「堕落論(4)」坂口安吾
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タイピングテキスト用に改行を行っています。
仮名の間違えがあるかもしれませんがご了承ください。
No.-- 私(わたくし)
No.10 炸裂(さくれつ)
No.28 憑かれ(つ)
No.48 掩壕(えんごう)
No.60 麹町(こうじまち)
No.69 余燼(よじん)、道玄坂(どうげんざか)
No.76 罹災者(りさいしゃ)、蜿蜒(えんえん)
No.91 爽やか(さわやか)
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問題文
(わたくしはそかいをすすめまたすすんでいなかのじゅうたくを)
私は疎開をすすめ又すすんで田舎の住宅を
(ていきょうしようともうしでてくれたすうにんのしんせつを)
提供しようと申出てくれた数人の親切を
(しりぞけてとうきょうにふみとどまっていた。)
しりぞけて東京にふみとどまっていた。
(おおいひろすけのやけあとのぼうくうごうを、)
大井広介の焼跡の防空壕を、
(さいごのきょてんにするつもりで、そして)
最後の拠点にするつもりで、そして
(きゅうしゅうへそかいするおおいひろすけとわかれたときは)
九州へ疎開する大井広介と別れたときは
(とうきょうからあらゆるともだちを)
東京からあらゆる友達を
(うしなったときでもあったが、)
失った時でもあったが、
(やがてべいぐんがじょうりくし)
やがて米軍が上陸し
(しへんにじゅうほうだんのさくれつするさなかに)
四辺に重砲弾の炸裂するさなかに
(そのぼうくうごうにいきをひそめている)
その防空壕に息をひそめている
(わたくしじしんをそうぞうして、)
私自身を想像して、
(わたくしはそのうんめいをかんじゅし)
私はその運命を甘受し
(まちかまえるきもちになっていたのである。)
待ち構える気持になっていたのである。
(わたくしはしぬかもしれぬとおもっていたが、)
私は死ぬかも知れぬと思っていたが、
(よりおおくいきることを)
より多く生きることを
(かくしんしていたにそういない。)
確信していたに相違ない。
(しかしはいきょにいきのこり、)
然し廃墟に生き残り、
(なにかほうふをもっていたかといえば、)
何か抱負を持っていたかと云えば、
(わたくしはただいきのこることいがいの)
私はただ生き残ること以外の
(なんのもくさんもなかったのだ。)
何の目算もなかったのだ。
(よそうしえぬしんせかいへのふしぎなさいせい。)
予想し得ぬ新世界への不思議な再生。
(そのこうきしんは)
その好奇心は
(わたくしのいっしょうのもっともしんせんなものであり、)
私の一生の最も新鮮なものであり、
(そのきかいなせんどにたいするだいしょうとしても)
その奇怪な鮮度に対する代償としても
(とうきょうにとどまることを)
東京にとどまることを
(かけるひつようがあるというきみょうなじゅもんに)
賭ける必要があるという奇妙な呪文に
(つかれていたというだけであった。)
憑かれていたというだけであった。
(そのくせわたくしはおくびょうで、)
そのくせ私は臆病で、
(しょうわにじゅうねんのしがつよっかというひ、)
昭和二十年の四月四日という日、
(わたくしははじめてししゅうに)
私は始めて四周に
(にじかんにわたるばくげきをけいけんしたのだが、)
二時間にわたる爆撃を経験したのだが、
(ずじょうのしょうめいだんでひるのようにあかるくなった、)
頭上の照明弾で昼のように明るくなった、
(そのときちょうどじょうきょうしていたじけいが)
そのとき丁度上京していた次兄が
(ぼうくうごうのなかからしょういだんかときいた、)
防空壕の中から焼夷弾かと訊いた、
(いやしょうめいだんがおちてくるのだと)
いや照明弾が落ちてくるのだと
(こたえようとしたわたくしは)
答えようとした私は
(いちおうはらにちからをいれたうえでないと)
一応腹に力を入れた上でないと
(こえがぜんぜんでないというじょうたいをしった。また、)
声が全然でないという状態を知った。又、
(とうじにっぽんえいがしゃのしょくたくだったわたくしは)
当時日本映画社の嘱託だった私は
(ぎんざがばくげきされたちょくご、へんたいのらいしゅうを)
銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を
(ぎんざのにちえいのおくじょうでむかえたが、)
銀座の日映の屋上で迎えたが、
(ごかいのたてもののうえにとうがあり、)
五階の建物の上に塔があり、
(このうえにさんだいのかめらがすえてある。)
この上に三台のカメラが据えてある。
(くうしゅうけいほうになるとろじょう、まど、おくじょう、)
空襲警報になると路上、窓、屋上、
(ぎんざからあらゆるひとのすがたがきえ、)
銀座からあらゆる人の姿が消え、
