怖い話《村八分》1

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問題文

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(10ねんまえまでわたしはとうほくちほうのむらにすんでいた。)

10年前まで私は東北地方の村に住んでいた。

(わたしのむらはいなかもいなかでこんびになんかはもちろんかふぇもなく、)

私の村は田舎も田舎でコンビニなんかはもちろんカフェもなく、

(いっぽんしかどうろがとおっていないもりのなかにあるようなむらだった。)

一本しか道路が通っていない森の中にあるような村だった。

(わたしとおなじとしのこどもなんかはむらのなかにはおらず、)

私と同じ年の子供なんかは村の中にはおらず、

(がっこうがやすみのひなんかはひとりでげーむをしたりもりのなかや)

学校が休みの日なんかは一人でゲームをしたり森の中や

(きんじょのおばあちゃんのいえがわたしのあそびばで、しょっちゅうひとりであそびまわっていた。)

近所のおばあちゃんの家が私の遊び場で、しょっちゅう一人で遊び回っていた。

(ものおぼえついたころからこうだったのでとくにふまんもいわかんもなくすごしていたし、)

物覚えついた頃からこうだったので特に不満も違和感もなく過ごしていたし、

(むらじゅうのにんげんはぜんいんかぞくのようにわたしにせっしてくれていたので)

村中の人間は全員家族のように私に接してくれていたので

(わたしはこのむらがだいすきだった。)

私はこの村が大好きだった。

(わたしがしょうがっこうだかがくねんにあがったころ、むらにがいぶからnさんといういっかがいじゅうしてきた)

私が小学校高学年に上がった頃、村に外部からNさんという一家が移住してきた

(いっかといってもははとこのふたりかぞくで、もともととうきょうにでていたらしいのだが、)

一家といっても母と子の二人家族で、元々東京に出ていたらしいのだが、

(nははのびょうきをきっかけにのどかでもちいえがあるこのいなかにもどってきたという。)

N母の病気をきっかけにのどかで持ち家があるこの田舎に戻ってきたという。

(もちいえはこのいなかにしてはけっこうりっぱでよくみんながしゅうかいというなののみかいや)

持ち家はこの田舎にしては結構立派でよくみんなが集会という名の飲み会や

(おちゃかいのかいじょうとしてつかっていたのでわたしもよくははにつれられていったものだった。)

お茶会の会場として使っていたので私もよく母に連れられて行ったものだった。

(そのせいかははやちちやきんじょのおばさんが)

そのせいか母や父や近所のおばさんが

(「なんでいまさらもどってきたんだ」とかげでうわさしているのをなんどかきいたのをおぼえている)

「何で今更戻ってきたんだ」と陰で噂しているのを何度か聞いたのを覚えている

(nさんはおだやかでとてもいいひとだった。)

Nさんは穏やかでとてもいい人だった。

(むらではひかくてきわかくて(たぶん40さいてまえくらい?)しんざんしゃだったためか)

村では比較的若くて(多分40歳手前くらい?)新参者だった為か

(くさむしりやおもたいにもつのうんぱんやむらのざつむをかなりのひんどでたのまれていたが)

草むしりや重たい荷物の運搬や村の雑務をかなりの頻度で頼まれていたが

(いやなかおひとつせずいつもえがおでこなしていた。)

嫌な顔一つせずいつも笑顔でこなしていた。

など

(nさんがいじゅうしてきてさんかげつほどたったころ、)

Nさんが移住してきて三か月程経った頃、

(わたしががっこうからかえっていると、うしろからくらくしょんがならされた。)

私が学校から帰っていると、後ろからクラクションが鳴らされた。

(「わたしちゃん!」くるまのなかにはnさんがいて)

「私ちゃん!」車の中にはNさんがいて

(「あるくとたいへんでしょ?むらまでおくるよ?」といってくれた。)

「歩くと大変でしょ?村まで送るよ?」と言ってくれた。

(わたしのいえからがっこうまではこどものあしだと1じかんほどかかるみちのりだったのだ。)

私の家から学校までは子供の足だと1時間程かかる道のりだったのだ。

(りょうしんやむらのにんげんはあまりnさんをよくおもっていないとこどもこころにわかっていたが)

両親や村の人間はあまりNさんをよく思っていないと子供心に分かっていたが

(わたしはいつもにこにこしていてどことなくちてきなnさんがすきだったので)

私はいつもニコニコしていてどことなく知的なNさんが好きだったので

(すぐにおくってもらうことにした。)

すぐに送ってもらう事にした。

(くるまのなかでnさんはいろいろなはなしをしてくれた。)

