「堕落論(1)」坂口安吾
画像はイメージスタイル (http://www.imgstyle.info/)を利用しています。
タイピングテキスト用に改行を行っています。
仮名の間違えがあるかもしれませんがご了承ください。
導入の句は万葉集、巻第二十の4373、巻第十八の4094からのようです。
下記のサイトに解説が載っています。参考になさってください。
古典に親しむ(http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/mny2002.htm)
No.-- 私(わたくし)
No.02 醜(しこ)、御楯(みたて)
No.30 大磯(おおいそ)
No.40 真逆様(まっさかさま)
No.69 忠臣孝子(ちゅうしんこうし)
No.77 肝胆(かんたん)※肝胆相照らす
No.79 二君(にくん)※忠臣は二君に仕えず
No.95 古(いにしえ)
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数3867かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数4.8万長文かな316打
-
プレイ回数1.3万長文かな822打
-
プレイ回数8.3万長文744打
-
プレイ回数18長文3856打
問題文
(はんとしのうちにせそうはかわった。)
半年のうちに世相は変った。
(しこのみたてといでたつわれは。)
醜の御楯といでたつ我は。
(おおきみのへにこそしなめかへりみはせじ。)
大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。
(わかものたちははなとちったが、)
若者達は花と散ったが、
(おなじかれらがいきのこってやみやとなる。)
同じ彼等が生き残って闇屋となる。
(ももとせのいのちねがはじいつのひか)
ももとせの命ねがはじいつの日か
(みたてとゆかんきみとちぎりて。)
御楯とゆかん君とちぎりて。
(けなげなしんじょうでおとこをおくったおんなたちも)
けなげな心情で男を送った女達も
(はんとしのつきひのうちに)
半年の月日のうちに
(ふくんのいはいにぬかずくことも)
夫君の位牌にぬかずくことも
(じむてきになるばかりであろうし、)
事務的になるばかりであろうし、
(やがてあらたなおもかげをむねにやどすのも)
やがて新たな面影を胸に宿すのも
(とおいひのことではない。)
遠い日のことではない。
(にんげんがかわったのではない。)
人間が変ったのではない。
(にんげんはがんらいそういうものであり、)
人間は元来そういうものであり、
(かわったのはせそうのじょうひだけのことだ。)
変ったのは世相の上皮だけのことだ。
(むかし、しじゅうしちしのじょめいをはいして)
昔、四十七士の助命を排して
(しょけいをだんこうしたりゆうのひとつは、)
処刑を断行した理由の一つは、
(かれらがいきながらえていきはじをさらし)
彼等が生きながらえて生き恥をさらし
(せっかくのなをけがすものがあらわれてはいけない)
折角の名を汚す者が現れてはいけない
(というろうばしんであったそうな。)
という老婆心であったそうな。
(げんだいのほうりつにこんなにんじょうはそんざいしない。)
現代の法律にこんな人情は存在しない。
(けれどもひとのしんじょうには)
けれども人の心情には
(たぶんにこのけいこうがのこっており、)
多分にこの傾向が残っており、
(うつくしいものをうつくしいままでおわらせたい)
美しいものを美しいままで終らせたい
(ということは)
ということは
(いっぱんてきなしんじょうのひとつのようだ。)
一般的な心情の一つのようだ。
(じゅうすうねんまえだかにどうていしょじょのまま)
十数年前だかにドウテイショジョのまま
(あいのいっしょうをおわらせようとおおいそのどこかで)
愛の一生を終らせようと大磯のどこかで
(しんじゅうしたがくせいとむすめがあったが)
心中した学生と娘があったが
(せじんのどうじょうはおおきかったし、わたくしじしんも、)
世人の同情は大きかったし、私自身も、
(すうねんまえにわたくしときわめてしたしかっためいのひとりが)
数年前に私と極めて親しかった姪の一人が
(にじゅういちのとしにじさつしたとき、)
二十一の年に自殺したとき、
(うつくしいうちにしんでくれてよかったような)
美しいうちに死んでくれて良かったような
(きがした。)
気がした。
(いっけんせいそなむすめであったが、)
一見清楚な娘であったが、
(こわれそうなあぶなさがあり)
壊れそうな危なさがあり
(まっさかさまにじごくへおちるふあんを)
真逆様に地獄へ堕ちる不安を
