【衒学シリーズ】超長文タイピング4

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つまづきの哲学
何もない道でつまずいて人に見られて恥ずかしかった。この小さな出来事から、「自分の体は思い通りにならないこと」「世界はいつも信頼できるとは限らないこと」「人に見られることで恥ずかしさが強くなること」に気づき、深く考えこんだ。

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問題文

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(わたしはきょう、まちかどのいしだたみにおいて、)

私は今日、街角の石畳において、

(なんらぶつりてきしょうがいのそんざいしない)

何ら物理的障害の存在しない

(へいたんなるほどうにて、ふいにあしを)

平坦なる歩道にて、不意に足を

(とられ、つまずいた。そこにだんさ)

とられ、つまずいた。そこに段差

(はなかった。けいしゃもなかった。)

はなかった。傾斜もなかった。

(しかるに、わたしはつまずいたので)

しかるに、私はつまずいたので

(ある。さらにふこうなことに、その)

ある。さらに不幸なことに、その

(しゅんかんをみしらぬだれかにもくげきされ、)

瞬間を見知らぬ誰かに目撃され、

(おもわずめをそらされるという、)

思わず目を逸らされるという、

(としてきかつとくめいてきしゅうちのきょくちに)

都市的かつ匿名的羞恥の極致に

(いたった。)

至った。

(このできごとはいっけんするとさまつに)

この出来事は一見すると瑣末に

(おもえるかもしれない。しかし、わたし)

思えるかもしれない。しかし、私

(はこのぐうぜんにてつがくてきいぎを)

はこの偶然に哲学的意義を

(みいださずにはいられない。なにも)

見出さずにはいられない。何も

(ない「はず」のばしょでつまずくと)

ない「はず」の場所でつまずくと

(いうじしょうには、われわれのしゅたいせいの)

いう事象には、我々の主体性の

(げんかい、ちかくとじつぞんとのかいり、)

限界、知覚と実存との乖離、

(そしてたしゃのまなざしのぼうりょくせい)

そして他者のまなざしの暴力性

(というみっつのもんだいけいがひそんでいる。)

という三つの問題系が潜んでいる。

など

(まずだいいちに、われわれはつねにせかいを)

まず第一に、我々は常に世界を

(「しっている」とおもいこんであるい)

「知っている」と思い込んで歩い

(ている。しかくとけいけんのそうわが、)

ている。視覚と経験の総和が、

(つぎのいっぽのよそくをかのうにしている。)

次の一歩の予測を可能にしている。

(しかし、まさにその「しっている)

しかし、まさにその「知っている

(はず」のじめんが、とつじょとして)

はず」の地面が、突如として

(「しらなかった」にてんじたとき、)

「知らなかった」に転じたとき、

(われわれのしんこうたいけいすなわち)

我々の信仰体系すなわち

(ごうりてきにんしきへのしんらいははたんする。)

合理的認識への信頼は破綻する。

(わたしはみずからのしんたいをしはいしている)

私は自らの身体を支配している

(とおもっていた。だが、あしもとのくうきょ)

と思っていた。だが、足元の空虚

(により、みずからのにくたいがよきせぬ)

により、自らの肉体が予期せぬ

(うんどうをかいししたとき、わたしのしゅたいせい)

運動を開始したとき、私の主体性

(はいちじてきにしっこうした。)

は一時的に失効した。

(だいにに、このできごとはわれわれのそんざい)

第二に、この出来事は我々の存在

(がほんしつてきにふあんていであることをしめ)

が本質的に不安定であることを示

(さしている。なにもないばしょでつま)

唆している。何もない場所でつま

(ずくということは、われわれがせかいに)

ずくということは、我々が世界に

(「あって」いきているというかんかく)

「合って」生きているという感覚

(はいでがーてきにいえば「せかい)

ハイデガー的に言えば「世界

(ないそんざい(いん・であ・ヴぇると・ざいん)」の)

内存在(In-der-Welt-Sein)」の

(あんていせいが、さっかくであるかのうせい)

安定性が、錯覚である可能性

(をばくろする。せかいはつねにわれわれを)

を暴露する。世界は常に我々を

(うらぎりうる。)

裏切りうる。

(だいさんに、もんだいは「みられた」という)

第三に、問題は「見られた」という

(じじつである。たしゃのまなざしは、)

事実である。他者のまなざしは、

(しばしばじこのりんかくをうかびあが)

しばしば自己の輪郭を浮かび上が

(らせるかがみとなる。わたしはみずからのしったい)

らせる鏡となる。私は自らの失態

(を、じぶんじしんでさえもはあくしきれ)

を、自分自身でさえも把握しきれ

(ぬうちに、すでに「たしゃのきおく」)

ぬうちに、すでに「他者の記憶」

(にくみこまれてしまった。たしゃの)

に組み込まれてしまった。他者の

(しせんは、わたしの「はじ」のしゅんかんをえいえん)

視線は、私の「恥」の瞬間を永遠

(にとじこめるきかんであり、わたしはそ)

に封じ込める器官であり、私はそ

(のきろくばいたいのまえに、むりょくである。)

の記録媒体の前に、無力である。

(つまずきとはたんなるうんどうのしっぱいで)

つまずきとは単なる運動の失敗で

(はない。それは、じことせかい、た)

はない。それは、自己と世界、他

(しゃとしゅたい、ちつじょとぐうぜんのさけめに)

者と主体、秩序と偶然の裂け目に

(おいてしょうじる、てつがくてきな「れっしょう」)

おいて生じる、哲学的な「裂傷」

(なのである。)

なのである。

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