車の中でNさんは色々な話をしてくれた。

(いまはやっているげーむやとうきょうでのくらしのこと、けいたいでんわやしんかんせんやひこうきなど)

今はやっているゲームや東京での暮らしの事、携帯電話や新幹線や飛行機など

(てれびでしかみたことのないわたしにとってはゆめものがたりのさまでとってもしげきてきだった。)

テレビでしか見た事のない私にとっては夢物語の様でとっても刺激的だった。

(またnさんのいえにはさいしんのげーむきがあり、)

またNさんの家には最新のゲーム機があり、

(なんとうちにこてあそんでもいいよといわれたのですごくこうふんしたものだ。)

なんと家に来て遊んでもいいよと言われたので凄く興奮したものだ。

(それからというもの、みちであるときはかならずむらまでおくってもらい、)

それからというもの、道である時は必ず村まで送ってもらい、

(やすみのひはnさんのいえでおかしをいただきながらげーむをする)

休みの日はNさんの家でお菓子を頂きながらゲームをする

(というのがわたしのるーてぃーんになった。)

というのが私のルーティーンになった。

(じぶんのいえとちがってnさんけにはうるさいりょうしんもいないし、)

自分の家と違ってNさん家にはうるさい両親もいないし、

(ふきんしんだがnさんのおかあさんもねたきりで)

不謹慎だがNさんのお母さんも寝たきりで

(ほとんどゆかからでてこないのできをつかわずにすごせるし、)

ほとんど床から出てこないので気を使わずに過ごせるし、

(しょうじきしょうがくせいのわたしにとってはてんごくみたいなばしょだった。)

正直小学生の私にとっては天国みたいな場所だった。

(もちろんわたしのりょうしんもしっていたが、ちちが)

勿論私の両親も知っていたが、父が

(「そともんとげーむばっかしてばかになるぞ」といってくるぐらいで)

「外もんとゲームばっかして馬鹿になるぞ」と言ってくるぐらいで

(そこまでうるさくちゅういすることもなかった。あのときまでは・・・)

そこまでうるさく注意する事もなかった。あの時までは・・・

(そのひむらではしゅうかいというなののみかいがひらかれてた、かいじょうはもちろんnさんたく)

その日村では集会という名の飲み会が開かれてた、会場は勿論Nさん宅

(nさんはたいりょうのおさけをはんぶんむりやり、むらのにんげんにのまされつぶされてしまったようで)

Nさんは大量のお酒を半分無理矢理、村の人間に飲まされ潰されてしまった様で

(かえってきたちちがまんぞくそうなかおで)

帰ってきた父が満足そうな顔で

(「とうきょうもんははなしにならん!おれらをさしおいてつぶれてねちまったがははは」)

「東京もんは話にならん!俺らを差し置いて潰れて寝ちまったガハハハ」

(とわらっていた、よくじつむらはおおさわぎになった。)

と笑っていた、翌日村は大騒ぎになった。

(なんとそのひnさんはそんちょうをくるまでびょういんにおくっていくというやくそくをしていたのだが、)

何とその日Nさんは村長を車で病院に送っていくという約束をしていたのだが、

(ぜんじつのふかざけがたたったのかねぼうをしてしまったのだという。)

前日の深酒がたたったのか寝坊をしてしまったのだという。

(このむらではそんちょうはいちばんのいわばけんりょくしゃのようなもので)

この村では村長は一番のいわば権力者の様なもので

(ものすごいけんまくでどなりこんでいったそうだ。)

物凄い剣幕で怒鳴り込んでいったそうだ。

(ちちがすごいいきおいでいえからでていったのをみて、わたしもすぐについていった。)

父が凄い勢いで家から出て行ったのを見て、私もすぐについて行った。

(「よそものがなめとんのか!」「ひとでなしが!」)

「よそ者が舐めとんのか!」「人でなしが!」

(じゅうすうにんのむらびとがnさんのいえをかこんでばせいをあげていた。)

十数人の村人がNさんの家を囲んで罵声を上げていた。

(およそただねぼうしたひとになげかけるものではないばせいをあびせられたnさんは)

凡そただ寝坊した人に投げかけるものではない罵声を浴びせられたNさんは

(げんかんさきでどげざをしてあやまっていた。)

玄関先で土下座をして謝っていた。

(そのひからnさんいえのいやがらせはいんしつなものになっていった。)

その日からNさん家の嫌がらせは陰湿なものになっていった。

(まずむらびとはてっていしてnさんをむしするようになった。)

