうかんするが、)

この男の死に方には同感するが、

(わたくしははらきりはすきではない。)

私はハラキリは好きではない。

(わたくしはおののきながら、しかし、ほれぼれと)

私は戦きながら、然し、惚れ惚れと

(そのうつくしさにみとれていたのだ。)

その美しさに見とれていたのだ。

(わたくしはかんがえるひつようがなかった。)

私は考える必要がなかった。

(そこにはうつくしいものがあるばかりで、)

そこには美しいものがあるばかりで、

(にんげんがなかったからだ。)

人間がなかったからだ。

(じっさい、どろぼうすらもいなかった。)

実際、泥棒すらもいなかった。

(ちかごろのとうきょうはくらいというが、せんそうちゅうは)

近頃の東京は暗いというが、戦争中は

(しんのやみで、そのくせどんなしんやでも)

真の闇で、そのくせどんな深夜でも

(おいはぎなどのしんぱいはなく、)

オイハギなどの心配はなく、

(くらやみのしんやをあるき、)

暗闇の深夜を歩き、

(とじめなしでねむっていたのだ。)

戸締なしで眠っていたのだ。

(せんそうちゅうのにっぽんはうそのようなりそうきょうで、)

戦争中の日本は嘘のような理想郷で、

(ただむなしいうつくしさがさきあふれていた。)

ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。

(それはにんげんのしんじつのうつくしさではない。)

それは人間の真実の美しさではない。

(そしてもしわれわれが)

そしてもし我々が

(かんがえることをわすれるなら、これほどきらくな)

考えることを忘れるなら、これほど気楽な

(そしてそうかんなみせものはないだろう。)

そして壮観な見世物はないだろう。

(たとえばくだんのたえざるきょうふが)

たとえ爆弾の絶えざる恐怖が

(あるにしても、かんがえることがないかぎり、)

あるにしても、考えることがない限り、

(ひとはつねにきらくであり、ただほれぼれと)

人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと

(みとれておればよかったのだ。)

見とれておれば良かったのだ。

(わたくしはひとりのばかであった。)

私は一人の馬鹿であった。

(もっともむじゃきにせんそうとあそびたわむれていた。)

最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。

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