【衒学シリーズ】超長文タイピング5

間違えて「子猫を送って」と入力してしまう。
相手はそれを冗談で受け止め、やりとりが少しずつ柔らかくなっていく。
その偶然から、ふたりの関係は思わぬ方向に動き出す。
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | berry | 7858 | 神 | 7.9 | 98.6% | 335.8 | 2676 | 37 | 80 | 2025/06/05 |
2 | アスダフ | 7603 | 神 | 7.9 | 95.8% | 345.1 | 2742 | 118 | 80 | 2025/06/05 |
3 | cherry | 7596 | 神 | 7.9 | 95.4% | 343.2 | 2736 | 129 | 80 | 2025/06/17 |
4 | あいうえお | 5182 | B+ | 5.7 | 90.5% | 465.2 | 2691 | 280 | 80 | 2025/06/06 |
5 | orange | 4779 | B | 5.1 | 92.5% | 534.8 | 2780 | 224 | 80 | 2025/06/04 |
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問題文
(われわれはひび、)
我々は日々、
(ゆびさきというもっともげんしてきかつもっともしんかしたうんどうきかんをもちいて、)
指先という最も原始的かつ最も進化した運動器官を用いて、
(きかいとのたいわをすいこうしている。)
機械との対話を遂行している。
(かつてひっきぐにいぞんしていたじんるいは、)
かつて筆記具に依存していた人類は、
(いまやがらすばんじょうにひろがるかそうのけんばんをなぞることによって、)
いまやガラス板上に広がる仮想の鍵盤をなぞることによって、
(じこのないぶげんごをがいざいかする。)
自己の内部言語を外在化する。
(そこにはっせいするのが「ごにゅうりょく」である。)
そこに発生するのが「誤入力」である。
(ごにゅうりょくとは、)
誤入力とは、
(いとされたもじれつと、)
意図された文字列と、
(しゅつりょくされたもじれつとのひたいしょうせいからしょうじるげんしょうであるが、)
出力された文字列との非対称性から生じる現象であるが、
(それはたんなるにゅうりょくえらーではなく、)
それは単なる入力エラーではなく、
(せんざいてきには、)
潜在的には、
(にんちときかいのそうごしんとうのすきまにうまれる「むいしきのしがく」である。)
認知と機械の相互浸透の隙間に生まれる「無意識の詩学」である。
(このこういは、)
この行為は、
(めるろ=ぽんてぃてきにいえば、)
メルロ=ポンティ的に言えば、
(しんたいとせかいの「あいだ」にしょうじるずれとしてもとらえうる。)
身体と世界の「間」に生じるズレとしても捉えうる。
(つまり、)
つまり、
(われわれのかたりはつねにみかんせいであり、)
我々の語りは常に未完成であり、
(そのふかんぜんせいのなかにこそ、)
その不完全性の中にこそ、
(にんげんてきなしんじつがやどるのである。)
人間的な真実が宿るのである。
(たとえば「あいたい」とうとうとして「あいたい」とへんかんされたとき、)
たとえば「会いたい」と打とうとして「愛たい」と変換されたとき、
(そのひいとせいはかえって、)
その非意図性は却って、
(かたるもののしんそうしんりをすかしだすかがみとしてきのうしうる。)
語る者の深層心理を透かし出す鏡として機能しうる。
(それは、)
それは、
(ふろいとのいう「しっさくこうい」にちかく、)
フロイトの言う「失錯行為」に近く、
(ごにゅうりょくはむしろよくぼうのまどでありうる。)
誤入力はむしろ欲望の窓でありうる。
(いかにのべるのは、)
以下に述べるのは、
(そのようなごにゅうりょくによってはじまった、)
そのような誤入力によって始まった、
(あるひとつのこいのこうぞうにかんするしょうろんである。)
ある一つの恋の構造に関する小論である。
(かのじょとは、)
彼女とは、
(ぎょうむてきなちゃっとあぷりけーしょんじょうでであった。)
業務的なチャットアプリケーション上で出会った。
(ようけんはれいせいでむきしつ、)
用件は冷静で無機質、