(かんじさせるところがあって、)
感じさせるところがあって、
(そのいっしょうをせいしするにたえないような)
その一生を正視するに堪えないような
(きがしていたからであった。)
気がしていたからであった。
(このせんそうちゅう、ぶんしはみぼうじんの)
この戦争中、文士は未亡人の
(れんあいをかくことをきんじられていた。)
恋愛を書くことを禁じられていた。
(せんそうみぼうじんをちょうはつだらくさせてはいけない)
戦争未亡人を挑発堕落させてはいけない
(というぐんじんせいじかのこんたんで)
という軍人政治家の魂胆で
(かのじょたちにしとのよせいをおくらせようと)
彼女達に使徒の余生を送らせようと
(ほっしていたのであろう。)
欲していたのであろう。
(ぐんじんたちのあくとくにたいするりかいりょくは)
軍人達の悪徳に対する理解力は
(びんかんであって、)
敏感であって、
(かれらはおんなごころのかわりやすさをしらなかった)
彼等は女心の変り易さを知らなかった
(わけではなく、しりすぎていたので、)
わけではなく、知りすぎていたので、
(こういうきんしこうもくを)
こういう禁止項目を
(あんしゅつにおよんだまでであった。)
案出に及んだまでであった。
(いったいがにっぽんのぶじんはこらい)
いったいが日本の武人は古来
(ふじょしのしんじょうをしらないと)
婦女子の心情を知らないと
(いわれているが、これはひそうのけんかいで、)
言われているが、之は皮相の見解で、
(かれらのあんしゅつしたぶしどうという)
彼等の案出した武士道という
(ぶこつせんばんなほうそくはにんげんのじゃくてんにたいする)
武骨千万な法則は人間の弱点に対する
(ぼうへきがそのさいだいのいみであった。)
防壁がその最大の意味であった。
(ぶしはあだうちのためにくさのねをわけ)
武士は仇討のために草の根を分け
(こじきとなってもあしあとをおいまくらねば)
乞食となっても足跡を追いまくらねば
(ならないというのであるが、)
ならないというのであるが、
(しんにふくしゅうのじょうねつをもってきゅうてきのあしあとを)
真に復讐の情熱をもって仇敵の足跡を
(おいつめたちゅうしんこうしがあったであろうか。)
追いつめた忠臣孝子があったであろうか。
(かれらのしっていたのはあだうちのほうそくと)
彼等の知っていたのは仇討の法則と
(ほうそくにきていされためいよだけで、)
法則に規定された名誉だけで、
(がんらいにっぽんじんはもっともぞうおしんのすくないまた)
元来日本人は最も憎悪心の少い又
(えいぞくしないこくみんであり、)
永続しない国民であり、
(きのうのてきはきょうのともというらくてんせいが)
昨日の敵は今日の友という楽天性が
(じっさいのいつわらぬしんじょうであろう。)
実際の偽らぬ心情であろう。
(きのうのてきとだきょういな)
昨日の敵と妥協否
(かんたんあいてらすのはにちじょうさはんじであり、)
肝胆相照すのは日常茶飯事であり、
(きゅうてきなるがゆえにいっそうかんたんあいてらし、)
仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、
(たちまちにくんにつかえたがるし、)
忽ち二君に仕えたがるし、
(きのうのてきにもつかえたがる。)
昨日の敵にも仕えたがる。
(いきてほりょのはじをうけるべからず、)
生きて捕虜の恥を受けるべからず、
(というが、こういうきていがないとにっぽんじんを)
というが、こういう規定がないと日本人を
(せんとうにかりたてるのはふかのうなので、)
戦闘にかりたてるのは不可能なので、
(われわれはきやくにじゅうじゅんであるが、)
我々は規約に従順であるが、
(われわれのいつわらぬしんじょうは)
我々の偽らぬ心情は
(きやくとぎゃくなものである。)
規約と逆なものである。
(にっぽんせんしはぶしどうのせんしよりも)
日本戦史は武士道の戦史よりも
(けんぼうじゅっすうのせんしであり、)
権謀術数の戦史であり、
(れきしのしょうめいにまつよりも)
歴史の証明にまつよりも
(じがのほんしんをみつめることによって)
自我の本心を見つめることによって
(れきしのからくりをしりえるであろう。)
歴史のカラクリを知り得るであろう。
(きょうのぐんじんせいじかがみぼうじんのれんあいについて)
今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就いて
(しっぴつをきんじたごとく、)
執筆を禁じた如く、
(いにしえのぶじんはぶしどうによってみずからのまた)
古の武人は武士道によって自らの又
(ぶかたちのじゃくてんをおさえるひつようがあった。)
部下達の弱点を抑える必要があった。