「堕落論(6)」坂口安吾
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タイピングテキスト用に改行を行っています。
仮名の間違えがあるかもしれませんがご了承ください。
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問題文
(しゅうせんご、)
終戦後、
(われわれはあらゆるじゆうをゆるされたが、)
我々はあらゆる自由を許されたが、
(ひとはあらゆるじゆうをゆるされたとき、)
人はあらゆる自由を許されたとき、
(みずからのふかかいなげんていと)
自らの不可解な限定と
(そのふじゆうさにきづくであろう。)
その不自由さに気づくであろう。
(にんげんはえいえんにじゆうではありえない。)
人間は永遠に自由では有り得ない。
(なぜならにんげんはいきており、)
なぜなら人間は生きており、
(またしなねばならず、)
又死なねばならず、
(そしてにんげんはかんがえるからだ。)
そして人間は考えるからだ。
(せいじじょうのかいかくはいちにちにしておこなわれるが、)
政治上の改革は一日にして行われるが、
(にんげんのへんかはそうはいかない。)
人間の変化はそうは行かない。
(とおくぎりしゃにはっけんされかくりつのいっぽを)
遠くギリシャに発見され確立の一歩を
(ふみだしたじんせいが、こんにち、)
踏みだした人性が、今日、
(どれほどのへんかをしめしているであろうか。)
どれほどの変化を示しているであろうか。
(にんげん。せんそうがどんなすさまじい)
人間。戦争がどんなすさまじい
(はかいとうんめいをもってむかうにしても)
破壊と運命をもって向うにしても
(にんげんじたいをどうなしうるものでもない。)
人間自体をどう為しうるものでもない。
(せんそうはおわった。)
戦争は終った。
(とっこうたいのゆうしはすでにやみやとなり、)
特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、
(みぼうじんはすでにあらたなおもかげによって)
未亡人はすでに新たな面影によって
(むねをふくらませているではないか。)
胸をふくらませているではないか。
(にんげんはかわりはしない。)
人間は変りはしない。
(ただにんげんへもどってきたのだ。)
ただ人間へ戻ってきたのだ。
(にんげんはだらくする。)
人間は堕落する。
(ぎしもせいじょもだらくする。)
義士も聖女も堕落する。
(それをふせぐことはできないし、)
それを防ぐことはできないし、
(ふせぐことによって)
防ぐことによって
(ひとをすくうことはできない。)
人を救うことはできない。
(にんげんはいき、にんげんはおちる。)
人間は生き、人間は堕ちる。
(そのこといがいのなかに)
そのこと以外の中に
(にんげんをすくうべんりなちかみちはない。)
人間を救う便利な近道はない。
(せんそうにまけたからおちるのではないのだ。)
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。
(にんげんだからおちるのであり、)
人間だから堕ちるのであり、
(いきているからおちるだけだ。)
生きているから堕ちるだけだ。
(だがにんげんは)
だが人間は
(えいえんにおちぬくことはできないだろう。)
永遠に堕ちぬくことはできないだろう。
(なぜならにんげんのこころは)
なぜなら人間の心は
(くなんにたいしてこうてつのごとくではありえない。)
苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。
(にんげんはかれんでありぜいじゃくであり、)
人間は可憐であり脆弱であり、
(それゆえおろかなものであるが、)
それ故愚かなものであるが、
(おちぬくためにはよわすぎる。にんげんはけっきょく)
堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局
(しょじょをしさつせずにはいられず、)
ショジョを刺殺せずにはいられず、
(ぶしどうをあみださずにはいられず、)
武士道をあみださずにはいられず、
(てんのうをかつぎださずには)
天皇を担ぎださずには
(いられなくなるであろう。)
いられなくなるであろう。
(だがたにんのしょじょでなしに)
だが他人のショジョでなしに
(じぶんじしんのしょじょをしさつし、)
自分自身のショジョを刺殺し、
(じぶんじしんのぶしどう、)
自分自身の武士道、
(じぶんじしんのてんのうをあみだすためには、)
自分自身の天皇をあみだすためには、
(ひとはただしくおちるみちを)
人は正しく堕ちる道を
(おちきることがひつようなのだ。)
堕ちきることが必要なのだ。
(そしてひとのごとくににっぽんもまた)
そして人の如くに日本も亦
(おちることがひつようであろう。)
堕ちることが必要であろう。
(おちるみちをおちきることによって、)
堕ちる道を堕ちきることによって、
(じぶんじしんをはっけんし、すくわなければならない。)
自分自身を発見し、救わなければならない。
(せいじによるすくいなどは)
政治による救いなどは
(じょうひだけのぐにもつかないものである。)
上皮だけの愚にもつかない物である。