(ぶんたいにはくてんもなく、)
文体には句点もなく、
(けいごのもつけいしきてきしんみつさすらきはくであった。)
敬語の持つ形式的親密さすら希薄であった。
(そのたいわは、)
その対話は、
(うぃとげんしゅたいんてきにいえば「げんごげーむ」のもっともたんじゅんなけいたいであり、)
ウィトゲンシュタイン的に言えば「言語ゲーム」の最も単純な形態であり、
(いみのこうさくよりも、)
意味の交錯よりも、
(るーるのかくにんがしゅたるもくてきであった。)
ルールの確認が主たる目的であった。
(ところが、)
ところが、
(あるひのあさ、)
ある日の朝、
(「しりょうのそうふをおねがいします」とおくるつもりであったわたしは、)
「資料の送付をお願いします」と送るつもりであった私は、
(むいしきのしょうそうとねむけのかちゅうで、)
無意識の焦燥と眠気の渦中で、
(「こねこのそうふをおねがいします」とだけんしてしまった。)
「子猫の送付をお願いします」と打鍵してしまった。
(そのしゅんかん、)
その瞬間、
(わたしはおのれがふちゅういをはじ、)
私は己が不注意を恥じ、
(ただちにていせいのめっせーじをおくろうとした。)
直ちに訂正のメッセージを送ろうとした。
(だが、)
だが、
(かのじょのへんしんはそれよりはやかった。)
彼女の返信はそれより早かった。
(「どんなこねこをごきぼうですか?」というみじかいぶんが、)
「どんな子猫をご希望ですか?」という短い文が、
(にこやかなかおもじとともにかえってきたのだ。)
にこやかな顔文字と共に返ってきたのだ。
(このいちぶんにおいて、)
この一文において、
(われわれのかんけいはしつてきてんかんをとげた。)
我々の関係は質的転換を遂げた。
(ごにゅうりょくというぐうぜんを、)
誤入力という偶然を、
(ゆーもあときょうはんいしきでつつみこんだかのじょのおうとうは、)
ユーモアと共犯意識で包み込んだ彼女の応答は、
(わたしにとってたんなるてきすといじょうのものであった。)
私にとって単なるテキスト以上のものであった。
(それは、)
それは、
(ことばのひょうそうにやどるかろやかさと、)
言葉の表層に宿る軽やかさと、
(げんがいのいみをきょうゆうしようとするしんそうてききょうかんとのこうさてんであり、)
言外の意味を共有しようとする深層的共感との交差点であり、
(ろまんしゅぎがきひしてきたぐうぜんせいへのせっきょくてきせっきんでもあった。)
ロマン主義が忌避してきた偶然性への積極的接近でもあった。
(このできごといこう、)
この出来事以降、
(われわれは「ごにゅうりょくごっこ」としょうして、)
我々は「誤入力ごっこ」と称して、
(ゆうぎてきなごぶんをいとてきにかわすようになった。)
遊戯的な誤文を意図的に交わすようになった。
(「こんやくひま?」や「あいしてます」など、)
「婚約暇?」や「藍してます」など、
(げんごのちつじょがくずれるしゅんかんに、)
言語の秩序が崩れる瞬間に、
(あらたなかんじょうのひょうげんがめぶいた。)
新たな感情の表現が芽吹いた。
(ばるとがしるしたように、)
バルトが記したように、
(「こいするものはげんごのどれいである」ならば、)
「恋する者は言語の奴隷である」ならば、
(われわれはむしろ、)
我々はむしろ、
(そのれいぞくをそうぞうにかえるすべをあみだしていたのかもしれない。)
その隷属を創造に変える術を編み出していたのかもしれない。
(あるひ、)
ある日、
(かのじょはこういった。)
彼女はこう言った。
(「ほんとうに、こねこはとどきませんか?」)
「本当に、子猫は届きませんか?」
(わたしはわらいながらこたえた。)
私は笑いながら答えた。
(「それは、ぼくのゆびさきではおくれないんです。」)
「それは、僕の指先では送れないんです。」
(そのごご、)
その午後、
(われわれはついに、じょうほうのかいめんをこえて、)
我々はついに、情報の界面を越えて、
(じつぞんとしてのそうごげんぜんにいたった。)
実存としての相互現前に至った。
(あるごりずむのごびゅうにはじまったぐうわは、)
アルゴリズムの誤謬に端を発した寓話は、
(ついにかたりのいそうをだっし、)
ついに語りの位相を脱し、
(しんたいせいをともなったれんぞくてきじかんのうちにたちあらわれようとしていた。)
身体性を伴った連続的時間のうちに立ち現れようとしていた。