ワープロ速度練習5
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問題文
(「とくにもんだいのないふつうのせいとでした」)
「とくに問題のない普通の生徒でした」
(きんねん、せいしょうねんによるじけんのたび、かれらがしょぞくする(した)がっこうが)
近年、青少年による事件のたび、彼らが所属する(した)学校が
(かたるせいとぞうのとくちょう。)
語る生徒像の特徴。
(これは、これまでおこなわれてきたきょういくがどのようなものだったのかを)
これは、これまで行われてきた教育がどのようなものだったのかを
(にょじつにあらわしている。)
如実に表している。
(れきしてきにきょういくげんばやめでぃあは、もんだいをおこすせいとと)
歴史的に教育現場やメディアは、問題を起こす生徒と
(えりーとにたいして、ひっしにひかりをあてながらてをかけてきた。)
エリートに対して、必死に光を当てながら手をかけてきた。
(とうぜんといえばとうぜんかもしれない。)
当然といえば当然かもしれない。
(もんだいをほうちしたらそれこそきょういくげんばはほうかいするし)
問題を放置したらそれこそ教育現場は崩壊するし
(えりーとをおおくはいしゅつすることはがっこうやきょうしの)
エリートを多く輩出することは学校や教師の
(りきりょうのしひょうとなるからだ。)
力量の指標となるからだ。
(しかしいっぽうで、そのりょうしゃにぶんるいされないだいたすうのこどもたちは)
しかし一方で、その両者に分類されない大多数の子どもたちは
(ふつうというわくぐみのもとでとりのこされてきた。)
普通という枠組みのもとで取り残されてきた。
(そのいみで、かれらはそだてられたのではなく)
その意味で、彼らは育てられたのではなく
(そだってしまったともいえるのではないだろうか。)
育ってしまったともいえるのではないだろうか。
(それでもいぜんは、こどもたちのめのまえに「みち」があったから)
それでも以前は、子供たちの目の前に「道」があったから
(まだよかったのだ。)
まだよかったのだ。
(こうどせいちょうきにかくりつしたしゃかいしんわがしめしてくれたみち。)
高度成長期に確立した社会神話が示してくれた道。
(たとえりふじんをかんじても、おややきょうしのいうことにしたがい)
たとえ理不尽を感じても、親や教師の言うことに従い
(いいこうこうにはいり、いいだいがくにはいり、いいきぎょうにいれば)
いい高校に入り、いい大学に入り、いい企業に入れば
(それなりのみらいがてにはいる。というひょうしきがたつみち。)
それなりの未来が手に入る。という標識が立つ道。
(こどもたちはみな、ひっしになってそのみちのごーるをめざした。)
子どもたちはみな、必死になってその道のゴールを目指した。
(ふつうというなのもとでおとなたちからてをさしのべられないこどもにも)
普通という名のもとで大人たちから手を差し伸べられない子どもにも
(どこにむかえばいいのかはばくぜんとみえていた。)
どこに向かえばいいのかは漠然と見えていた。
(しかしばぶるほうかいいこう、こどもたちのめのまえから)
しかしバブル崩壊以降、子どもたちの目の前から
(その「みち」はきえた。)
その「道」は消えた。
(おとなたちのいうことをきいたからといって、)
大人たちの言うことを聞いたからといって、
(あんていしたみらいがほしょうされるわけではない。)
安定した未来が保証されるわけではない。
(ひっしにしんがくをめざしても、あんていしたしゅうにゅうをてにできるほしょうはない。)
必死に進学を目指しても、安定した収入を手にできる保証はない。
(いま、こどもたちは、でぐちのみえないじゅかいのなかをあるいている。)
今、子どもたちは、出口の見えない樹海の中を歩いている。
(そしてそのじゅかいには、さまざまなじょうほうがとびかい)
そしてその樹海には、様々な情報が飛び交い
(たくさんのゆうわくがおちている。)
たくさんの誘惑が落ちている。
(ばくだんのつくりかたさえてにはいるのだ。)
爆弾の作り方さえ手に入るのだ。
(きょういくげんばはあいかわらず、もんだいをおこすこどもとえりーとばかりに)
教育現場は相変わらず、問題を起こす子どもとエリートばかりに
(てをかけている。)
手をかけている。
(かれらにとっておとなたちは、いわばじゅかいのみちあんないにんだ。)
彼らにとって大人たちは、いわば樹海の道案内人だ。
(いっぽう、ふつうというなのもとでとりのこされているこどもたちは)
一方、普通という名のもとで取り残されている子どもたちは
(ほういじしゃくもあたえられずに、ただばくぜんと「がんばれ」といわれるだけ。)
方位磁石も与えられずに、ただ漠然と「頑張れ」と言われるだけ。
(そんなかれらがいま、せいしょうねんもんだいのちゅうしんになっているのだ。)
そんな彼らが今、青少年問題の中心になっているのだ。
(にーとのこどもをもつおやたちはいう。)
ニートの子どもを持つ親たちは言う。
(「むかしはふつうのこどもだったのに」。)
「昔は普通の子どもだったのに」。
(いったいどこにふつうのこどもなんているというのか。)
いったいどこに普通の子どもなんているというのか。
(そんなこどもはどこにもいない。)
そんな子どもはどこにもいない。
(かかわりあるこどもはすべてとくべつなこどもであるはずだ。)
関わりある子どもはすべて特別な子どもであるはずだ。
(いまこそ、それぞれのおとながとうじしゃいしきをもち)
今こそ、それぞれの大人が当事者意識を持ち
(ひとりひとりの「とくべつなこども」とかかわっていかなければならない。)
ひとりひとりの「特別な子ども」と関わっていかなければならない。
(それなくしてふあんのじだいのせいしょうねんもんだいとむきあうことなど)
それなくして不安の時代の青少年問題と向き合うことなど
(できないのだ。)
できないのだ。