「堕落論(3)」坂口安吾
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疑問文中の「(」「)」は除外します。
No.-- 私(わたくし)
No.01 一乗寺下り松(いちじょうじさがりまつ)
No.02 八幡様(はちまんさま)
No.23 聚楽(じゅらく)
No.36 二夫(じふ)、見えず(まみ)
No.47 希う(こいねが)
No.51 曠野(こうや)
No.55 拘らず(かかわ)
No.60 淪落(りんらく)
No.69 戦歿(せんぼつ)
No.71 尚(なお)
No.94 焼夷弾(しょういだん)、戦き(おのの)
No.95 劇しく(はげ)、亢奮(こうふん)
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問題文
(みやもとむさしはいちじょうじさがりまつの)
宮本武蔵は一乗寺下り松の
(はたしじょうへいそぐとちゅう、はちまんさまのまえを)
果し場へ急ぐ途中、八幡様の前を
(とおりかかっておもわずおがみかけて)
通りかかって思わず拝みかけて
(おもいとどまったというが、)
思いとどまったというが、
(われしんぶつをたのまずというかれのきょうくんは、)
吾神仏をたのまずという彼の教訓は、
(このみずからのせいへきにはっし、またむけられた)
この自らのセイヘキに発し、又向けられた
(かいこんぶかいことばであり、われわれはじはつてきには)
悔恨深い言葉であり、我々は自発的には
(ずいぶんばかげたものをおがみ、ただそれを)
ずいぶん馬鹿げたものを拝み、ただそれを
(いしきしないというだけのことだ。)
意識しないというだけのことだ。
(どうがくせんせいはきょうだんで)
道学先生は教壇で
(まずしょもつをおしいただくが、)
先ず書物をおしいただくが、
(かれはそのことにじぶんのいげんとじぶんじしんの)
彼はそのことに自分の威厳と自分自身の
(そんざいすらもかんじているのであろう。)
存在すらも感じているのであろう。
(そしてわれわれもなにかにつけて)
そして我々も何かにつけて
(にたことをやっている。)
似たことをやっている。
(にっぽんじんのごとくけんぼうじゅっすうをこととするこくみんには)
日本人の如く権謀術数を事とする国民には
(けんぼうじゅっすうのためにも)
権謀術数のためにも
(たいぎめいぶんのためにもてんのうがひつようで、)
大義名分のためにも天皇が必要で、
(ここのせいじかはかならずしもそのひつようを)
個々の政治家は必ずしもその必要を
(かんじていなくとも、れきしてきなきゅうかくにおいて)
感じていなくとも、歴史的な嗅覚に於て
(かれらはそのひつようをかんじるよりもみずからのいる)
彼等はその必要を感じるよりも自らの居る
(げんじつをうたぐることがなかったのだ。)
現実を疑ることがなかったのだ。
(ひでよしはじゅらくにぎょうこうをあおいで)
秀吉は聚楽に行幸を仰いで
(みずからせいぎにないていたが、)
自ら盛儀に泣いていたが、
(じぶんのいげんをそれによってかんじると)
自分の威厳をそれによって感じると
(どうじに、うちゅうのかみをそこにみていた。)
同時に、宇宙の神をそこに見ていた。
(これはひでよしのばあいであって、)
これは秀吉の場合であって、
(ほかのせいじかのばあいではないが、)
他の政治家の場合ではないが、
(けんぼうじゅっすうがたとえばあくまのしゅだんにしても、)
権謀術数がたとえば悪魔の手段にしても、
(あくまがようじのごとくにかみをおがむことも)
悪魔が幼児の如くに神を拝むことも
(かならずしもふしぎではない。)
必ずしも不思議ではない。
(どのようなむじゅんもありえるのである。)
どのような矛盾も有り得るのである。
(ようするにてんのうせいというものも)
要するに天皇制というものも
(ぶしどうとどうしゅのもので、)
武士道と同種のもので、
(おんなごころはかわりやすいから)
女心は変り易いから
(せっぷはじふにまみえずという、)
「節婦は二夫に見えず」という、
(きんしじたいはひにんげんてき、)
禁止自体はヒ人間的、
(はんじんせいてきであるけれども、どうさつのしんりに)
反人性的であるけれども、洞察の真理に
(おいてにんげんてきであることとどうように)
於て人間的であることと同様に
(てんのうせいじたいはしんりではなく、)
天皇制自体は真理ではなく、
(またしぜんでもないが、そこにいたるれきしてきな)
又自然でもないが、そこに至る歴史的な
(はっけんやどうさつにおいてかるがるしく)
発見や洞察に於て軽々しく
(ひていしがたいしんこくないみをふくんでおり、)
否定しがたい深刻な意味を含んでおり、
(ただひょうめんてきなしんりや)
ただ表面的な真理や
(しぜんほうそくだけではわりきれない。)
自然法則だけでは割り切れない。
(まったくうつくしいものをうつくしいままで)