(おくじょうのこうしゃほうじんちすらも)
屋上の高射砲陣地すらも
(えんごうにかくれてひとかげはなく、)
掩壕に隠れて人影はなく、
(ただてんちにろしゅつするひとのすがたは)
ただ天地に露出する人の姿は
(にちえいおくじょうのじゅうめいほどのいちだんのみであった。)
日映屋上の十名程の一団のみであった。
(まずいしかわじまにしょういだんのあめがふり、)
先ず石川島に焼夷弾の雨がふり、
(つぎのへんたいがまうえへくる。)
次の編隊が真上へくる。
(わたくしはあしのちからがぬけさることをいしきした。)
私は足の力が抜け去ることを意識した。
(たばこをくわえてかめらをへんたいにむけている)
煙草をくわえてカメラを編隊に向けている
(にくにくしいほどおちついたかめらまんのすがたに)
憎々しいほど落着いたカメラマンの姿に
(きょうたんしたのであった。)
驚嘆したのであった。
(けれどもわたくしはいだいなはかいをあいしていた。)
けれども私は偉大な破壊を愛していた。
(うんめいにじゅうじゅんなにんげんのすがたは)
運命に従順な人間の姿は
(きみょうにうつくしいものである。)
奇妙に美しいものである。
(こうじまちのあらゆるだいていたくが)
麹町のあらゆる大邸宅が
(うそのようにきえうせてよじんをたてており、)
嘘のように消え失せて余燼をたてており、
(じょうひんなちちとむすめがたったひとつの)
上品な父と娘がたった一つの
(あかがわのとらんくをはさんで)
赤皮のトランクをはさんで
(ほりばたのりょくそうのうえにすわっている。かたがわに)
濠端の緑草の上に坐っている。片側に
(よじんをあげるぼうぼうたるはいきょがなければ、)
余燼をあげる茫々たる廃墟がなければ、
(へいわなぴくにっくと)
平和なピクニックと
(まったくかわるところがない。)
全く変るところがない。
(ここもきえうせてぼうぼう)
ここも消え失せて茫々
(ただよじんをたてているどうげんざかでは、)
ただ余燼をたてている道玄坂では、
(さかのちゅうとにどうやらばくげきのものではなく)
坂の中途にどうやら爆撃のものではなく
(じどうしゃにひきころされたとおもわれる)
自動車にひき殺されたと思われる
(したいがたおれており、)
死体が倒れており、
(いちまいのとたんがかぶせてある。)
一枚のトタンがかぶせてある。
(かたわらにじゅうけんのへいたいがたっていた。)
かたわらに銃剣の兵隊が立っていた。
(いくもの、かえるもの、)
行く者、帰る者、
(りさいしゃたちのえんえんたるながれが)
罹災者達の蜿蜒たる流れが
(まことにただむしんのながれのごとくに)
まことにただ無心の流れの如くに
(したいをすりぬけていきかい、)
死体をすりぬけて行き交い、
(ろじょうのせんけつにもきづくものすらおらず、)
路上の鮮血にも気づく者すら居らず、
(たまさかきづくものがあっても、)
たまさか気づく者があっても、
(すてられたかみくずをみるほどの)
捨てられた紙屑を見るほどの
(かんしんしかしめさない。)
関心しか示さない。
(べいじんたちはしゅうせんちょくごのにっぽんじんは)
米人達は終戦直後の日本人は
(きょだつしほうしんしているといったが、)
虚脱し放心していると言ったが、
(ばくげきちょくごのりさいしゃたちのこうしんは)
爆撃直後の罹災者達の行進は
(きょだつやほうしんとしゅるいのちがった)
虚脱や放心と種類の違った
(おどろくべきじゅうまんとじゅうりょうをもつむしんであり、)
驚くべき充満と重量をもつ無心であり、
(すなおなうんめいのこどもであった。)
素直な運命の子供であった。
(わらっているのはつねにじゅうごろく、)
笑っているのは常に十五六、
(じゅうろくしちのむすめたちであった。)
十六七の娘達であった。
(かのじょたちのえがおはさわやかだった。)
彼女達の笑顔は爽やかだった。
(やけあとをほじくりかえしてやけたばけつへ)
焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ
(ほりだしたせとものをいれていたり、)
掘りだした瀬戸物を入れていたり、
(わずかばかりのにもつのはりばんをして)
わずかばかりの荷物の張番をして
(ろじょうにひなたぼっこをしていたり、)
路上に日向ぼっこをしていたり、
(このとしごろのむすめたちはみらいのゆめでいっぱいで)
この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで
(げんじつなどはくにならないのであろうか、)
現実などは苦にならないのであろうか、
(それともたかいきょえいしんのためであろうか。)
それとも高い虚栄心のためであろうか。
(わたくしはやけのはらに)
私は焼野原に
(むすめたちのえがおをさがすのがたのしみであった。)
娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。