まず村人は徹底してNさんを無視するようになった。

(nさんがあいさつしてもむしして)

Nさんが挨拶しても無視して

(「あれーーあほみたいなこえがきこえたな」とけらけらわらったり、)

「あれーーアホみたいな声が聞こえたな」とケラケラ笑ったり、

(あるいているnさんぎりぎりにくるまをちかづけて)

歩いているNさんギリギリに車を近づけて

(「しにたいんかーーー」とさけんだり、およそおとなとおもえないいんしつないやがらせ)

「死にたいんかーーー」と叫んだり、凡そ大人と思えない陰湿な嫌がらせ

(ほんとうになにかにとりつかれたようにむらのみんなでいやがらせをしていた。)

本当に何かに取り憑かれた様に村のみんなで嫌がらせをしていた。

(うちのりょうしんもれいにもれずnさんのわるくちをいっていて)

うちの両親も例に漏れずNさんの悪口を言っていて

(わたしにも「にどとnとくちをきくな!」)

私にも「二度とNと口を聞くな!」

(「くるまにものったらだめ」「いえにもいったらだめ」とものすごいけんまくでいわれ)

「車にも乗ったら駄目」「家にも行ったら駄目」と物凄い剣幕で言われ

(nさんにもちょくせついったみたいでかえりみちnさんのくるまがとおっても)

Nさんにも直接行ったみたいで帰り道Nさんの車が通っても

(わたしがさそわれることはなくなった。)

私が誘われる事はなくなった。

(そしてみんなことあるごとにnさんのいえにいいがかりをつけにいっていて)

そしてみんなことあるごとにNさんの家に言いがかりをつけに行っていて

(nさんはというとあやまるばかりでいかったことがなくまさにむらのみんなの)

Nさんはというと謝るばかりで怒った事がなくまさに村のみんなの

(はけくちにされるがままになっていた。)

はけ口にされるがままになっていた。

(ただそんなnさんがいちどだけわたしのいえでしゅうかいをしているさいに)

ただそんなNさんが一度だけ私の家で集会をしている際に

(のりこんできたことがあった。)

乗り込んできた事があった。

(「わたしのくるまをぱんくさせたのはだれですか?)

「私の車をパンクさせたのは誰ですか?

(くるまがないとしごとへもいけないしわたしのははをびょういんにつれていくこともできません!)

車がないと仕事へも行けないし私の母を病院に連れて行く事も出来ません!

(わたしへのぼうげんはいいですがせいかつにかかわるいたずらをするのはやめてください!)

私への暴言はいいですが生活に関わるイタズラをするのは辞めてください!

(このとおりねぼうのけんはせいいをこめてあやまります!)

この通り寝坊の件は誠意を込めて謝ります!

(わたしはみなさんとなかよくやっていきたいんです!」)

私は皆さんと仲良くやっていきたいんです!」

(するとだれともなく)

すると誰ともなく

(「そんなんしらんぼけええ」)

「そんなん知らんぼけええ」

(「よそもんがひとのせいにするな!いやならむらからでてけ!」)

「よそもんが人のせいにするな!嫌なら村から出てけ!」

(「おまえのははおやがくさいんじゃ!めいわくだからびょういんなんかつれてくな!」)

「お前の母親が臭いんじゃ!迷惑だから病院なんか連れてくな!」

(とよってたかってばせいをあびせはじめた。)

と寄って集って罵声を浴びせ始めた。

(あまりのばりぞうごんにわたしはふるえてないてしまったのをおぼえている。)

あまりの罵詈雑言に私は震えて泣いてしまったのを覚えている。

(nさんもあまりのいわれさまになにもいえずひきかえしていったのだろう。)

Nさんもあまりのいわれ様に何も言えず引き返していったのだろう。

(ちちたちが「ほんまにこんじょうがないのーー」などとかいわをしていた。)

父たちが「ほんまに根性がないのーー」などと会話をしていた。

(それからほどなくしてnさんのははがなくなったのをりょうしんのかいわからしった。)

それからほどなくしてNさんの母が亡くなったのを両親の会話から知った。

(もちろんわたしもおそうしきにさんれつしていないのでくわしいことはわからないが)

勿論私もお葬式に参列していないので詳しい事は分からないが

(どうやらじびょうでなくなったそうだ。)

どうやら持病で亡くなったそうだ。

(こどもこころながらふびんだなとかんじていたが、)

子供心ながら不憫だなと感じていたが、

(そのころからnさんのようすがおかしくなっていった。)

その頃からNさんの様子がおかしくなっていった。

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