まったく美しいものを美しいままで
(おわらせたいなどとこいねがうことは)
終らせたいなどと希うことは
(ちいさなにんじょうで、)
小さな人情で、
(わたくしのめいのばあいにしたところで、)
私の姪の場合にしたところで、
(じさつなどせずいきぬきそしてじごくにおちて)
自殺などせず生きぬきそして地獄に堕ちて
(あんこくのこうやをさまようことを)
暗黒の曠野をさまようことを
(こいねがうべきであるかもしれぬ。)
希うべきであるかも知れぬ。
(げんにわたくしじしんがじぶんにかしたぶんがくのみちとは)
現に私自身が自分に課した文学の道とは
(かかるこうやのるろうであるが、)
かかる曠野の流浪であるが、
(それにもかかわらずうつくしいものをうつくしいままで)
それにも拘らず美しいものを美しいままで
(おわらせたいというちいさなこいねがいを)
終らせたいという小さな希いを
(けしさるわけにもいかぬ。)
消し去るわけにも行かぬ。
(みかんのびはびではない。)
未完の美は美ではない。
(そのとうぜんおちるべきじごくでのへんれきに)
その当然堕ちるべき地獄での遍歴に
(りんらくじたいがびでありうるときにはじめて)
淪落自体が美でありうる時に始めて
(びとよびうるのかもしれないが、)
美とよびうるのかも知れないが、
(にじゅうのしょじょをわざわざろくじゅうのろうしゅうの)
二十のショジョをわざわざ六十の老醜の
(すがたのうえでつねにみつめなければならぬのか。)
姿の上で常に見つめなければならぬのか。
(これはわたくしにはわからない。)
これは私には分らない。
(わたくしはにじゅうのびじょをこのむ。)
私は二十の美女を好む。
(しんでしまえばみもふたもないというが、)
死んでしまえば身も蓋もないというが、
(はたしてどういうものであろうか。)
果してどういうものであろうか。
(はいせんして、けっきょくきのどくなのは)
敗戦して、結局気の毒なのは
(せんぼつしたえいれいたちだ、というかんがえかたも)
戦歿した英霊達だ、という考え方も
(わたくしはすなおにこうていすることができない。)
私は素直に肯定することができない。
(けれども、ろくじゅうすぎたしょうぐんたちがなお)
けれども、六十すぎた将軍達が尚
(せいにれんれんとしてほうていにひかれることを)
生に恋々として法廷にひかれることを
(おもうと、なにがじんせいのみりょくであるか、)
思うと、何が人生の魅力であるか、
(わたくしにはかいもくわからず、しかしおそらくわたくしじしんも、)
私には皆目分らず、然し恐らく私自身も、
(もしもわたくしがろくじゅうのしょうぐんであったなら)
もしも私が六十の将軍であったなら
(やはりせいにれんれんとして)
矢張り生に恋々として
(ほうていにひかれるであろうと)
法廷にひかれるであろうと
(そうぞうせざるをえないので、わたくしはせいという)
想像せざるを得ないので、私は生という
(きっかいなちからにただぼうぜんたるばかりである。)
奇怪な力にただ茫然たるばかりである。
(わたくしはにじゅうのびじょをこのむが、)
私は二十の美女を好むが、
(ろうしょうぐんもまたにじゅうのびじょをこのんでいるのか。)
老将軍も亦二十の美女を好んでいるのか。
(そしてせんぼつのえいれいがきのどくなのも)
そして戦歿の英霊が気の毒なのも
(にじゅうのびじょをこのむいみにおいてであるか。)
二十の美女を好む意味に於てであるか。
(そのようにすがたのめいかくなものなら、)
そのように姿の明確なものなら、
(わたくしはあんしんすることもできるし、そこから)
私は安心することもできるし、そこから
(いちずににじゅうのびじょをおっかけるしんねんすらも)
一途に二十の美女を追っかける信念すらも
(もちうるのだが、いきることは、)
持ちうるのだが、生きることは、
(もっとわけのわからぬものだ。)
もっとわけの分らぬものだ。
(わたくしはちをみることがひじょうにきらいで、)
私は血を見ることが非常に嫌いで、
(いつかわたくしのがんぜんでじどうしゃがしょうとつしたとき、)
いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、
(わたくしはくるりとふりむいてにげだしていた。)
私はクルリと振向いて逃げだしていた。
(けれども、)
けれども、
(わたくしはいだいなはかいがすきであった。)
私は偉大な破壊が好きであった。
(わたくしはばくだんやしょういだんにおののきながら、)
私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、
(きょうぼうなはかいにはげしくこうふんしていたが、)
狂暴な破壊に劇しく亢奮していたが、
(それにもかかわらず、このときほどにんげんを)
それにも拘らず、このときほど人間を
(あいしなつかしんでいたときはないような)
愛しなつかしんでいた時はないような
(おもいがする。)
思いがする。